43 月光に酔う夜
「確かに、君が動く為の足枷をなくす方法は、
「鬼畜……」
何とも言えない表情を浮かべたキャロルに、アデリシアはそれを混ぜ返す事はしなかった。
キャロル、と静かな声でそのまま語りかけている。
「最初から死ぬ事を前提としないのなら、君の望む通りに、席は用意しよう。生きて帰る努力は怠らないと、約束出来るかい?」
「殿下……」
「それが約束出来るなら、明日の夜もう一度、ここへ――いや、東宮の私の部屋へおいで。ただ席を用意したところで誰も信じやしないだろうし、今更フォーサイス将軍にお願いするのもおかしいから、それまでに他の小細工をして、準備しておくよ。そうだね…夜明け前くらいが一番良いかな」
「小細工、ですか」
「とりあえず、何とかして明日の宿直を代わって貰えば、明け方に東宮にいたとて、不自然じゃないだろう?昼の内に、エルフレード達と一緒に、一度正門から帰っておいで」
「……分かりました。あの、殿下」
「何かな」
「先ほどのお話は、承知しました。最大限、生きて帰る努力はしたいと思います」
今更だね、と呆れたようにアデリシアは
* * *
翌日。
ルフトヴェークの大使をクーディアまで送った、と言う
今日は旅の疲れを癒して、明日、報告と今後の方針を決める方々、会議を行うとの話が併せて決められた。
「ローレンス、おまえ、夜も帰らないのか?」
昨日、激怒して帰った事もあるが、大使館で怪我をして以降、エルフレード・バレットは、何かとキャロルに気を遣ってくれているようだった。
「私がいない間、宿直のシフトで部下達には負担かけてましたから。こう言う事は率先してやらないと」
「そうか…ああ、その怪我が治ったら、手合わせの件、頼むな」
「…ホントにやるんですか?」
「何ならチーム戦でも良いぞ。その方が士気も上がりそうだしな」
「あぁ…それはあるかも知れませんね。分かりました。治ったら連絡しますね」
「ああ、楽しみにしているからな!」
――そんな機会は来ないかも知れない、と一瞬思ったキャロルだったが、エルフレードに言うべき言葉は、今ので良かった筈だと、キャロルは
エルフレードやクルツには、レアール侯爵領に向かう許可がアデリシアから貰えず、今日も交渉を続けると話してある。
これで、キャロルが夜も宮廷にいる事を、誰も不自然に思わない下地は出来た筈だ。
取り急ぎ、宮廷寮にある自分の部屋に戻ったキャロルは、明日の朝すぐにでも、クーディアへまず
そして夕方宮廷に戻ると、副長のサウル・ジンドとのペアで、東宮警備に入ったのだ。
危機管理上、普段、近衛隊長と副長がペアになる事はないのだが、この日は、一番当直の割を喰っていたらしい、セナル・コレット青年を休ませてやろうとのサウルの提案で、変則ペアが組まれる事になった。
「じゃあ、夜が明ける前に、もう一周してくるから、交代準備の方よろしくね」
「何気に書類仕事から逃げるつもりですね。分かりました、クーディア帰りでお疲れでしょうから、たまには文句言わずに引き受けますよ」
「いや、もう文句言ってるし……」
「何か?」
「いいえ、優しい副長サマの気が変わらない内に、出させて頂きますー」
「…殿下、ローレンスです」
「ああ、来たね。お入り」
明け方だと言うのに、全く声に淀みがないのは、これいかに。
そして部屋に入ったキャロルはまず、部屋に漂うお酒の香りに驚いた。
「…殿下、なんかすっごいお酒の匂いしませんか?」
「ああ、それなんだけどね」
飲んだのか飲んでいないのか全く読めない口調で、アデリシアがテーブルに乗る、綺麗な
「原料アルコールに、17種類の薬草が入ったって言う、アーヴ産のリキュール。この宮廷で一番度数の強いお酒を持って来させたら、そうなった」
「うわぁ、キレイな色…って、なんでそんなの持って来させてるんですか⁉普通に
「うん、君がお酒に強い人なのか弱い人なのかが分からなかったから、とりあえず、大抵の酒豪でも酔うだろうって言うお酒にしてみた」
「はい⁉」
「君、成人になってからも飲んだ事ないよね。近衛連中が年始とかに集まって騒いでいる時でも、果実水飲んでいる姿しか見たことがないし」
この世界の成人は18歳とされていて、キャロルも対外的には飲んで良いのだが、何となく自分の中で「お酒は
「飲んでみたら、実は酒豪でした、だとちょっと困ると思ったから」
「いや、それ、何が困るんですか⁉」
「
「………はい?」
誰だ、そんな下世話な単語を
そんな心の声が表情に出ていたのだろう。テーブルにあるリキュールグラスに瓶の中身を注ぎ入れながら、アデリシアが「くくっ…」と低く笑った。
「昨日言っただろう?いきなり私が君の後宮入りを望んだところで、誰も信じない――皆、裏があるとしか思わないって。今更、フォーサイス将軍の手も借りられないし、そうなると、自力で今すぐ出来る事って、だいぶ限られるよ」
「それで、お酒……?」
「君が父親の素性を大使から聞いて、動揺しているところを慰めているうちに…って言う所かな。普段なら、こんな三文芝居みたいな
「……っ」
「まあ、君が父親の事を黙っていた件に関して、もう少し反省して貰おうかと言うのもあるよ。これで朝、2人して
「酔い潰れ…って…」
「後宮入りを妬んだどこかの貴族に毒殺された…なんて
「⁉ 殿下、酔ってます⁉そのお酒、やっぱりもう手をつけてたんですね⁉」
アデリシアの話している事が、呂律はしっかりしているのに、どんどん物騒になってきている。
あの瓶は片付けた方が良さそうだ…と、キャロルはそっと手を伸ばしたが、にこやかに
そして逆の手は、リキュールグラスを持ったままだ。
「いや?味見に1杯だけ先に口をつけたけどね。――これは、君の分だ」
そう言いながらも、アデリシアはそのグラスの中身を、いきなり自分で
「殿下⁉」
空になったグラスが、王族としての礼儀作法に添うならばテーブルに置かれるべきところが、まるで丸めた書類を屑籠に放り込むかの様な仕種で、後ろ向きに放り投げられた。
当然、グラスは放物線を描いて落ちていく――が、キャロルはそれを、最後まで目で追う事が出来なかった。
頬から後頭部にかけて、アデリシアの手が一気に滑ったかと思うと、そのまま抱き寄せられて、唇を重ねられていたからだ。
「ん…っ⁉」
アデリシア曰く「宮廷で一番度数の強いお酒」が、喉の奥を滑り落ちていく。
――グラスの割れる音と共に、世界がぐらりと傾いた。