42 側妃と言う選択
「君がそれを一言も言わずに、実力でその地位まで上がって来たのは、衆目の一致するところだし、平時であれば、知らないままでも一向に構わなかったんだけどね……」
「え…平時だったら良かったのか?」
思わずそう聞いてしまったエルフレードに、アデリシアもしごく真面目な表情で、言葉を返した。
「平時だったら、むしろ知らないままで良かったね。知れば
「そ、そうか」
いや、
「だけど、もう――ダメだね」
ふいに、アデリシアの声色から感情が消える。
それは、皇太子あるいは宰相としてのアデリシアが見せる表情であり、声だ。
見ればキャロルも、始めから覚悟していたとでも言うように、目を閉じていた。
「彼女はもう、否応なくこの政変の〝駒〟だ。それも、
冷ややかに言い置いて、アデリシアはキャロルのすぐ側まで近づくと、彼女の顎を、片手でクイと持ち上げた。
「もちろん君は、私の〝駒〟でいてくれるんだろう?――これからも」
「……っ、おい!」
あまりと言えばあまりなアデリシアの言い様に、反発したのは当のキャロルではなく、エルフレードだった。
立ち上がって、アデリシアの手をキャロルからパシリと振り払う。
「おまえ――」
「ふっ……本当に、君は丸くなったね、エルフレード」
手を払われた事を特に不愉快に思うでもなく、アデリシアはむしろ微笑んでいた。
「とりあえず、今日はここまでで良いよ。後は私と彼女で話し合うから。それと明日――君たちは、午後早いうちにでも、クーディアでの大使の見送りを済ませて戻ってきた
「……チッ」
舌打ちするエルフレードに、アデリシアは凄みのありすぎる微笑を更に浮かべてみせた。
「良かったね、エルフレード。ようやく、お役御免だよ?」
「……おまえ、本気で言ってるか?」
「分かっているだろう?軍の一師団長程度の、君の力を借りられるような
「‼」
「早く
切れそうな程強く拳を握りしめたエルフレードは、そのまま無言で踵を返すと、ドアを壊す勢いの大きな音で閉めて、部屋を出て行ってしまった。
クルツも慌てて一礼すると、その後を追う。
「――さて」
その足音が遠ざかった頃、アデリシアは、その間一言も言葉を発しなかったキャロルを、再び覗き込んだ。
「あんなものでよかったかい、キャロル?」
キャロルも、ふっ…と視線をあげた。
「殿下……」
「君が本当に、私にしたかった話を聞こうか?あの2人には、聞かせたくなかった筈の――話を」
「私は……」
「レアール侯爵領に行かせて欲しいと言い出す事は想定の範囲内だよ。そして、エルフレードに言った事も間違いじゃない。君はこの先否応なく、宮廷の政治の道具だ。休暇も、臨時通訳としての建前も、もう通用しない。――どうする?私も無条件に、手は差し伸べられないよ」
アデリシアが無慈悲だとは、キャロルは思わなかった。
言えば、手を貸してくれる。ただ、問いかけているだけだ。
キャロルの――覚悟を。
一度だけ目を閉じ、そしてしっかりと、アデリシアを見上げる。
「――殿下の後宮の席を、一席私に下さい」
「………」
そしてアデリシアも正面から、その視線を受け止めた。
そこに驚きはなく、まるで最初から予測していたと言わんばかりだった。
「一応、その席をどうするつもりなのか聞いておこうか?」
「
「
「はい。陛下や皇妃様、侍女長など何名か事情の説明は必要でしょうが、そこは帝国のための潜入捜査のカムフラージュと言う事で、ご納得をいただけないかと……」
「陛下はそのあたりシビアだから、すぐに納得するだろうね。今、かなり抜き差しならない事態になっていると言うのは、聞けばすぐに理解するだろうし。
「はは…光栄です」
「キャロル」
アデリシアはキャロルの苦笑には応じずに、少しだけ、声のトーンを落とした。
気付いたキャロルも表情を引き締める。
「はい」
「
「分かっています。もし私が父を助けられずに命を落としてしまったら、私の後宮入りを妬んだどこかの貴族に、毒殺されたとでもして下さい。捕虜にでもなった時には、申し訳ないですけど、殿下のお名前をお借りしますので、後宮の
「………」
側妃と聞いたアデリシアの表情が、初めて少し歪んだ。
「………なぜ側妃なのかな」
「純王族たるマルメラーデの姫君がいらっしゃる以上は、そうでもしないと、後宮内で侍女達が対立して、崩壊しますよ。そもそも、私が二度と帰らない可能性もある訳ですから、どちらにせよ、マルメラーデの姫君を、皇妃としてお迎えにならないと」
「……君は……」
「あ、色々守備良くいって、もし生きて帰れたなら、その時だけは、再雇用条件は要相談でお願いします」
アデリシアは、嫌な話を聞いたとでも言いたげに、顔をしかめた。