29 将軍の決断
「キャロル。君と首席監察官殿との『密通疑惑』に関しては、疑惑になる以前に、典礼省が全力で叩き潰してくれるそうだから、そこは今回、横に置いておいても良いと思うよ」
「みっ⁉…て、典礼省……リンデさんとクルツさんですよね…束になったら、や、多分、無敵で潰して頂けそう……」
「だろうね。私もそんな気がしたよ」
「では、私の『大使館職員』はお認めいただけないですか、殿下…?」
「いや……」
フォーサイスの視線も受けながら、やや難しい顔で、アデリシアは考え込んだ。
「そもそも、各国間の友好の証である筈の駐在武官や大使館員が、一人
「それなら――」
「ただそれなら、
「⁉」
第一皇子の従者が昨夜飛び込んで来た事は、実は全くの偶然だ。未だルフトヴェークからの正式な使者が、カーヴィアルに何かを突きつけた訳ではない。叛乱すら、公式には「まだ起きていないこと」なのだ。
「起きた事実は、大使と大使館職員が殺された事だけ。第一皇子を迎える準備を、調査と並行して進めるようにしなければ、不自然だ。第一皇子の到着までに、何とか事態収拾のメドを立てる為に、いったん、偽の大使館職員を潜りこませて、犯人の炙り出しを図る。君はたまたまルフトヴェーク語に堪能なため、大使館の『臨時職員』として、典礼省推薦で白羽の矢が立った。――やるのなら、こんなところだね。…出来るのかい、キャロル?」
「―――」
「…叛乱の情報を、ここで握り潰すとおっしゃるか……」
フォーサイスの声が、やや非難めいた声色になっていた感は否めなかったが、アデリシアは動じなかった。
「叛乱の情報は、むしろ国境を接するディレクトア本国の方にこそ、そろそろ伝わっている筈ですよ、将軍?ですから、私が将軍へお願いしたいのは、報告を『握り潰す』事ではなく『少し遅らせる』事です。こう言っては何ですが、今頃そちらの本国では、カーヴィアルにも知らせるか、我々には知らせず、黙って後々、第二皇子の兵を通過させるか、
「そんな…っ、我が国が友好条約を無視するような――」
「将軍がそうだ、とは申し上げておりません。人間が何人も集まれば、絶対にそう言い始める人間が出て来ると言う、一般論の話です」
そんな一般論あってたまるか、と同意を求めるようにキャロルを見たフォーサイスだったが、キャロルは、何とも言えない、苦笑寸前の表情を見せただけだった。
「…ディレクトアは兵を通過させて、カーヴィアルは私を差し出す。一見すると、一番波風の立たない、素敵な案だ…みたいな?」
「……っ」
つくづくこう言う時、フォーサイスは自分が政治の権謀術数に向いていないと、思い知らされる。
彼自身にとっての〝最善〟は、無論、本国に戻ってその指示を仰ぐ事なのだが、それでは子供の使い以下だと、自分でも分かる。
「わかり……ました」
短い間を置いて、フォーサイスがようやく、何かを決断した表情で、顔を上げた。
「では一週間、我が国からの指示が届くか、ルフトヴェーク本国の情勢が、正式にこちらに届くか、様子を見させて頂きます。もちろん、その間の協力は惜しみません。こちらからも何名か『大使館職員』となりうる人材を出しましょう。それで如何ですか」
「―――」
思わぬ言葉に、アデリシアとキャロルが、それぞれに驚きの表情を見せた。
「我が駐在官邸職員に関しても、緘口令を敷いたまま、無為に留まらせている事には限度があると言いましょうか…よろしいかと尋ねるよりは、ぜひそうさせて頂きたいところです」
あくまでも秘密裏に事を運びたければ、仮の大使館職員となり得る人材は、今、この異変を知るか、関わるかする者の中からのみ、選ばなければならない。アデリシアがそこを悩んでいるだろう事は、フォーサイスなりに察していた。
そしてフォーサイスの側にも、緘口令の限界という問題点があり、その結果が、フォーサイスに、らしくない発言をさせたのである。
「承知……しました」
思案は一瞬。アデリシアは、フォーサイスの方を見て、頷いた。
「では何名かお借りします。重ねての御迷惑、申し訳ないとは思いますが」
「………いえ」
だが、アデリシアの苦悩を察しつつも、それを上手く言い表す事は、フォーサイスには出来なかった。
代わりに、より実務的な話を、つい、口にしてしまう。
「…亡くなられた方々の埋葬の件ですが」
ああ、とアデリシアが、思考の淵から掬い上げられたように、視線を上げた。
フォーサイスの、低い、淡々とした声は、本人の誠実さも相まって、場を落ち着かせるのに、ひどく向いている。
「…『仮の大使館職員』に、任せざるを得ないでしょうね」
「ええ。ですが、実際の戦場経験がない者ですと、今のこの、典礼省の使者殿達の二の舞いになりかねない。ですのでそれも、我々にお任せ願えないでしょうか。恐らくは、より、箝口令の重要性を理解してくれるでしょう」
「将軍……」
「何とか明日の朝一番には、新しい〝職員〟が入れるように致します。それまでに、大使代理など、主だった職員をお決め下さいますか」
フォーサイスは、それだけを告げると、一礼して、身を翻した。
その姿が扉の向こうに消えたのを見計らうように、息を一つ吐き出したアデリシアが、自らの髪を乱暴にかき上げた。
「やれやれ…フォーサイス将軍が、どうして中枢を離れて、駐在武官になどなっているのかは、少し分かった気がするね」
「…将軍のような方は、中枢では生きにくいのではないでしょうか……?」
アデリシアの言いたい事を察したキャロルも、
これまで、戦場で『明確な敵』だけを、正々堂々
宮廷で正論だけをぶつけていては、煙たがられるのがオチだ。
「だろうね。ただ、中枢から煙たがられすぎて、戻って来るなとばかりに暗殺命令とか出されても、ウチが困るから、ほどほどに気を付けておいて差し上げた方が良いだろうね」
「……ディレクトア王国の中枢って、そんなに
「キャロル、言い方」
「えーっと…おバカさん?」
「オブラートどころか、よりシンプルにして、どうするんだ。将軍に斬り捨てられるよ」
「いやぁ…将軍を邪魔者とか思ってる時点で、ダメじゃないですか?多分、国民人気とか、他国への牽制抑止力とか考えれば、恐らく将軍の忠誠心を掴んだ人こそが、次に上に立てる筈ですよ?将軍が今度お戻りの際の、中枢の動きとか…アンテナ張った方が良くないですか?」
「………」
「殿下?」
――これが、リンデやクルツが言うところの〝帝王学〟の仕込みか、とアデリシアは思った。
自分と同じ目線。
無意識だからこそ、自分への
アデリシアは何となく面白くなくて、キャロルの頭に、やや乱暴に手を置いた。
「⁉」
「将軍の事はさておき、話が途中だったろう、キャロル。クーデターに関する情報に、知らないふりをしながら、大使館職員になりすます事が出来るのか?それが出来ないなら、君を宮廷から出す訳にはいかない。意地と反発じゃなく、ちゃんと自分の中で考えて、答えてくれないか」
「殿下……」
引き返せないところまで来ている――予感がした。