どうも、訳が分からないまま変な事に巻き込まれたリヒトです
「聞いて驚かないでリヒト。わたくしは……転生者なのです」
などと、数日前にお嬢様にそう告げられた俺――リヒト・ルドベキアが最初に思った事はこうだった。
「馬鹿は馬鹿だと思った事は何度かあったが……。ついに本当の馬鹿になられてしまった。おかわいそうに……」
だ。
数日前、お嬢様が乗馬レッスン中に騎座から落ちて頭を強打したと話を聞いた時は正直焦った。いや、焦るどころか目の前が真っ暗になった。
意識不明の重体だと知らされ、なぜ自分はその場に居合わせる事が出来なかったのか。いつもなら必ずと言っていい程にお嬢様の側に居る俺は、その時だけ別の仕事を頼まれて彼女の側を離れていた。
お嬢様も今年で十二歳になられた。さすがにその年頃ともなれば、いくらお嬢様でも乗馬レッスン中くらい大人しく指導を受けていられるだろう。
そう思ってお嬢様の側を離れて、頼まれた別の仕事をしていたのが間違いだったんだ。
あの時そんな考えを抱かなければ、あのままお嬢様を見守り続けてさえいれば、必ず駆けつけてお助けする事が出来たのに。
仕事から帰って来て、頭を包帯でグルグル巻にされているお嬢様の顔を見て、頭に傷が残ってしまったらと思うと深く後悔した。
落馬事件から数日間眠っていたお嬢様がようやくお目覚めになって、さっそく俺はお嬢様の部屋へと呼ばれた。
お嬢様が目を覚まされるまで全然仕事に身が入らず、食事もまともに喉を通らなかった。
だからお嬢様が目を覚まされて、他の誰よりも真っ先に俺を呼ぶと言うことは、そういう事なのだろうと内心で理解した。
いつものお嬢様なら気に入らない事があれば、メイドだろうが執事だろうがキツく当たってくる。そのせいで一体何人者使用人がこの屋敷から姿を消した事だろう。
だから俺はお嬢様の部屋に向かう間に覚悟を決めたんだ。
怒られる覚悟は出来ている。罵倒される覚悟も出来ている。当然、首も覚悟出来ている。
俺は昔にあなたと交わした約束を破った。だから俺はあなたに――死ねと言われれば死のう。
そう数々の覚悟を決めてお嬢様の部屋の中に入った時、真っ先に言われたのがさっきのあれだ。
「リヒト……わたくしは生前『如月繭』と言う名前だったのです。そしてこの世界は乙女ゲームの世界なのです！」
と、ヴァイオレットモルガナイト色の瞳をランランと輝かせて淡々と語り始めるのだ。俺に怒声や罵声を浴びせるわけでもなく。
そんな意味不明な事を呼び出されていきなり言われたら、誰だってまずは頭の方の心配するに決まっている。
そしてお嬢様は俺の『恋愛フラグ』とか言う、変なフラグを早速折った。そもそも恋愛フラグがどういう物なのかと言う説明もされていない。
しかし俺は内心ほっとした。怒声や罵声を浴びせられるのは別に構わない。そんなのとっくになれていたし、自分の気持ちをはっきりと言うお嬢様の方がお嬢様らしいと思っているから。
俺が一番怖かったのは、首にされて今の職を失う事だ。それが一番今の俺にとって何よりも怖い事で、お嬢様の隣に居られなくなる事はきっと……耐えられないだろう。
「それにしても……お嬢様は相変わらず人使いが荒い」
俺はお嬢様から渡された紙を見下ろしながら深々と溜め息を吐いた。
名前以外の情報が一つもない人間を探し出すだなんて無理に等しいだろ……。
「リヒト。あなたにはまず、アザレア探しをお願いするわ」
「あ、アザレア？」
その名前に聞き覚えはなかった。名前からして女性で間違いはないだろうが。
「アザレア、と言う人を探し出せば良いのですね？」
俺は確認を取るように尋ね返し、お嬢様は返事の代わりに小さく頷いて見せる。
「ではお嬢様。名前以外の情報をお持ちでしたら、全て俺に話してください」
人探しなんて面倒くさいこと本当はやりたくないけど、これはお嬢様を守る事が出来なかった罰として甘んじて受けよう。
そう思いながら胸ポケットから手帳を取り出してお嬢様の言葉を待った時だった。
「名前以外の情報？ そんなの知らないわよ」
「………………………………………………は？」
少しの沈黙が漂い、俺は目を点にして小さく声を上げた。
今……知らないって言ったのか？ いやいやそんなわけないだろう？ いくら頭がちょっと可愛そうなお嬢様が俺に探し出せと言うくらいだ、きっと面識くらいあったって――
「まず始めに言っておきますけど、わたくしはアザレアの事をよく知りません（十六歳の彼女ならよく知っていますけど）。面識すらありません」
「…………いや、あの。情報が一つもない女性を探し出すなんて、無理だと思いますけど？」
「う〜ん、そうね。でも他の人達が無理でも、リヒトだったら絶対に見つけてくれるでしょ？」
まあ確かに、お嬢様の言う通りもしこの依頼を他の執事やメイド達に頼んだとしても、こんな無茶苦茶な仕事こなすことは出来ないだろう。その前に誰もが口を揃えて「ごめんなさい！ 無理です！ お許しを！」と言って土下座するのがオチだ。
しかしこれは他の誰でもないお嬢様の頼み。名誉挽回するためにも、この仕事は何としてでも達成させなければならない。
俺は右手を左胸に添えて片膝を床につき、深々と頭を下げて告げる。
「お嬢様がそう申すのでしたら、このリヒト・ルドベキアの名にかけて必ず見つけ出してみせます」
「ありがとう、リヒト。よろしくお願いしますね」
それからここ数日、本当は他の誰にも任せたくないのだが、お嬢様のお世話を信頼出来る者に頼み、俺は街でアザレアと言う名の女性を探し回っていた。
名前に聞き覚えがなかったから、おそらく貴族出身の女性ではないだろう。となると、平民出身の可能性が高い。
「なぜお嬢様は平民の女性なんかを？」
確か前に『アザレを全力で幸せにするわ』なんて言っていたか？ あれは一体どういう意味なんだろうか？ それも乙女ゲームとか言う何かと関係があるのだろうか？
「えっと髪の色は白髪で、所々にピンクのメッシュが入っており、瞳の色はメッシュの色と同じ桃色で――」
俺はお嬢様によって描かれた似顔絵を見下ろし、深々と溜め息を吐きながら金髪の髪をかきあげた。
お嬢様の絵は画伯に近い物なので、全くと言っていい程当てにならない。……なんて言う前に、そもそも面識すらないって当の本人は言っていたのに、なぜ似顔絵は描けるんだ？ それも前世の記憶だとか、乙女ゲームだとかと関係があるのか？
「白髪の女性……ね」
もう一度似顔絵を見下ろしながら歩き出そうとした時だった。
「こらっ『アザレア』！ モタモタしてんじゃないわよ！ 早くしなさい！」
「ま、待って下さい！」
今もの凄く聞き覚えのある名前が横を通り過ぎて行き、少し先を歩いた俺は足を止めて慌てて後ろを振り返った。
「今……アザレアって？」
後ろを振り返るとそこには、お嬢様が言っていた通りの白髪を持った女の子が、薄汚れた服を身にまといながら、先を歩いて行く女性の跡を追いかけて行っていた。
「……なるほどな」
俺はアザレアの後ろ姿を上から下まで見下ろして緑色の瞳を細めた。
「あれが……アザレアか」
アザレアの姿を確認出来た俺は、お嬢様から貰った似顔絵を丁寧に折りたたんで胸ポケットにしまった。
「どうしてお嬢様があんな女に興味があるのか分からないなが……」
これはお嬢様に報告する前に、詳しく調べて見る必要がありそうだな。
そう思いながら時間を確認するために、腰から下げられているアンティーク調の懐中時計を見下ろした。
