危なかった。
あと一歩遅ければ、小春はあの裂け目に飲まれ、落下していただろう。
底が見えないまっ暗な闇は奈落そのもの。
「クソが」
小春をこんな目に遭わせやがって。
アスファルトが裂けた穴は、西麻布の交差点いっぱいに丸く広がっていた。
「俺のレベルは知らんけど」
全力でその穴を飛び越えた。
ギャラリーが沸く声が聞こえたが、いまは構ってられない。
俺は腰に差した日本刀を見る。
(いくら|強制複合現実化《FMR》しても、あれは斬れないだろうな)
だから俺は魔法の射程ギリギリまで近づき、グラウンドスライムを見据え集中する。
土の反対属性は風。
でも、こんなに巨大な岩のかたまりに、ウィンドカッターが効くのか。
「小春の連射をアレンジするか」
グラウンドスライムは小春がいなくなった事で、反対側にいる金髪女をターゲットにしている。
だから今のうちだ。
風が舞い、空気が収束し、グラウンドスライムを囲んだ。
球状に圧縮された空気のレンズは、薄暗い月夜でも対象を歪んで見せた。
そして、空気がはじけそうになったその時、中にいるグラウンドスライム目がけて、ウィンドカッターを放った。
透明な数多《あまた》の刃は、連続でグラウンドスライムを削る。
鋭く響く甲高い音は、大量の煙と共にくぐもっていく。
辺りはその粉塵で見通しが悪くなったが、ここで手を弛めるつもりは無い。
【夏哉、引いて下さい】
今さら何を言っているんだこいつは。
俺はウィンドカッターを使いながら、アイスバレットを氷の刃として混ぜ込む。
「うおっと!?」
粉塵の中、茶色い光りが見えたので避けてみると、地面から石杭が飛び出した。
だが、それは最後の足掻きだったようだ。
グラウンドスライムは、軽自動車くらいの大きさになり、岩の割れ目から見えていた赤い光りが消え去った。
【グラウンドスライムの死亡を確認。ブレインネットワークに接続し、魔法のデータをアップロードします】
【エラー】
視界に映し出されたARCの文字は、エラーを吐き出した。
おまけに、グラウンドスライムが魔法を使うとき、警告のアナウンスも出なかったし。
(あーちゃんが無視しているだけかと思っていたけど、本格的に壊れたか)
俺は視覚操作で自己診断プログラムを走らせた。
……異常なし。だけど、メインフレームへの接続がはじかれている。
いや、逆だ。
メインフレームからの接続回数は兆を超えているが、こちらが拒否をしている。
どういう事だ……、あーちゃん。
「こんばんは」
「ああ」
立ち尽くしたまま視覚操作をやっていたが、大勢のギャラリーを引き連れやってきた金髪女に気づかないわけが無い。
この女は、グラウンドスライムに一歩も引かず、
「あなたの出鱈目な魔法……危なかったわ」
「避けてただろ?」
「…………まあいいわ。あなた、鈴木夏哉くんよね?」
「ああ? なんで知ってるんだ?」
「私はマーガレット。声を掛けてくれれば連携できたのに」
「さあね? 俺の質問に答えろ」
「ここでは話せないわ。それより、ファイアスライムを追わないと」
ファイアスライムを追う?
でも、俺にはその理由が無い。
ビッグフットジャパンなんて、南風原ごと消えてしまえばいい。
ふと気づくと、マーガレットは、いつの間にか俺の耳元に口を寄せていた。
「私はあなたが狙っている南風原の姉よ?」
周囲のギャラリーの声は大きく、マーガレットの小声は俺にしか聞こえていない。
しかしどういう事だ?
マーガレットは南風原と比べ、顔立ちはまるで似ていない。
金色の髪の毛と、アングロサクソン系の整った顔立ちで、姉と言われても違和感しかない。
「ビッグフットジャパンの地下には、発電用の原子炉があるの」
「……」
マーガレットの髪の毛から、ふわりと香りが漂う。
「お兄ちゃん?」
小春の声が聞こえ、そちらを向くと、手招きをしていた。
マーガレットは顎をしゃくり「行って」と合図をしている。
俺はギャラリーを掻き分け、離れた場所で小春と二人になった。
「あの人、南風原のお姉さんだって言ってたよ?」
「……同じ事聞いたよ。でも、にわかには信じられないな」
しかし、小春の話だと、間違ってビッグフットジャパンの上層階へ侵入し、そこで現われたのが彼女。そして名前はマーガレット・ルーシー・南風原だそうだ。
つまり、最低でも親戚となる。
「いやちょっと待て。マンションで留守番してないで、ビッグフットジャパンに突入したあげく、行き先を間違って上の階に行ったのか? おまけにマーガレットと共闘?」
そう言うと、小春は申し訳なさそうに頷いた。
いや、小春は小春なりに考えて行動したはず。
父さんみたいに細かい事を言うのは止そう。
そして小春は「原子炉が爆発したらどうするの?」「あそこに避難してる人たちはどうするの?」と、矢継ぎ早に聞いてきた。
「小春は原子炉の話を信じてるのか?」
「うん」
その笑顔は反則だろ。
だがしかし、万が一にでも原子炉の話が本当で、それが爆発すれば、この辺りどころか、東京中が放射能に汚染されてしまう。
マーガレットの方を見る。
周囲のギャラリーにちやほやされ、満更でも無さそうな態度を取っている。
美人で人当たりはよく、周囲の男共どころか、女性まで虜にしている。
そんな奴は、信用できない。
さっさと小春を連れて、湾岸エリアの船でも盗んで逃げた方がいい。
「……」
「どうしたの? お兄ちゃん」
利己主義ここに極まれり、と言ったところか。
東京にはまだ多くの人が住んでいる。
その人たちを死なせて、俺はこれから素知らぬ顔で生きていけるのか。
そのとき、小春は俺に何と言うだろうか。
「ああ、一時共闘って話だったな。大丈夫だ」
「ほんと!? やった~!!」
小春は泣き虫でお人好しだけど、正義感が強い。
小躍りする小春を見ながら、それでも俺は、口角が上がるのを抑えられなかった。