「もうっ! 夏哉先輩ヒヤヒヤさせないで下さいっ!」
「……すまん」
バリケードの中へ入り、開口一番、俺は絲山に叱られていた。そりゃそうだ。背後を取られるなんて、剣道をやっている身としては、返す言葉も無い。
冷静だと思っていたが、こんな状況で少し焦っていたのかもしれない。
ショートカットの黒髪を振り乱しながら、まくし立てる絲山を横目に、バリケード内部を見回すと一般人と思われる人々が五名、それに女子剣道部員たちが四名いた。
後輩たちはむき身の竹刀を持っており、剣先は茶色く染まっていた。
ヒュージアントと戦っているのなら、彼女たちもプロトタイプARCを付けている事になる。
俺を疲れ果てた表情で見ているのは、一年生の四人。
……彼女らもヒュージアントを倒したんだろうな。
生き物の命を奪うという行為は、現代社会に置いて、とても遠い場所にある。
それでこんな表情なのだろう。
ひとしきり叱られたあと、二年生の絲山に状況を聞いてみた。
彼女たち五人は朝練で学校へ向かっていたのだが、電車に乗る前に、駅の構内放送で避難指示が出たそうだ。
ただ、それが「大きなアリが人を襲っている」という内容で、俺と同じく何かの撮影やドッキリだと勘違いし、周りの人達からは失笑が起こったのだという。
まあ、突飛な内容なので分からなくも無い。
その後、駅の入口から大勢の悲鳴が聞こえはじめ、ただ事ではないと感じた五人は、電車に乗らず出口へ向かった。
するとそこでは、ヒュージアントたちが交番方面から押し寄せて来ており、彼女らは竹刀を抜き応戦をはじめた。
しかし数が多すぎるうえに、ほとんどの人達がヒュージアントを視認できないため、あっという間に劣勢になったそうだ。
すぐさま撤退を決めた絲山たちは、近くの人達に声を掛け、細い通用口に一時的に立て籠もっていた。
「そのあと俺が合流か。う~ん……」
「どうしたんですか? な、夏哉先輩」
絲山は何をモジモジしているのだろう? 名前呼びなんて気にしないでいいのに。
俺は母さんを探さねばという思い、それと彼女らと一般人、ここに居る九人を放って行けるか、という思いが交錯していた。
「なあ、絲山。ここに居るメンツに怪我人はいないよね?」
「え、ええ」
「どうやってここに辿り着いた?」
「えっと、他の場所にも立て籠もっている人達が居たんですけど、満員だって言われてここを捜し当てたんです」
なるほど……。
この通用口は細い上に、駅ビルの外壁分の長さしかないので、ここに居る十名でも座れないくらい狭い。
ただ、頑丈そうな壁と、防火扉を背にしているので、バリケードを守れば、ヒュージアントの侵入は難しいだろう。
「まだ持ち堪えられるか?」
「ヒュージアントは、叫びながら逃げてる人達を真っ先に襲ってるから……音を立てなければ、たぶん平気だと思います」
下を向き暗い声になった絲山も、この状況で自分たちだけ助かることに罪悪感を感じているのだろうか。
「出来ることしか出来ないさ。こんだけのアリンコを、俺たちだけでどうにか出来るわけが無いだろ? まずは自分を守るんだ。今はそれだけを考えて行動しないと……たぶん死ぬぞ?」
「さっき死にそうになったくせに?」
「……ま、まあそう言う訳で、ここでじっとしてろよ? 警察や消防が動くと思うし」
「ちょ!? 先輩どこ行くんですか?」
「俺は母さんを探しに行く」
「私たちは?」
「そのあとここに戻る」
「……ほんとに?」
「ほんとだ」
半べそになっている絲山から視線を引き剥がし、俺は重い防火扉を開け、駅ビル内部へ入った。
そこはいつも近道で通る、テナント区画だった。
いつもならきらびやかな高級ブランドが軒を連ねているが、従業員が慌てて逃げ出したせいなのか、服やアクセサリーは散らかり、テナントのガラス窓も割れていた。
そしてこの区画には、誰の気配も感じることが出来ない。
つまり、人が逃げ出し、ヒュージアントはそれを追いかけていったという事か。
「絲山たちはこの事を知ってるのかな?」
一旦戻ろうとして、立ち止まった。
というのも、そもそも何が起こっているのかはっきり分からないのに、誰も居なくなったこの区画が安全だとは限らないからだ。
そう思い、絲山たちに知らせるのはやめることにした。
辺りを警戒しながら歩いていると、駅の西と東を繋ぐ大きな通路が見えてきた。
そこは本来なら立派なガラス扉があるはずなのに、木っ端微塵に割れて床に散らばっていた。
俺はテナントの影に隠れ、しばらく様子を見てみる。しかし……特に誰も居ない。
「この通路にもアリが居ないとなると……」
襲う対象である人々が逃げ去り、ヒュージアントも街中へ散らばっている?
(こりゃもう収拾がつかないだろうな)
そんな事を思いつつ、通路へ足を踏み出す。
「ぐおっ! なんだこりゃ!?」
突然の衝撃波と共に、大きな爆発音が聞こえた。
音源の東口方面を見ると、赤黒い煙が通路全体を伝ってこちらへ向かってきていた。
この通路は数百メートルはあるので、この煙がある状態で東口を見ることは出来ず、何が起こったのか分からないし、これに巻き込まれると、おそらく焼け死ぬ。
俺はそう思って、元いた区画へ転がり込み、爆煙が通り過ぎるのをやり過ごした。
そうは言っても、ガラスの無い場所なので、多少の煙は巻き込まれて入ってきた。
「ごほっ! あちい!! くっそ、訳わかんねぇ! けど、何が起こった?」
万が一にでも母さんが爆発に巻き込まれていないことを祈りつつ、黒い煙がなくなるまで待ち、俺は東口を目指した。