2.死への誘い
魔物があらわれ、別の場所に移動し、退治目前で跡形もなく消えていくーー
そのことはテオドールも聞いていて情報が入ってきている。
前にレーヌと話した時に魔法を使うと翌朝は起き上がるのがつらいので、昼まで眠らせてもらっていると話したことがある。
警護団の出動要請が続いている今、レーヌの体調のことが気がかりで、自分を犠牲にすることも厭わない彼女のことだから、警護団から呼び出しがかかれば体調が悪くても無理して討伐現場に向かうことはたやすく想像がついた。
案の定、ここ数日、警護団に呼ばれて出動するようになってから、日々体調が悪く、朝食と夕食を食べずに横になる日が続いているとセレストから報告が入ってきている。
警護団から呼び出しがかかった頃、テオドールはリアムに、しばらくの間、妃教育の中止と警護団への参加を極力減らすように伝えた。
妃教育については、根回しが必要で少し手間取ってしまったが、延期しても大丈夫だということになり、レーヌに伝えに行こうとした矢先に事件は起こった。
レーヌは毎日のように警護団に呼び出され、出動しているうちに、体の限界を悟りはじめた。
昼は妃教育、夜は魔物討伐で魔法を使う。精神的にも肉体的にもぎりぎりなのだが将来の王妃として求められるマナーについてレベルを落とすわけにいかずに気力を振り絞り勉強を続けている。
それというのも、イアサント宰相の件について、何も報告がなく、いつここから出られるのか見通しがたっていない。
その間にテオドールの婚約者として社交の場に出る可能性も考えられる。
社交の場でマナーの悪い王妃だと印象付けてしまえば他国から軽んじられてしまう。
レーヌ個人の弱音にこの国の体面を汚すわけにいかない。その気持ちで妃教育に取り組んでいる。
警護団から呼び出され続けた7日目の朝。
毎朝、侍女たちは声を掛けることなく様子を確認してヨランドがくるまで寝かせてもらうことが続いているのだが、この日の朝に限ってリゼットが起こしにきた。
「レーヌ様、体調の悪い時に申し訳ありません。テオドール殿下の側近のエドメ様から伝言があり、話しがあるので執務室にきてほしい、ということです」
「テオドール様から?了解しました。すぐに準備してください」
「かしこまりました」
リゼットはレーヌのかすれ気味の声に痛々しい表情を浮かべていたが頷くとすぐに桶にお湯を入れると、レーヌに渡し、その後クローゼットに入っていく。
手早く着替え終わると、リゼットの手を借りてドアに向かう。
ドアを開けて待っていたのは、茶色の髪を後ろに結び、文官の制服を身にまとっている人物だった。
「レーヌ様、朝早くから申し訳ありません。テオドール殿下の側近で文官をしています、エドメと申します。テオドール殿下がこの時間しかないので至急呼んでほしいとのことで伺わせて頂きました」
エドメは困った顔をしているが、口元は少し笑みを浮かべていた。
レーヌは気力を振り絞ると、背筋を伸ばし、かすれ気味の声で、
「挨拶をありがとう、エドメ。まいりましょう」
とはっきりと伝えた。
レーヌの言葉にリゼットは後ろについたが、
「リゼット、先ほど侍女長が探しておりました。早めに行かれたほうがよいのではないでしょうか?」
とエドメに言われ、怪訝そうな顔をしたが、
「はい、了解しました」
と伝え、レーヌから離れた。
「レーヌ様、参りましょうか?」
リゼットは2人が廊下を歩いて行くのを見送った。
リゼットが侍女長の部屋に姿を見せるとエリーズは怪訝な顔をして、
「リゼット、どうしました?」
その言葉にリゼットは首を傾げる。
「テオドール殿下の側近のエドメ様から、私を探していると聞いたのでこちらにきたのですが……」
「エドメが?そのような伝言は頼んでいないのですが……」
エリーズは困惑の表情で考え込んでいたが、
「殿下に確認してみましょう」
と席を立ち、リゼットを伴いテオドールの執務室へと向かう。
だが、テオドールはエドメに伝言を頼んだことはない、とエリーズに伝えた。
その瞬間に執務室は重い雰囲気に包まれるが、テオドールは怒気を含めた声で、
「リアム!」
と呼ぶ。
「聞いておりました。エドメの所在を確認してまいります」
とすぐに執務室を出て行った。
「エリーズ、リゼット、報告感謝する。あとはこちらで確認するから下がれ」
名指しされた2人は頭をさげ、執務室から出て行く。
テオドールはリアムが戻るまでひたすらレーヌの無事を願い続ける。
慌ただしくノックをする音に顔をあげ、ドアが開くのを待つ。
「殿下、戻りました。エドメですが、本日は休暇を取っておりました」
リアムは青い顔をして、結果を報告した。それを聞いたテオドールは舌打ちすると、
「リアム、リシャルはどこにいる!?」
「はい、そちらも確認しておりまして、今日はまだ王城にきていない、とのことです」
「レーヌに呼びかけられるか?」
「先ほどから話しかけているのですが、反応がありません……」
「イアサント家に潜り込ませている警護団のシモンはどうだ?」
「……リシャルは朝いつもの時間に登城し、アデールは朝から顔を見ていないということです」
テオドールは机にこぶしを叩きつける。
「手がかりなしか!?」
テオドールは絶望の中に放り込まれた。
レーヌは痛さで目が覚める。
(ここはどこだろう……?)
あたりを見回すと、薄暗くてかすかに石造りの部屋というのはわかったが、窓がないため今の時間がわからない。
徐々に感覚が戻ってくると自分の体は全身を縄で縛られ、手足を動かすことができない状態で冷たい床の上に横たわっているとわかる。
口は布を噛まされているのがわかる。
レーヌは状況を確認しようと部屋から出た時のことを思い出してみる。
エドメに呼び出され、部屋からテオドール殿下の執務室に向かう途中の廊下で、突然目の前に甘い匂いのする液体を吹きかけられ、意識を失った。
そこまで思い出した時に、静かにドアが開き廊下から光が漏れてくる。
真っ暗な部屋の中にいたので、少しの灯りでも目が痛い。
少し目を細め、ドアを見ると、見たことのある女性がいる。
「あら?やっとお目覚めになったのね。そのままずっと眠っていてもよろしかったのよ?」
憎しみ交じりの声で話しかけてきたのは、テオドール殿下の婚約者だったアデールでドアの前に立っている。
その顔は慰労会で見た時よりも、怖い顔をしていて、レーヌをにらみつけている。
部屋の灯りをつけ、ドアを後ろ手に閉めるとつかつかとレーヌの元に近寄り、右足でレーヌのお腹あたりを踏みつける。
「……!」
声が出なくて息が漏れるような音しかでない。
アデールはしゃがみこむとレーヌの体を起こすと頬を思いっきり叩く。
その衝撃で体が横に動きそうだったがアデールは縄を持って動かないようにしている。
そして、反対の頬も思いっきり叩く。
「私のテオドール様を奪おうなんて、許さない!テオドール様の横には貴方のような醜女なんてふさわしくないのよ!」
アデールは話しながら激高しているようで、さらにレーヌの頬を叩くと立ち上がり、座らせているレーヌの背中を思い切り蹴る。
口に布を噛まされているため、うぐ、としか言えないレーヌにアデールはさらに背中を思いっきり蹴ると床に転がし、再び、お腹のあたりを踏みつける。
レーヌは抗う術もなく、アデールのなすがままになっていたが、その時、部屋のドアを開ける音が聞こえた。
「アデール、レーヌの様子はどうだ?」
聞き覚えのない声だったが、アデールは、
「お父様!目覚めたようですわ!」
と喜々とした声を上げる。
レーヌは痛みでもうろうとしながら、
(あれが、イアサント宰相なのかしら?)
と思っていると、
「毒薬はもう作りまして?」
「ああ、できた。今度はかなり強力な毒薬を作れたぞ」
イアサント宰相もまた喜々とした声でアデールに返事をする。
(毒薬?どういうこと?)
痛みが全身を襲っていて、しっかりと考えることのできないレーヌにイアサント宰相は近づくと、気味の悪い笑顔を浮かべながら、
「初めまして、レーヌ・アストリ様。私はこの国の宰相を務めています、リシャル・イアサントと申します」
丁寧に挨拶するが、レーヌはじっとその顔を見ることしかできない。
リシャルは口元に笑顔を浮かべながら、
「私がこの国の地位を強固にするためには娘を殿下に嫁がせないといけません。そのためには貴方が邪魔なんですよ」
リシャルは懐からガラスの容器を取り出し、
「将来のある貴方のために傷をつけたくないので、2つの選択肢を用意しました。1つ目はここで婚約者を辞退し、速やかに王城から去ること。2つ目は…」
ガラスの容器をレーヌに見せながら手に持っていたティーカップに注ぎいれる。
「これはアデールにつきまとっていた男性を殺したのに使った毒薬でしてね」
にや、と笑いながら、
「その男性を殺した犯人はいまだ捕まっていません。なので、あなたが犯人として、同じ毒薬をのんで自害したことにするのです」
それに、と懐から手紙のようなものを取り出すと、
「この手紙には、貴方が男性を殺し自害したと書きました」
ふふ、と笑うと、
「さて、どちらがいいですか、レーヌ嬢?」
「お父様、私に恥をかかせておいて、生きて帰すなんてありえませんわ!」
アデールは怒りの混じった声でそういうとレーヌの口の布を取り、イアサント宰相からティーカップを奪い取ると口元に持っていき、レーヌに飲ませようとする。
レーヌは顔を左右に振り、何とか逃れようとしているが、イアサント宰相が後ろからレーヌの頭を押さえつける。
アデールは恍惚とした表情を浮かべ、レーヌの口元にティーカップを押し付ける。
(ああ、もうこれまでだな)
覚悟を決め、涙を一筋流した後、突然男性の声が聞こえてくる。
「イアサント宰相、そこまでだ!」
ドアを見ると、リアムがいて、その後ろにテオドール殿下がいるのがわかる。
テオドールは部屋に入りながら、
「イアサント宰相、私の婚約者に何をしているのだろうか?」
「ああ、これはテオドール殿下、ごきげんよう」
「挨拶は結構だ。何をしているのか聞いているのだが?」
「ええ、王城の廊下で気を失い倒れている、レーヌ嬢を発見しましたので、こちらの部屋に運び入れ、気付け薬を飲ませようかと思っておりました」
「ほう。見ている限り、我が婚約者は気付け薬が必要な状況ではなさそうだが?」
「失礼しました。愛しい殿下の声が聞こえたので意識を戻したのでしょう」
「そうか?」
テオドールは考えこむふりをして、
「その薬は気付け薬といったな。せっかく作ってきたのだから無駄になるな。そうだイアサント宰相、その薬を飲んでみてくれないか?効果がはっきりとわかれば、王城御用達として発売しよう」
その言葉にわずかに怯えるイアサント宰相は、
「いえいえ、無駄になっても問題ありません。レシピはありますので大丈夫です」
「いや、飲んでみてくれ。どのような効果があるのか目の前で確認したいのだ」
「いえいえ、対象者がいなければ試しようがありませんよ、テオドール殿下」
「なぜ、そんなに飲むことを否定するのだろうか、イアサント宰相?ああ、親が拒否するのなら、娘に飲んでもらおうか?」
イアサント宰相は脂汗を浮かべながら何かを考えているようだが、テオドールは座り込み固まっているアデールから持っているティーカップを奪い取ると、イアサント宰相の目の前に差し出す。
すると、イアサント宰相はそのティーカップを払い、その場にぶちまける。
「必要ない、と言ってるのだ、テオドール殿下」
「ほう。そうか。ならば、それが本当に気付け薬なのか、この部屋にいる者に聞くとしよう」
テオドールが合図をすると、部屋の中から3名の男性があらわれた。
「この部屋にイアサント宰相が出入りしていると情報を聞き、王城の中でも優秀な諜報員、3名を忍ばせておいた。その証言によってその薬の正体もわかるだろう。そして、アデール嬢。あなたのやったこともすべてわかっています」
そこまで話すと、リアム、と呼び、騎士が数人部屋に入ってきて、呆然とするイアサント宰相とアデール親子を拘束して部屋から連れていく。
レーヌは2人を見送ると安堵したのか、意識が遠のくことを感じる。
その時、駆け付けてきたテオドールの左手首のブレスレットを見て、レーヌが着けているのと似ている気がして思わず、
「リュカ……」
と小さな声で言うと、そのまま意識を失った。