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第3話 刎頸の交わり

中学の頃のアカウントに触ったら、すっかり冷たくなっていた。

あの頃の私といえば、恋に燃え、ただただ罪深く、
このアカウントはいわばその頃の燃えカスのようなものなのである。けれど、アカウントには当時の私達の交わした会話が全て残っていて、どうにも捨てきれずにいる。

私達の会話、私と、|オ《・》|ソ《・》|ノ《・》|イ《・》の会話。
本当のことをいうと、私は二度とオソノイに近づいてはいけなかったのだろう。でもあまりに彼女が無防備なものだから、話しかけるしかなかったのだ。「あまりインターネットでの出来事を学校でいうもんじゃないよ」ってね。

そこまでなら神様もお許しになっただろう。でも、結局私は、オソノイから離れられないで昔のような関係を望んでしまっていた。私のみが秘めていれば、きっと大丈夫だと思い込もうとして。

そんなこと、続けられるはずないのに。

XXX

「初めまして播川瑞羽ちゃん。この顔覚えてる?知らないわけは、ないと思うんだけど」
秋窪紅葉はいきなりベンチの前に現れ、携帯の画面をかざした。

彼女は一個上の先輩で、私達の通う|甘王寺《かんのうじ》高校ではとっても人気者だから、突然声を掛けてきた時はすごく驚いたものだ。

細身の長身に男装と言えなくもない服。何よりも爽やかな物言い。顔立ちはちょっと不健康そうなのが良い。とはクラスメイトの談である。

私はたまたま入学初日にオソノイと出会っていたが、そうでなければ同級生の女子と一日に一回はこの人の話をすることになっていただろう。それくらい人気者なのだ彼女は。

そんな人気者の彼女に名前を知られていたのは喜ぶべきことだったのかもしれないが、近所の公園まで|つ《・》|け《・》|ら《・》|れ《・》|て《・》|い《・》|た《・》とあっちゃ喜べようはずもない。

「ええ、知っていますよ。秋窪さん。あなたのことも、彼女のことも」私はにっこり笑って言ってやった。

携帯の画面には煽情的でありながらも、子供っぽく笑う女性が表示されている。水着姿で、こちらを真っ直ぐ見据えている。

彼女は|中田愛弓《なかたあゆみ》といって、現グラビアアイドルで、元舞台役者の、|私《・》|の《・》|罪《・》|そ《・》|の《・》|も《・》|の《・》だ。

「私は彼女に頼まれて君に声をかけたんだ。この意味、分かるかな」
秋窪紅葉は、優しそうな笑みでそういった。私はとうとうこの時が来たかと嘆息し、彼女との交渉に応じたのだった。

XXX

次の日、私は秋窪さんにカフェに呼びつけられていた。オープンな雰囲気のある白いカウンター席で、彼女は私を待っていた。

流石に甘王寺高校一番人気の先輩というだけあって、白シャツを着て足を組んでいるだけでいたく様になっている。ちなみに私は三番人気くらいなのだが、オソノイは常に最速で学校を往復してるから人気どころか存在が怪しまれている。

「ここまで来るの大変じゃなかった?学校の近くだとちょっと目につくからさ」
私が席につく前から、彼女はまるで十年来の友人かのように話し始めた。無視する。
「何の御用ですか?」私が席に付きながら聞くと、彼女は一切答えずに「何か飲むかい?」と、尋ね返してきた。そんなすぐ済む話ではないということは分かっているが、談笑ができるほど陽気ではいられない。

「…アイスミルクをお願いします」
「アハハッ。かわいいね。始めてみたかも」カフェインは飲めないのだと言い返しそうになったが、こらえる。そんな話をしに来たのではないのだ。

「それで、中田愛弓さんが、私にどういう御用なんですか」
「愛弓の使い、っていうのは嘘」秋窪紅葉はこともなげに告げた。

「…私、帰ります」あまりに平然というものだから、判断が遅れた。
「まだアイスミルク、来てないよ」
「…お代は置いておきます」私が立ち上がって財布を出そうとすると、秋窪紅葉はニヤけながら私の手を押さえつけた。
「よくないなあ。それはよくない。ねえ、オソノイちゃんもそういう態度は好きじゃないと思うよ」

彼女はニヤつきながらも、「オソノイ」という単語で変化する私の表情を見逃すまいと目を光らせていた。どうやら彼女は、オソノイのことで私を脅すつもりらしかった。ああ。イラつくなあ。

「手、離していただけませんか?それに、オソノイは関係ありません」
「関係あるじゃないか」
「ありません」
「くじらの小部屋、だっけ」
突然の懐かしい言葉に言葉がつまる。彼女は畳み掛けるようなことはせず、静寂が続く。

気がつくと、ソムリエエプロンのフロアスタッフがアイスミルクを持ってきていた。
「アイスミルク、来たみたいだけど」秋窪紅葉はにやけながら言った。私は溜息をついて席に付き、グラスにストローを指した。交渉が、始まる。

「何がお望みでしょう」来た時と同じことを聞く。けれど、今回彼女にははぐらかすつもりはないようで、もったいぶって答えた。

「『メトロトレミー』の舞台が行われる。そこに君は登場してもらいたい」彼女は真っ直ぐに私を見据えている。

ここで『メトロトレミー』の名前が出てくるのはある意味当然だと言えた。
私と、オソノイと、中田愛弓を関連付けているものといえばそのくらいである。

天才と呼ばれたアーティスト、在野恵実によって作られた『メトロトレミー』は、一部の過激ファンが子役である中田愛弓に大量の脅迫文が送りつけられた事件、『メトロトレミー子役脅迫事件』によって終焉を迎えた。それが、世間一般に知られているコンテンツの終焉である。

そこに一点付け加えるとすれば、その脅迫文を送りつけたのが|私《・》|で《・》|あ《・》|る《・》ことを加えればばっちりだろう。

だからこそ、分からない。当時の件で私を脅迫をするのでもなく、舞台に出演させるのだという理由が。

「その…在野さんがそんなことお許しになっているんですか?」
まず、稀代のカリスマと呼ばれた彼女が今更終わったコンテンツに執着するとも思えなかった。
「それがねぇ、これ在野さんの案なんだよね」
「……………」
言われてみれば意外と腑に落ちた。
天才と呼ばれた彼女は、昔から時折突飛なことをしては話題を生んでいた。

「それで、くじらの小部屋の話をネタにして私をそれに付き合わせようというわけですか?」
秋窪はコーヒーを飲んで答えようとしない。それは暗に「分かっているんだろ」と言っているようだった。

くじらの小部屋とは私とオソノイとあと一人、|沖宮青葵《おきみやあおい》が中学生活のほとんどを費やした「|な《・》|り《・》|き《・》|り《・》|専《・》|用《・》|チ《・》|ャ《・》|ッ《・》|ト《・》|ル《・》|ー《・》|ム《・》」である。

そしてこの場合「くじらの小部屋」という脅しは「播川瑞羽が『メトロトレミー』の舞台を中止に押し込んだ」という事を|意《・》|味《・》|し《・》|な《・》|い《・》。

私はその罪をむしろ告白したかったくらいだし、脅迫文を手書きで送っている以上私の生殺与奪の権はくじらの小部屋の話を持ち出すでもなく在野さんに握られている。

今、このタイミングで彼女が私にアクションをしかけたということは十中八九、私の告白したくない|方《・》|の《・》ネタを手に入れたということだろう。

「オソノイちゃんが知ったらどう思うかな?自分が『メトロトレミー子役脅迫事件』の関係者だと知ったら。いや、それ以前に君がその当事者だと知ったら」
「オソノイは関係ないとさっきから言っています」

秋窪は今までのにやけ面をやめ、多少はその瞳に真剣さを宿しているようだった。
私はてっきり彼女がただの脅しを楽しむ享楽主義の加虐嗜好のサド野郎なのだと考えていたが、どうやら復讐に燃えるサド野郎だったらしい。

おそらく彼女にとって私の周囲などどうだってよくて、「子役脅迫事件」こそが肝要なのだろう。となれば、中田愛弓の関係者か。

私はアイスミルクにシロップを入れながら尋ねる。
「中田愛弓さんとはどのようなご関係なんですか?」そもそも秋窪紅葉は彼女を愛弓と呼んでいたし、只ならぬ仲なのだということは予想がついた。

事件以前の中田愛弓は子役として何度か舞台に登場したこともあったらしいが、名前が広まることはなく『メトロトレミー』が代表作になる予定だった。

私が彼女の夢を断ってしまった以上、当然私は彼女の舞台にはどんな小さなものであっても可能な限り向かったし、ネット上でも応援し続けた。しかしある日のこと、突然方針を転換し彼女はグラビアアイドルになったのだった。

彼女はそっちの道で成功を収め、私の活動は舞台巡りから雑誌集めに移った。インタビューも読んではいるが本心は分からない。だから、今回の交渉には彼女が関わっているものだと思った。今回の呼び出しに応じたのもそのためだ。

「ん?愛弓は今回の件には関係ないさ。名前を出して悪かったが、彼女とは二年以上会っていないしね」
「そう、なんですか?」二年前というと、中田愛弓がグラビアに転換した時期か。

「今回の舞台は、脅迫状の内容を読んだ沖宮青葵が、くじらの小部屋での出来事を在野恵実に話したことで提案された」彼女は端的に言った。

脅されるにあたってこれほど恨みを買った人物の候補が多い人物に嫌気がさす。
沖宮青葵は私とオソノイを除いた唯一のくじらの小部屋を知る人物で、在野さんは私の脅迫状を握っている。今の私はまな板の上どころか、切り分けられて口元に運ばれている状態だ。

あれ、とそこで思い至った。私を脅そうとしている三人。沖宮青葵と在野恵実には動機がある、だが、目の前の秋窪紅葉にはぱっと思いつく動機が見つからない。中田愛弓の復讐でもないとすれば、なんだ。

「あの…秋窪さんは、どうしてそのお二人の計画にご参加なさっているんですか?」
「簡単なことだよ」アイスミルクの氷が溶けカラン、と音がした。

「瑞羽ちゃん。私は君が欲しい」

XXX

話を聞いてみると、秋窪はとんだサイコ野郎で、そのうえどうしようもなく卑劣だった。加えてそれらの要素を活かしきるに十分な偏執さを持ち合わせている最低のクズだった。

カフェで別れた私に対して次に秋窪紅葉が待ち合わせ場所に指定してきたのは彼女の自室だった。
部屋に入ると、壁一面に中田愛弓のグラビアやポスターが飾られていた。この分ではどうせ、一人暮らしだろう。

彼女は私のためにわざわざアイスミルクを用意してくれたが、「君が欲しい」と言われて呼び出された部屋で、誰が飲み物に手を付けるだろうか。

クッションに座って白いちゃぶ台を眺めている私を観察することに飽きたのか、秋窪はポツポツと語り出した。

中田愛弓と幼馴染だったこと、彼女をずっと応援してきたこと、彼女が本当に『メトロトレミー』を好きだったこと、だから主演が決まって本当に喜んでいたこと、脅迫によって舞台が中止になって心の底から悲しんでいたこと。そして、彼女はそれを恨んでいないこと。

ここまでは私も知っている内容が多かった。もちろん秋窪紅葉の存在は知らなかったが、それ以外の知識は中田愛弓のインタビュー記事からも手に入った。

だが、その後の彼女の言葉は意外だった。
「だから私も君の破滅なんて望んじゃいないんだ。私は君を守るためにここにいる」

その現行不一致の甚しさが気味悪かった。だったら脅さないで欲しい。と思っていると、彼女はこんなことを言い出した。

「このまま舞台を始めると、間違いなく誰も幸せにならないんだ」

そういうと彼女はファイルから冊子を取り出した。
今度の舞台の台本だろうとすぐ察しがつく。

誰も幸せにならないとはどういうことだろうか。少なくとも復讐者である沖宮青葵と在野恵実、それにオソノイは、「『メトロトレミー』の舞台やるらしいけど、二回目以降は一緒に観る?」とか言ってきそうだ。

「読んでみて」促されるままにページを進める。
その度に、頭が痛くなる。台本を理解する事を脳が拒否しているかのようだった。

「なんですか、これ。こんなの『メトロトレミー』じゃ、ない」かろうじて絞り出された声だった。読んでいた手が震える。

それは舞台とは名ばかりの暴露ショウだった。

その台本には、『子役脅迫時間』の真実が形だけ『メトロトレミー』に則って書かれていた。だが、この舞台を観覧すれば、誰が観たって「子役脅迫事件」の事だと分かるだろう。

台本を読んでいると、当時の感情が蘇ってくる。くじらの小部屋に、一日中張り付いていた時のこと。

「青葵は、本当に私のこと恨んでたんだね」
台本にはくじらの小部屋での出来事も鮮明に描かれていた。ここでの出来事を知っているのは私とオソノイと青葵の三人だけだ。あの臆病な青葵がこうして脅迫にまで踏み込んだということは何かそれに値する感情があったのだろう。

「そこに書いていること、本当なの?正直私にはにわかに信じがたいんだけど」
秋窪がパラパラと台本をめくりながら言った。
「概ね正しいです」というと、秋窪が笑った。
「ひどいなぁ。いや、こんな脅しを受けている時点で、只者じゃあないと思ってはいたけどさ」
脅している本人が何をいうか。

秋窪は居住まいを正しながら「もう一回聞くけどさ」と続けた。
「君は本当にここに書かれている通り、|当《・》|時《・》|会《・》|っ《・》|た《・》|こ《・》|と《・》|も《・》|な《・》|い《・》オソノイちゃんに恋慕して、|ま《・》|だ《・》|開《・》|か《・》|れ《・》|て《・》|も《・》|い《・》|な《・》|い《・》|舞《・》|台《・》|の《・》|子《・》|役《・》|に《・》オソノイちゃんを取られるんじゃないかと嫉妬して、さらには、舞台を中止にさえしてしまえば自分が亜萌天子になれると妄想して、脅迫文を送りつけたということに間違いはないね?」

「…そんな大したものじゃないです。オソノイ、という名前は知りませんでしたが。くじらの小部屋にいた辻凛花のなりきりと私は婚約をして、その彼女が中田愛弓を褒めるものだから焦燥感と嫉妬から脅迫をしただけです」

当時、冴えない中学生だった私の居場所はといえばSNSの『メトロトレミー』のファンコミュニティのみだった。そのコミュニティ内で私は青葵に「面白いサイトを見つけた」と言われ、くじらの小部屋に参加したのだった。

私にとっての青葵は数多くいるフォロワーの一人だったし、当然彼女にとっての私も同様だっただろう。それでも、たまたま私達はあの時やり取りしていたし、二人にとってくじらの小部屋は暇潰しに足りそうなものだと思えた。

だが、私達の運命はそこから奈落に落ちながら混ざり合うこととなる。くじらの小部屋の「メトロトレミーなりきり専用チャットルーム」には一人だけ先客がいたのだ。

辻凜花:おい、お前らいきなり二人組で押しかけてきて一体何者だ!

オープンチャットに押しかけるも何もないだろう。というか、そもそも一人だったんなら来客を喜べよ!とか、色々突っ込んだことを覚えている。

このふざけたチャットが、忘れたことのない、私とオソノイのファーストコンタクトなのだった。

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