9.密入国
宿の入口から出て空を見ると新月なのか、月が浮かんでいなかった。
暗闇の中、トゥイーリはマレの手を握り、マレの目を信じて慎重に町を歩いていく。
最初に目指すのは町を出てすぐにある森の中だ。
その森の中を西側に進み、国境を越え、ザラール国に入る。
夜の森は暗くて不気味だが、ここを抜けないことにはザラール国に入ることはできない。
マレは迷いなく暗闇の中に足を踏み入れた。
足元で枯葉をふむ、かさかさという音が闇の中に響く。
(あまり音を立てたくないが、人間だから仕方ない。国境警備隊に見つかりませんように)
マレは今は人間に変身しているが、もとは猫なので暗闇でも物をはっきりと見ることができるし、音も人間よりはよく聞けている。
周りに人間の気配がないか確認しつつ、検閲所の灯りを頼りにひたすら西に進んで行く。
やっと検閲所の灯りが右手後方に見え始めた時、国境を越えたと思った。
トゥイーリの手を引き、
「国境を越えた」
と耳元で囁く。
その一言で、トゥイーリからわずかに緊張感がとけたようだ。
ザラール国の国境の町へは森を抜けてすぐのところにある。
いまはまだ夜中のため、この森の中で夜を明かすことになるので、周りを見渡し、葉がたくさんついている木を探す。
冬なので、枯れている木が多いのだが、奇跡的に1本、青々と葉を茂らせている大きな木を見つけた。
あたりを見回し、人の気配がないことを確認したマレは
「この木の上で夜を明かそう」
と伝えた。トゥイーリは
「木登りやったことないんだけど…」
「大丈夫だ」
とマレはしゃがみこむと
「肩に乗ってくれ」
と伝えた。
「わかった」
と、おずおずとマレの肩に乗り、頭に手を置く。
「動くからつかまっていろ」
マレはトゥイーリの足を自分の体と腕の間に挟み込むようにし、ゆっくりと立ち上がっていった。
頭上では、トゥイーリが小さく悲鳴を上げたのが聞こえた。
「手の届くところに太い枝があるはずだ。そこに移れ」
「はいっ」
トゥイーリは少し腰を浮かし、手を伸ばし、枝につかまった。
様子を察したマレは、トゥイーリに片足を肩に乗せて立ち上がらせた。
マレの肩を足場にして立ち上がり、無事に枝に乗り移った。
地面に置いたカバンをトゥイーリに渡すと、
「そこで待ってて」
マレは猫に戻ると、腰を落とし、木に向かってジャンプする。
枝までは届かなかったが、爪を出して木を登り、トゥイーリと合流する。
「猫って、木に登れるのね…」
トゥイーリは感心したような声でつぶやいた。
視界の中は、一面の葉に覆われていた。
これなら人に見つかることはないだろう。
カバンを幹と背中の間に置き、クッションがわりに使う。足は枝に添わせるようにまっすぐ伸ばす。その足の上でマレは猫のまま、丸くなった。
「一晩、窮屈だけど、我慢してくれ」
「なかなか経験できないことね」
苦笑いをしてそのまま、落ちませんようにとつぶやき、目を瞑った。
まぶしさを感じて目を開けると、周りが明るくなっていた。
マレはすでに目覚めているようで、こちらを見ていた。
「移動するけど、動けるか?」
「うん、大丈夫だと思う」
その言葉を聞いて、マレは地上に降りて、人間に変身した。
「先にカバンを」
その言葉で、クッションがわりにしていたカバンをマレに手渡す。
カバンを地面に置いたマレは、
「昨日と逆で、まず肩に乗って、そのまま座ればいいから」
とトゥイーリに説明した。
「うん、わかった」
ちょっと怖がっているような声色だが、今以上に明るくなると、人に見つかる可能性が高くなる。
「やっぱり、いいや。そこから下に向かって降りればいい。受け止めるから」
と伝えた。
「ひぇ…」
と小さな悲鳴が上がったか、すぐに降りてきた。
受け止めて、そのまま地面に立たせた。
「すぐに移動する」
マレはトゥイーリの手を取って歩き始めた。
そんなに歩かずに森を抜けると、近くに建物が見えた。
「あそこが国境の町?」
「そうだ。ワランという町になる」
二人はゆっくりと町に近づいて行った。
国境の町、ワランは小さな町だった。町中を歩いても1時間ほどで1周できそうだった。
この町は特殊で、ルアール国の通貨も、ザラール国の通貨も使えるらしい。
とりあえずは、宿を確保しようと町を歩き、最初に目に入った宿屋に確認すると、すぐに部屋に案内してくれた。
やっと、緊張から解放された二人は吸い寄せられるようにベッドへ向かい、そのまま眠ってしまった。
最初に目覚めたのはマレで、人間のままで眠ってしまった自分に苦笑していた。
窓から外を見ると夕方近くになっていた。
一応窓から見た限り、怪しい人影はなかった。
ほっとしたところで、トゥイーリも目覚めたようだ。
「とりあえす、食堂にいくか?」
「うん。お腹すいた~」
部屋の鍵をしめて、階段を降りる。
夕食には早い時間だと思うが、食堂からは美味しそうなにおいがしていた。
その匂いに、トゥイーリのお腹が、ぎゅ~と音を出す。
食堂に入り、マレはいつものように店員に名物料理を聞いて注文した。
しばらくして、店員が魚のぶつ切りとスープと串にさした肉とごはんをもってきた。
魚は白身魚で、マレの目が輝く。
料理はどれも初めてみるものばかりで、赤色のスープは酸味を少し感じるが、飲みやすく、野菜がゴロゴロとたくさん入っていて、串に刺した一口大のお肉は香辛料が効いていて、食べ始めたら止まらない。ごはんは炒めているのか、パラパラとしていて具材はほぼないが、あっさりとした味付けでさらさらと食べられた。
どれもルアール国では食べたことのない味付けだったがあっという間に平らげてしまった。
「おいしかったわ!」
満足気につぶやくトゥイーリに、マレも同意、とばかりに頷いていた。
食事のあと、トゥイーリを先に部屋に戻し、マレは受付に行き、王都のルクンに向かう馬車について確認した。
ルクンまでは一日1便で、8時頃に出発して夕方の18時に到着。停車場の場所を確認して部屋に戻る。
トゥイーリに明日の行動について説明したあと、明日も早いからと、すぐに眠ることにした。
トゥイーリは明日こそ、緊張感から解放されますように、と思いながら眠りについた。