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第40話 開く神あれば塞ぐ神あり

 時中が手にした機器を岩壁の方向に向け、ゆっくりと、自分の体を中心にして機器の先端で円を描くように回る。それが洞窟の奥へ向けられた時、黒く沈黙していた機器の表面にふっと、ほの白い光輝が灯った。ふわ、ふわ、ふわ、と音もなく点滅を繰り返し、そして消える。
「こっちにあるということですか」時中が訊く。
「そうですね」天津が頷く。「行ってみましょうか」
 一行は、白い光が灯った方向へと足を進めた。時中は機器の先端を同じ方向に向け続け、その表面には時折、ふわ、ふわ、と、気まぐれとも取れそうな頻度で光輝が灯っては消えた。
「この白い光の強弱で、あの空間までの距離が測れます」天津が説明する。「今のこの状態だと、まだ百メートル以上は先にあるという感じです」
「近づいて行くと、もっとはっきり光るということですか」時中が確認する。
「はい、正しい方向に進んでいればそうなります」天津が頷く。「しかし距離が長い分、ほんの僅かでも方向がずれてしまうと、もうまったく光らなくなってしまう事になります」
「それで岩壁を叩くのはどういう状態になってからですか」
「もう少し近づくと、今度は青い光に変わってきます。その辺から、探り始めるといいですね」
 この二人のやり取りの隙間に、結城の「へえー」または「ほおー」そして本原の「まあ」が、差し挟まれた。
 一行はやがて、時中の手の機器が青白い光を点灯させっ放しの状態になる所にまで辿り着いた。
「では、始めましょうか」天津が指示を出す。「“目”を探します……が、今度はこの、時中さんの機器の様子に気をつけながら探っていって下さい」
「どうなるんですか」時中が、自分の手の中の機器を見下ろしつつ訊く。
「青い光が、さらに近づくと今度は緑、そして黄色と偏移していきます」
「赤色偏移のようですね」
「はい、でもオレンジ色から赤色になってしまうと今度は逆に、離れてしまったという合図になります」
「では、黄色よりこっちには来ないよう、見ておく必要があると」
「その通りです」
 この二人のやり取りの隙間に、結城の「なるほど」または「ほうほう」そして本原の「まあ」が、差し挟まれた。
「さあ、ではお願いします」天津がにっこりと微笑む。

     ◇◆◇

 今もその存在に、地球は気づいていた。
 スサノオだ。海洋圏、地圏、大気圏と、実にあちこち自由に飛びまわっている。別の言い方をすれば、落ち着きがない。
「ねえ」試しに、声をかけてみた。「君はどこから来たの」
 スサノオはぴたりと止まり、しばらく様子をうかがうようにじっとしていた。地球は答えを待った。
「百五十億光年の彼方」スサノオはぽつりと呟いた。
 地球はわざと返事しなかった。
「なんて、な」スサノオはばつが悪いのか、やたら明るい声で続けた。「かっこいいだろ」
「自分は特別だっていいたいの?」地球は、我ながら意地悪だと比喩的に思いつつ訊いた。
「俺は好きにやってるだけさ」スサノオは、こちらも比喩的にそっぽを向いた。
 それ以上、互いに何も言わずにいた。
 やがてスサノオはまた元通り、海洋圏、地圏、大気圏と方々を飛び回り始めた。地球は、神たちの仕事の方に比喩的に意識を向けてみた。神たちの“仕事”――それも比喩的で、しかも諧謔的な言い方だ。
 ――神が、人間の真似事をしているんだもんな。
 地球はそんなことを思って、比喩的にくすくすと笑った。

     ◇◆◇

 新着メールが一件あった。開くと、本社の総務からだ。担当の名を見ると、入社時の本社研修で少し話をした事のある先輩女性社員だった。用件はごく事務的な、某月某日までに何某の件につき、まとめ報告願いますとの事だった。しばらく茫然と、その文面を見る。
 ――わかってますよ、その件は。
 脳の表面でそう思う。
 ――あと二件、数値の確認を取るだけだから……期日の二日前には確実に報告できます。
 ごく微かに、ほとんど心の中だけで、溜息をつく。
 ――ご心配ありがとうございます。

 「ほら、そこ」天津は畑中の、華奢な肩の上から呼びかけた。PC画面の、メールの文面を指差しながら。

 畑中の眸が、はっと見開かれた。
 ――あ……そうだ!
 畑中の指は素早くキーボード上で踊り、僅か一分後、彼女はそのメールに個別返信を送信した。思わず両手を組み、ぎゅっと眼を閉じる。何分、かかるだろうか。或いは、何十分か。或いは、何時間――最悪でも今日中に、届きますように!
 二分後だった。
 開いてボディの内容を目に映すまでに五秒、内容すべてを理解するのに十秒、そこに記してあった通りに“謎の書類”を処理し終えるのに一分だった。
 すべて、終わった。畑中は背もたれに身を預け、やはり密かに、安堵の吐息を洩らした。大きく息を吸い、もう一度。さらにゆっくりと、息を吸う。
 ――ああ、神さま。
 PCの、先輩から届いた書類の処理方法についての返信文面を見ながら、思う。
 ――ありがとうございます!
 心から、思う。

「どういたしまして」天津は笑顔で、その華奢な肩の上から答えた。「先輩にもね」

 ――あそうだ、お礼のメールしなきゃだ。
 畑中は、返信の返信への返信を打ち込み始めた。先輩から来ていた「処理方法」のメールの最後には、先輩にしては珍しく――また業務メールとしては“違法”ながら、笑顔の顔文字がついていた。畑中もそれに応え、“法”を密かに破って笑顔の顔文字をつけて送った。

     ◇◆◇

 天津がそんな“副業”を行っている間にも新人たちは岩の“目”を探りつづけ、その結果、

 ひょんひょんひょんひょんひょん

という例の音とともに、その作業の終焉を迎えた。今日それを、文字通り叩き出したのは、本原だった。
「見つかりました」特に表情を変えることもなく、彼女は振り向き皆に報告した。
「おおっ」結城が叫ぶ。「やったね本原さん、岩の目初ゲットだ! じゃあ、時中君」振り向き、同期に指図する。
「――」時中は何かを耐え忍ぶ顔で無言のまま、岩に穴を穿った。
 そして三人は、結城を中心にしてその穴の前に並び、姿勢を正した。
「閃け、我が雷よ」時中が言う。
 鹿島が、PCを打ち込みながら小さく頷く。
「迸れ、我が涙よ」本原が言う。
 答えて雨、風、水、火、天候の神と呼ばれる存在たちが、頷く。
「開け、我がゴマよ」結城が叫ぶ。
「社長のセンス」木之花が小さく首を振る。
「え?」大山はとぼけた顔で訊く。
 岩壁に輝く亀裂が走る。全員、目を細めずにいられなかった。
 何秒経っただろうか。漸くその眩しさに目が慣れた頃、声が聞こえた。「またやりやがったな。塞ぐぞ」
「えっ」結城が全身で振り向き、
「何だ」時中が眉をしかめ、
「どなたですか」本原が問いかけた。
 問わずともわかっていた。
「スサノオ」天津が苦々しげに、呼んだ。

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