会長としてすべきこと。 ⑥
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パワハラ被害に遭っていた社員全員の証言が揃い、島谷課長が退職勧告を受け入れて会社を辞め、わたしと村上社長が謝罪会見を開いたのは三月三十日。年度末ギリギリのことだった。
『マスコミ各社のみなさま、本日はご足労頂きまして、誠に恐縮でございます。ただいまより、弊社社員により行われておりましたパワハラ事案について、弊社社長・村上及び〈篠沢グループ〉総帥・篠沢絢乃会長によります謝罪会見を行います』
広報部の女性社員の挨拶に続き、マイクの置かれた会見席に着いていたわたしと村上さんが立ち上がり、ゆっくりと謝罪した。
『弊社におきまして、昨年秋から半年間に渡り起きておりました一部管理職によるパワハラ事案につき、当該部署の社員及び世間のみなさまに多大なご迷惑をおかけしてしまいましたこと、誠に申し訳ございませんでした!』
この日のわたしは紺色のスーツに、ブルーがかった白のシンプルなブラウス姿。スカートはタイトで、靴も黒のパンプスだった。
「服装からも、その経営者が本当に反省しているのかどうかが感じ取れるんです」とは、貢の直属の上司にあたる秘書室の
『今後はこのようなことが二度と起こらないよう、再発防止のために全力を尽くして参ります。ですので、新年度から弊社に入社されるみなさんは、安心して弊社で仕事に励んで下さい』
『――では、報道陣のみなさま。ご質問のある方は挙手をお願い致します。順番にこちらから指名させて頂きますので、所属名とお名前をお願い致します』
もちろん、報道陣の人たちにしてみれば訊きたいこと、知りたいことだらけだろう。あちこちから手が挙がった。どの人の表情も険しかった。
謝罪会見の本番はここからだと、わたしは気を緩めることなく、いっそう背筋を正した。
「――会長さんに質問なんですが。先ほど、問題が起き始めたのは半年前だとおっしゃってましたが、どうして今になって公表に踏み切ったんでしょうか? もっと早くに公にしようとは思わなかったんですか?」
この質問をしてきたのは、新聞社の記者だと名乗った三十代後半くらいの男性。目つきが鋭く、口調にもトゲがあって、ちょっと怖かった。
『それは、この問題自体、発覚したのがつい最近のことだったからです。ですから、このタイミングになりました。もっと早く公表することは不可能でした』
それでもわたしは、
『わたしたちがこの問題を知るキッカケとなったのは、被害者だったひとりの男性社員の身内の方のお話でした。そこで初めて、弊社でのパワハラ事案の存在が明るみに出たわけです。すぐにわたし自ら調査を始めたところ、この問題の被害者は彼だけでなく、その部署全体の実に九割存在していることが発覚したんです』
わたしは彼の名前と所属名は伏せて、この会見に至る経緯を話した。
『わたしはその事実を知った時、迷わず公表することに決めました。隠蔽することは賢明な判断ではございませんし、いずれ発覚することなら自分たちで公にしてしまった方が、弊社及び当グループが世間から受けるダメージや批判も小さいはずだと。――それは社の体裁を守るためではなく、社員やそのご家族の生活を守るためです。それが、わたしが会長として一番にすべきことだと考えました』
「――半年も前から問題が起きていたのなら、人事部へ報告が入っているはずですよね? それを会長がずっとご存じなかったのはどうしてでしょうか? 気づけなかったことで、会長は責任を感じられなかったんですか?」
今度は別の男性記者から質問が飛んできた。
『それは……』
わたしは返事に詰まった。ことが最初に起きたのは半年前。その時にはまだ父が会長で、わたしはこの会社と直接は何の関わりもなかった。
でも、父でさえこの問題を知らなかったのだ。それでどう答えろというのだろう?
『この件に関して、会長には何の責任もありません。ですから、彼女を責めるのはやめて頂けませんか』
そんなわたしをフォローしてくれたのは、村上さんだった。
『半年前は、彼女はまだ会長に就任されておりませんでした。彼女のお父さまが会長でしたが、彼もその頃にはすでに体調を崩しておりまして、この件は把握しておりませんでした。社長である私ですら、この件は知りませんでした。ですから、責任があるとすれば会長親子ではなくこの私です』
彼も記者の不躾な質問に怒りを覚えていただろうに、それをお首にも出さずに冷静を保って答えていたのには、わたしも脱帽だった。
「――ところで、パワハラをしていた当事者であるその管理職の処分については、どうなさったんでしょうか? 会長、お答え願います」
また別の女性記者が質問してきた。
『当該部署の管理職は、今月末付けで依願退職と致しました。解雇ではなく依願退職にしたのは、先ほども申し上げたとおり、彼のご家族の生活を守るためです。問題を起こした当人は責められても仕方ありませんが、彼のご家族には何の罪もございませんので』
「それでは甘いんじゃないですか? 解雇すべきだったのでは?」
……やっぱりツッコまれた。でも想定内だったので、わたしは素直に認めた。
『それは、わたし自身も思いました。ですが……、彼にはまたゼロからやり直してほしいんです。彼にもまだ未来がありますから。年齢的にも、再就職が難しい年代です。そんな彼に、これ以上マイナス要素を増やすようなことはしたくありませんでした。人は誰しも、
この考え方も甘いのだろうか? 恐る恐る報道陣の反応を窺ってみると、やっぱりあちこちからヤジが飛んできて、バッシングされ続けたわたしのメンタルはもう限界寸前だった。
「――では最後に、御社の再発防止策についてお聞かせ頂けますか?」
同じ女性記者から、最後の質問がきた。それには村上さんが答えてくれた。
『弊社と致しましては、心理カウンセラーの先生を外部からお呼びして、被害に遭っていた社員のメンタルケアに努め、管理職にはコンプライアンスの徹底を呼び掛けていくつもりでおります。個人個人の意識を変え、「パワハラはいけないことだ」と思わせることが、再発防止として最善の策だと考えております。――会見は以上です』
メンタル面でやられているわたしを
「――村上さん、先ほどはありがとうございました。貴方が一緒で助かりました」
最上階へ上がるエレベーターの中で、わたしは村上社長に助けてもらったお礼を言った。
「『会長はひとりじゃない』と申し上げたはずです。あなたは僕にとって娘のようなものなんですから、お父さまの代わりに甘えて頂いて構わないんですよ? ――会見、お疲れさまでした」
「……はい。お疲れさまでした」
本当に父親のように微笑み、わたしを励ましてくれた彼は、先にエレベーターを降りていった。
この一件でいちばん責任を感じているのは、わたしよりも社長である村上さんだったのかもしれない。いざとなったら、わたしを
「――ただいま」
会長室へ戻ると、わたしは留守番をしてくれていた貢に声をかけ、デスクではなく応接スペースのソファーにぐったりと座り込んだ。
「おかえりなさい。会見、お疲れさまでした」
「疲れたぁー……。もう今日は仕事する気力もないわ」
彼にだから、弱い部分もさらけ出せる。正直、この日ほど会長の責任がしんどいと感じたことはなかった。
でも不思議と「会長を辞めたい」と思わなかったのは、彼を守ることもわたしがすべきことだと分かっていたから。
「会長、ありがとうございました! 僕との約束を守って下さって」
彼は九十度に腰を曲げ、〝最敬礼〟の姿勢でわたしにお礼を言った。わたしの誠意は、彼にも十分伝わっていたらしい。
「桐島さん、頭上げて! わたしは会長として、当然すべき務めを果たしただけよ。貴方のこと、本気で守りたかったから」
彼のため。――それがわたしの本心だった。どんなにカッコいいことを言ったって、結局はそこに辿り着いてしまうのだ。わたしは彼のことが好きだから。
「はい!」
顔を上げた彼は、満面の笑み。わたしはそれを見られただけで、この件への達成感を得ることができたのだった。