戦闘服は制服! ②
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――〈篠沢商事〉ビルに着き、地下駐車場で彼の車を降りると、わたしたち三人はそのままエレベーターで株主総会が行われる二階の大ホールへ上がった。
このホールはその三ヶ月ほど前、父の最期の誕生日パーティーが催された会場であり、父が倒れた現場でもあった。
けれどその日のホール内は華やかな雰囲気ではなく、大勢の株主やグループの役員・社員たちが集まっていて、ものものしい雰囲気だった。
『――みなさま、本日はお寒い中大勢お集まり下さいましてありがとうございます。ただいまより、緊急の株主総会を行います』
司会を務める総務課の男性社員のマイク越しの声が、ステージ袖に控えるわたしの気持ちをピリッと引き締めた。――ちなみにこの男性社員は、彼の総務課時代の同期らしい。
それと同時に、ただならぬ緊張感も襲ってきて、わたしは息をするのも忘れて、裾に赤いラインが入ったダークグレーのプリーツスカートをグッと握りしめたままステージを凝視していた。
「絢乃さん、……もしかして緊張されてます?」
わたしの緊張を感じ取ったのか、彼が後ろから優しく声をかけてくれた。
「……えっ? うん……。わたし、ちゃんとスピーチできるかしら?」
「いよいよですもんね。心配されるお気持ち、僕にもよく分かりますよ。――あ、そうだ! 緊張を
「……お願いできる?」
明るくわたしを励まそうと提案してくれた彼に、わたしは素直に甘えてみようと思った。
「はい。僕も子供の頃からあがり症だったんで、母が教えてくれたんですけど。客席にいる人たちをジャガイモとかカボチャだと思えばいいんだそうですよ」
「ジャガイモ……」
わたしはその光景を思わず想像してしまい、客席に畑のように大量のジャガイモやカボチャが並んでいる姿を思い浮かべた途端、肩を震わせて笑い出した。
「やだもう、おっかしー! フフフッ!」
彼が笑わせてくれたおかげで、わたしの緊張はどこかへ飛んで行ってしまっていた。
「……絢乃さん、今日やっと笑ってくれましたね。やっぱり、あなたの笑顔はステキです」
「…………え」
彼が珍しく歯の浮くようなセリフを言ったので、わたしは一瞬ポカンとなった。でも、わたしを笑顔にしてくれたのは彼。本人には自覚がなかったようだけれど。
「……ありがと。貴方のおかげよ」
わたしは清々しい笑顔で、彼に素直にお礼を言った。
「もったいないお言葉、ありがとうございます。……もう、大丈夫ですね」
『――ではここで、本日より新会長に就任されました、篠沢絢乃さまよりご挨拶を賜ります。篠沢会長、お願いします!』
彼がわたしの目を見てそう言ったのと、司会者にステージまで呼ばれたのはほぼ同時だった。
「うん、大丈夫よ。じゃあママ、行こう!」
わたしは母と一緒に、堂々と胸を張ってステージへと歩いて行った。
わたしと母が着ていたコートは、彼が責任もって預かってくれていた。
ステージの演台に辿り着くまでにどうにか呼吸を整え、まずはわたしがマイクに向かって話し始めた。
客席からはわたしの服装に驚いた人々からのどよめきが上がっていたけれど、そんなことは想定内だったわたしは一向に構わなかった。
『――みなさま、本日は年始でご多忙の中、またお寒い中お集まり下さいまして、心より感謝申し上げます。先ほどご紹介にあずかりました、わたしが〈篠沢グループ〉の新会長・篠沢絢乃でございます。みなさまはわたしのこの服装に、大層戸惑っていらっしゃるようですが。わたしはご覧のとおり、まだ高校生でございます。ですが、決していい加減な気持ちで会長就任を引き受けたわけではございません! 学業も会長としての責務も立派に両立していく覚悟でおります。この制服はわたしの覚悟の表れであり、いわばわたしの戦闘服なんです』
ここまで一気に言ってしまってから、客席の反応を窺ってみた。すると、どよめきはたちまち静まり、みんなが真剣な眼差しでステージ上のわたしを注視していることが分かった。
このスピーチには、事前に原稿は用意していなかった。けれど、この場で言いたいことは自分の中でキチンと整理ができていたので何も困ることはなかった。
『わたしは父の生前、父がいかにして社員や取引先、そして株主のみなさまの信用を勝ち得てきたのかずっと見てきました。父は元々経営者の血筋ではございませんでしたが、イチから地道に実直に、コツコツと信用を積み重ねてきた結果、この大財閥の会長という地位を守ってこられたのだと思っています。わたしも父のように、そうしてひとつひとつの信頼を積み重ねて、会長の務めを果たして参りたいと思います』
もしかしたら長期戦になるかもしれない。何十年もかかってしまうかもしれない。――それでも、わたしはひとりではなかったから、何も怖くなかった。
わたしはここで一度、母に目配せをした。母が挨拶をするなら今だと。母から頷きが返ってきたので、わたしは一旦母にマイクを譲ることにした。
『――ここで、わたしの母・篠沢加奈子より、みなさまにご挨拶がございます。母はわたしが高校にいる間、会長の職務を代行してくれることになっております』
『ただいまご紹介にあずかりました、私が篠沢絢乃の母、篠沢加奈子でございます。生前は夫の源一がお世話になりました。妻として、また篠沢家の当主として、この場をお借りしまして厚く感謝申し上げます』
パキッとしたパンツスーツ姿で挨拶をした母は、わたし以上に堂々とした風格を
もしかしたら、母の方が会長としてはふさわしいのかもしれない。わたしは一瞬そう思ったけれど、母がそんなことを望んでいないことも、わたしは知っていた。
『娘も先ほど申し上げたとおり、私はこの度会長代行を務めることに致しました。それは娘の相談役も兼ねておりまして、このような重責を負うことになった娘の支えになりたいという母親としての想いからでございます。ですが、私には何の権限もございません。経営の全責任は、娘に一任されていますので。私が彼女を
……なるほど。株主の中には、この場に母が出てきたことで、そんな誤解をする人も出てくるかもしれない。それを見越して、母はこのスピーチをしたのだ。わたしを守るために、母親として。
『――では、娘にマイクを返します。……絢乃、いらっしゃい』
『はい。――先ほど母のスピーチにもございましたとおり、わたしはひとりではございません。ひとりでは闘えません。母や社員・役員のみなさま、そして株主のみなさまのお力添えが必要なんです! みなさま、どうかわたしにお力を貸して下さい! これから、よろしくお願い致します! 本日はありがとうございました!』
わたしがスピーチを終え、深く頭を下げると、どこからかパチパチと拍手の音が聞こえてきた。その拍手は複数人数で叩いているのではなく、たった一人の拍手の音だったけれど、とても力強かった。
わたしは頭を上げ、そっと音の
そしてその拍手の波はたちまち会場中に広がり、割れんばかりの大拍手へと変わっていった。
(ありがとう)
わたしはステージ袖にはける時に、声には出さずに口の動きだけで彼にお礼を言った。すると、彼も笑顔で頷き、「お疲れさまでした」とわたしを労ってくれた。
わたしはこの日のことを、絶対に忘れることはないだろう。きっと、父の病を知った日や、父がこの世を去った日と同じように――。
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――株主総会が終了すると、母は「村上社長や山崎専務と打ち合わせがあるから」とエレベーターホールで別れ、わたしは彼――貢と二人で最上階の会長室へ上がった。