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遺言…… ②


****

 ――そして、その年のクリスマスイブの夜。わたしの家では、ささやかな――()()()ささやかなクリスマスパーティーが行われた。
 いうなれば、ホームパーティーに毛が生えた程度のもので(少なくとも、篠沢家の人間はそう思っていた)、招待したのも里歩と彼――貢くらいだった。

「――絢乃、メリクリ! 今日はお招きありがと!」

「里歩、いらっしゃい! どうぞ上がって!」

「うん、おジャマしま~す! ――あ、コレ。クリスマスっていったらやっぱコレでしょ」

「わぁ、ありがとう。食卓が賑やかになるわ」

 わたしは、フライドチキンのパーティーパックを手土産にしてやって来た里歩を、笑顔で出迎えた。
 父が息を引き取るまでは、わたしはなるべく笑顔でいようと決めていたのだ。少なくとも、里歩や家族以外の人の前では。

「――クリスマスケーキね、我ながら会心の出来だと思うの。パパや里歩に食べてもらうのが楽しみだわ!」

「そうなんだ? あたしも待ち遠しいなー」

 でも、里歩はわたしのはしゃぎっぷりに多少のムリを感じ取ったらしく。

「絢乃、アンタ相当突っぱってるでしょ? あたしの前では強がんないでさ、泣きたいときは遠慮なく泣いていいんだからね」

「……どうして分かったの?」

「アンタねぇ、あたしが何年アンタの親友やってると思ってんの? 事情だって分かってるんだし、それくらい察して当然じゃん」

「うん、ありがと。ホントに泣きたくなったら、そうするわ」

 わたしは本当に、頼もしい親友を持てたなと思う。彼女はそれまでにも、何度もわたしを助けてくれていたから。
 あの数ヶ月間、わたしの精神的な支えになってくれたのは彼と、間違いなく里歩だった。

 ――里歩をリビングまで送っていくと、またもインターフォンが鳴った。ちなみにセキュリティーの関係で、我が家のインターフォンはモニター付きである。

「はい、どなた様でございましょう?」

 史子さんが、応答ボタンを押しながらモニター画面を確認した。

『あの……、こんばんは。僕は篠沢商事の社員で、桐島といいます。こちらの絢乃お嬢さまからご招待を頂きまして』

「お嬢さまが……。少々お待ち下さいませ」

「えっ、桐島さん!? 待って、史子さん。わたしが応対するわ」

 まだリビングにいたわたしは彼女に代わってもらい、インターフォンで応対した。

「桐島さん! よく来てくれたわね。どうぞ、上がって。――車は、車庫のどこに停めてもらっても構わないから」

『えっ、絢乃さん!? ――ああ、はい。では、お言葉に甘えて』

 突然、応対者がわたしに変わったことには驚いていたものの、彼はインターフォン越しに声を弾ませていた。

 ――それから五分くらい経って、彼が玄関に現れた。
 それだけの時間がかかったのは車を停めていたからというのもあっただろうけれど、広い敷地で迷っていたからかもしれない。

「――桐島さん! いらっしゃい!」

「こんばんは。絢乃さん、今日はご招待ありがとうございます」

 わたしが笑顔で出迎えると、彼は少々緊張した様子でわたしにお辞儀をした。

「そんなに固くならないで、もっと肩の力抜いていいのよ? ――パーティーの会場はリビングなの。どうぞ、上がって」

「はい、おジャマします」

 スリッパに履き替えた彼を、わたしはリビングまで案内した。

 彼はスーツこそ着ていなかったものの、襟付きのカラーシャツにニットを重ねたキッチリしたコーディネートだった。「パーティーに呼ばれたのだから、おめかしせねば」と意気込んだからなのか、彼の私服はいつもこんな感じなのだろうかと、わたしは首を傾げた。

「あの……、絢乃さん」

「……ん? なぁに?」

 彼が何かを気にしている様子で、わたしに声をかけてきた。
 振り返ってみれば、彼は落ち着かないのか家の中をキョロキョロと見回していて、彼には失礼だけれど挙動不審のおサルさんみたいだった。

「いいんでしょうか? 僕なんかがこんなお屋敷のパーティーに呼ばれて。場違いじゃないでしょうか?」

「何を気にしてるのかと思えば、そんなこと? 今日のパーティーはささやかなホームパーティーだし、家族と家の使用人以外はわたしの親友しか招待してないから。場違いとか、そんなこと気にしなくていいのよ。わたしだってホラ、ドレスなんか着てないし」

「……はぁ、確かに。それって絢乃さんの私服なんですよね」

 わたしはその時、赤いハイネックの二ットにグレーのノースリーブワンピースを重ねたちょっとカジュアルな服装で、しかもその少し前までは小麦粉や生クリームまみれのエプロンをしていたのだ。これで、形式ばったパーティーだと思われても困る。

「それに、わたしにあなたを招待してほしいって頼んだのはパパなのよ」

「……えっ、会長が僕を?」

「そうなの。検査を受けるよう勧めてくれたのが貴方だって、わたしが話したの。そしたらね、パパ、『直接お礼が言いたいから、彼を招待してくれ』って」

「そうなんですか……」

 彼が「信じられない」というように目を瞠った。

 きっと父は、わたしが想いを寄せている相手が彼だと気づいていたのだろう。だからこそ、彼のことを気に入って、大事にしてくれていたのだと思う。

「パパも今日は具合がいいみたいで、もうリビングにいるはずよ。桐島さん、心の準備はできてる? まぁでも、そんなに緊張しなくて大丈夫だから」

「はい。……多分、大丈夫です」

 彼はぎこちない笑顔でそう答えた。……まあ、めったに会うことのない雇い主、言ってみれば雲の上の人と対面するのだから、「緊張するな」と言う方がムリな話だったのかもしれないけれど。

「はい、ここがリビングです! さ、入って入って!」

 わたしは後ろから彼の背中をグイグイ押し、彼をリビングへ入らせた。

「パパー、桐島さんが来てくれたよー!」

 わたしが入口から手を振ると、広いリビングの奥のソファーに座っていた父が「おう」と片手を挙げた。そのままゆっくり立ち上がり、わたしと彼のいる方へしっかりした足取りでやって来る。

「……やあ、桐島君。いらっしゃい。よく来てくれたね」

「会長、本日はお招き下さいまして恐縮です。体調はいかがですか」

 父がにこやかに挨拶すると、彼はかしこまって招待へのお礼を言い、父の体調を気遣ってくれた。

「うん、今日は調子がいい。君の顔を見たら、さっきまでより元気になった気がするよ」

「そうですか。それはそれは……」

 彼は、父の冗談にどう返していいか分からくなったようで、言葉に詰まっていた。
 わたしはそんな彼を放っておけなくて、すかさず助け船を出してあげた。

「パパ、桐島さんを悩ませちゃダメよ。彼は真面目な人なんだから、返事に困ってるじゃない」

「ああ、いやいや! すまない! 今のは聞き流してくれてもよかったんだ」

「はぁ……」

 彼がまだ困ったように頭を掻いていたので、父は笑い出した。わたしもあんなに笑う父を見たのは久しぶりで、彼もつられて笑っていた。

「桐島君。――いざという時は、絢乃を頼むよ」

「……は?」

「…………いや、何でもない。今日は存分に楽しんで帰ってくれたまえ」

「はい」

 二人がこんな会話をしていたのだとわたしが知ったのは、彼との交際を始めてからだった。この時は、わたしは十分に冷やしていたケーキをキッチンからリビングへ運び込むために、その場を離れていたのだ。

「――ねえねえ絢乃! あの人? アンタの好きな人って。……あ、あたしも何か手伝うよ」

 わたしを手伝うためにキッチンへ来ていた里歩が、はしゃいだ様子でわたしに話しかけてきた。
 せっかくなので、わたしは彼女に、切り分けたケーキを載せるお皿とフォークを出してもらうことにした。

「ちょっと里歩、声が大きいわよ!」 

「あー、ゴメン! ――さっき、お父さんに挨拶してたよね? 背が高くてイケメンで、優しそうな人。あの人が桐島さん?」

 わたしがたしなめると、里歩は謝りつつも話題を変えなかった。食器を出しながら、まだ同じような話を繰り返していた。

「うん、そうよ。ステキな人でしょ?」 

「確かに、いい人そうだよね。あたしが思ってたのとちょっと違うけど。イケメンには違いないんだけどさ、〝王子様〟って感じじゃなさそうだね」

 里歩はもっとイケメン――例えば少女コミックとかに出てきそうな感じの、洗練された男性をイメージしていたらしい。
 でも、わたしはむしろ、彼の純朴(じゅんぼく)な感じが好きだ。彼女が想像していたようなイケメンと出会っていたら、わたしの方が息が詰まってしまいそうである。

「そこがいいの。彼は誠実で純朴だから、わたしも惹かれたのよ。彼ね、八歳も年下のわたしに敬意を払ってくれてるの」

「それってさぁ、絢乃が雇い主のお嬢さまだからじゃなくて? お父さんがいないところでもそうなの?」

「うん……、そうね。電話とかメッセージでも、いつも敬語だもの」

 父と同じように、彼にとってはわたしも〝雲の上の存在〟なのだろうか? 秘書として働いている今ならともかく、当時のわたしは彼のボスでも何でもなかったのだけれど。

「でも、壁を作られてるような感じはしないのよね。それが何だか自然な感じがするの。ちゃんと()をわきまえてる、っていうのかしら。そういうところが彼らしくていいな、って」

「あれあれ~? アンタ、なんかめっちゃベタ惚れしてんじゃん♪ ねえねえ、彼とまだ付き合ってないの? っていうか付き合わないの?」

「そんなこと、今はまだ考えられない。パパのこともあるし、彼がわたしのことどう思ってるかも分かんないし」

 そもそも、彼がどうして父の誕生パーティーの日にわたしに話しかけてくれたのかも、その当時のわたしには分かっていなかった。
 周りが大人ばかりの中、あの会場内で〝壁の花〟と化していたわたしが気になって、気を利かせて声をかけてくれたのだと思っていたのだ。

「じゃあさ、もし彼も絢乃のこと好きだったら? その時はどうすんの?」

「その時は……お付き合いするかも。でも多分、彼は自分からモーションかけてきたりしないと思う。性格的に」

 わたしがグループのトップの令嬢だからと、こんな小娘にも関わらず敬語を使うような人である。もしもわたしに好意を持っていたとしても、「自分ごときがおこがましい」と一線を引いているのではないかと、当時のわたしは思っていた。

「どのみち、この状況だと恋愛どころじゃないでしょ」

「……まあ、そうだね。――このトレー、そっちのワゴンに載せていい?」

 里歩がお皿とフォークの載ったトレーをホールケーキを運ぶためのワゴンに載せたところで、わたしたちはキッチンを後にした。

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