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覚悟と恋の自覚 ①

 ――わたしの発した一言のせいだろうか、車内には気まずい空気が流れていた。
 彼は彼で、父の病院受診をわたしに提案したことを後悔していたのかもしれない。「あんなことさえ言わなければ……」と。

「――あの。絢乃さん、一人娘なんですよね? ご結婚相手に制約とか、条件なんてあったりするんですか?」

 そんな空気を変えようと思ってか、彼はわたしに突拍子もない質問をしてきた。

「ええっ!? 急に……そんなこと訊かれても……」

 わたしはちょっと困ってしまった。けれど、答えられなくはなかった。

「えーっと、制約は……特にはないの。どんな職業でも、どれくらいの年収でも、年がどれだけ離れてても問題はないの。常識の範囲内なら。……ただ、コレだけは絶対に譲れないっていう条件が一つだけあるわ」

「それって、どんな条件ですか?」

 彼が眉をひそめた。どんな厳しい条件だろうかと、ハラハラしているようだった。

「長男じゃないこと。それだけよ」

 わたしはズバリ言った。途端に、彼は拍子抜けしたように強張(こわば)っていた表情をやわらげ、肩の力を抜いた。

「なぁんだ、そんなことか……。なんか、力抜けちゃいました」

「そんなこと、って……。我が家にとってはコレが一番重要なことなのよ。結婚する相手には、婿に入ってもらわないといけないんだから!」

「えっ? それって婿養子ってことですか? お父さまの時みたいに」

「そうよ。わたしが篠沢を継ぐの。……実はウチの家系、お祖父(じい)さまから後は男子が生まれてないの。だから、わたしは外へお嫁には行けないのよ」

 現在の当主は母だけれど、母だっていつまで生きられるか分からない。いつかは一人娘であるわたしが継ぐことになるのだ。
 家を継ぐのは、その家の血筋の人間。つまり、母の後を継げるのはわたししかいないのである。

「なるほど。……じゃあ、好きになって、お付き合いまでしてるお相手が結婚前になって『婿入りはできない』って言ったら?」

「その時は……残念だけど、その人のことを(あきら)めるしかないわね」

 それ以前に、多分そういう人とは結婚の話が出る前にお別れしていただろうと思う。

「はあ……。大変なんですね、名家って」

 彼は(うめ)くように、そう呟いていた。

「大変……なのかしら? わたしはまだ恵まれてる方だと思うけど」

 わたしは首を傾げた。彼の呟きに、あまりピンと来なかったからである。

「生まれた時から結婚相手が決まってる人も、セレブの中にはまだまだ少なからずいるわ。そんな中で、わたしは自分で相手を決められるだけマシな方なんじゃないかな」

 〝長男はダメ〟ということは、逆に言えば〝長男でなければ、どこの誰でも構わない〟ということ。――わたしが好きになって、結婚を考える相手であれば。

 両親はわたしがまだ幼い頃から、わたしに舞い込んでくる政略結婚の話をことごとく断ってくれていた。わたしには、自分が本当に好きになった人と結ばれて幸せになってほしいと願っていたからだそうだ。

「だからね、……たとえばの話、貴方もわたしのお婿さんの候補に十分当てはまるってこと」

 この時は、まさか本当にそうなるなんて思ってもいなかったわたしは、たとえ話として彼にそう言った。 

「それって、僕も次男だからってことですか?」

「そうよ」

 〝長男以外〟という意味でなら、当然次男である彼もそのカテゴリーに入る。……その時はまだ、数多くいる候補の内の一人、というだけだったのだけれど。

「そうなんですね……」

 そう呟いた時の彼は、何だか嬉しそうな表情をしていた。わたしがそんな彼の気持ちを知ったのは、もう少し先のことだった。

 ――車はもうすぐ()()寿()に差し掛かろうとしていた。
 わたしはクラッチバッグからスマホを取り出して、ハンドルを握る彼に断りを入れた。

「――ゴメンなさい、桐島さん。ちょっと電話かけてもいい?」

「ああ、お母さまにですよね。どうぞ。お家で心配なさってるでしょうし」

「ありがとう。……じゃあ、ちょっと失礼して」

 わたしは発着信履歴を開くと、母の携帯番号をコールした。

『――絢乃、今日はお疲れさま。今どこにいるの?』

「ママ、ありがとう。今は……えっと、恵比寿のあたりかな」

 話している途中で、ちょうど標識が見えた。

『そう。――っていうか、あなた今、どうやって帰ってきてるの?』

「桐島さんの車で送ってもらってるの。彼の方から『僕の車でよかったら』って言ってくれて」

『あら、桐島くんがねぇ……。ふふっ、彼が親切でよかったわね』

「うん……? どういう意味?」

 母の笑い声の意味が分からず、わたしは訊き返した。
 でも、父を探している時に見かけた、彼とのやり取りに何かヒントがあるのかもとわたしは思った。

『ううん、別に意味はないの。気にしないで』

「……そう?」 

 母はとっさにごまかしたけれど、わたしは何だかモヤモヤした。本当に、母と彼はあの時、どんな話をしていたんだろう、と。
 それは今でも謎のままだ。彼はわたしがいくら訊いても教えてくれない。

「――ねえママ、パパは今どうしてる? 具合は?」

 わたしは電話をかけた本来の目的を思い出した。母のこんな与太(よた)(ばなし)を聞くために電話をしたわけではないのだ。

『そうねえ……。家に帰ってすぐはだるそうにしてたけど、今は寝室で休んでるわ。さっき様子を見てきたけど、顔色も少しよくなってきてるみたい』

「そう。……それならいいんだけど」

『……絢乃? 何か心配なことでもあるの? パパの容態が心配なのは分かるけど、大丈夫よ』

 わたしの声が沈んでいたのを、母は電話越しに耳ざとく察したらしい。励ますように、温かな声が聞こえてきた。
 ……言わなきゃ。彼がわたしに提案してくれたことを。――わたしは意を決して、母に切り出した。

「あのね、ママ。パパのことで大事な話があるの。帰ったら、聞いてくれる?」

『大事な話、って……? 電話じゃダメなの?』

 母が戸惑っているのが、電話越しにわたしにも分かった。でも、ただごとではないということは母にも伝わっていたらしかった。

「うん、電話じゃちょっと……。それに、できればパパにも聞いてほしい話だから」

『……そう、分かったわ。じゃあ、待ってるから。帰ってきたら詳しく聞かせて。桐島くんにもよろしく言っておいてね』

「うん。じゃあ切るね」

 終話ボタンをタップすると、わたしは大きく息を吐いた。

「――お母さまは、何ておっしゃってたんですか?」

 運転席から、彼が心配そうに訊ねてきた。スピーカーフォンにしていなかったので、母の言った内容は分からなかったらしい。

「あ……、『帰ってきたら詳しく話聞かせて』って。パパは今のところ、顔色もよくなってきてるみたい」

「そうですか……。他には?」

「桐島さんによろしく、って。――そういえばパーティーの時、貴方とママ、何か楽しそうに話してたわよね? 一体どんな話をしてたの?」

「それは……ノーコメントで」

 わたしが訊いても、彼はとぼけるだけだった。 
 
****

 ――その十数分後、わたしを乗せた彼の車は自由ヶ丘の篠沢邸、つまりわたしの家のゲートの前まで着いた。
 わたしの家は母の生まれ育った家で、真っ白な壁の二階建ての洋風の大豪邸である。玄関へ続く広いアプローチは中庭も兼ねており、庭師が管理してくれている広い英国式庭園(イングリッシュガーデン)になっている。

「桐島さん、送ってくれてありがとう! パパのことも、心配してくれてありがとうね」

 乗り込む時と同じく、彼が外からドアを開けてくれた。車を降りたわたしは、彼にお礼を言った。

「いえ。こんな僕でもお役に立ててよかったです」

 彼はあくまで謙虚に言って、わたしに会釈を返してくれた。

 ――このまま、彼との接点はなくなってしまうんだろうか……。わたしは彼に背を向け、その広い玄関アプローチへ足を向けようとしたけれど、後ろ髪を引かれる想いでもう一度彼に向き直った。

「……ねえ桐島さん。連絡先、交換しない?」

「はい?」

 彼は戸惑っていた。まさか女子高生、それも雇い主の令嬢からそんなことを言われるとは思ってもみなかったのだろう。

 今思えば、わたしは勢いに任せてそんなことを口走ってはいたものの、彼がそれに応じてくれるかどうかまでは考えていなかった。なので、断られても仕方ないかな……と思い、言い訳がましく付け加えた。

「あの……、どうしてもってわけじゃないの。ただ、パパのこととか、アドバイスしてくれた貴方にはちゃんと伝えたいから。これも何かの縁……っていうか……、その……」

「いいですよ、絢乃さん。交換しましょう」

 テンパってしどろもどろになったわたしの言葉を遮り、彼は快くアドレス交換に応じてくれた。

「えっ、ホントに……いいの?」

「はい」

「そ……そう? じゃあ……、お願いします」

 わたしはおずおずと頭を下げ、自分のスマホを取り出した。

 無事に連絡先の交換を終えたわたしは、改めて彼にお礼を言った。

「桐島さん、……今日は色々と、ホントにありがとう」

「お礼なら、さっきも言って頂きましたよ?」

 彼はそう言って笑った。その優しい笑顔に、わたしの心は(わし)(づか)みにされた。

「お父さまとお母さまに、よろしくお伝え下さい。じゃあ、僕はこれで。絢乃さん、おやすみなさい」

「……うん。おやすみなさい」

 わたしは車に乗り込み、去っていく彼を見送ってから、家の玄関に向かって歩き出した。

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