バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

主題歌、それは私たちの心に宿るだろうか?

私たちは情報の洪水に晒されている。毎日毎日ネットには様々な事件が報道されているけど、それらは数ある出来事の断片に過ぎない。ハートウォーミングな話もあれば残酷な事件の話もある。温かなぬくもりのある心をほっとさせることで一面を飾ることが多ければいいけど、残念ながらそうはいかない。通り魔事件で亡くなった女性、自動車の運転でアクセルをブレーキと踏み間違って通行人たちを引き殺してしまった九十才の老人、建設現場の屋上から資材が落下して、たまたまその下を歩いて命を落としたサラリーマン。世の中には考えられないような事件で命を無くした人々がたくさんいる。私はネットのニュースサイトを閉じてタブレットを鞄に入れた。朝の六時半で涼しげな窓から入ってくる晴れやかな陽射しがなんとも心地よい。今日は休日で久しぶりに潤子に会いに行く。彼女の成長を見るのがとても楽しみで、きっとたくさんの栄養と本の情報を取り入れて、見違えるような表情を見せてくれるのではないかと期待している。私ははっきり言って自分が一日一日を大切に扱って日々成長しているとは言えない状態だ。成長しなくてはとは思うんだけど、むしろいろんな悩みを抱えて後退していると感じることもあるし、充分になにか良い影響を与えてくれる滋養分を吸収して新たな自分を見出だすことも、もしくは自分より精神的にレベルが高い人と出会ってその人からエネルギーをもらって成長するというよりは、自分がまだまだ未熟な存在だと落胆することのほうが多い。でも、あまりがっかりすることはない。人生は長いんだし、私はまだ二十代後半だ。煌めくような未来を想像している。そう自分を叱咤激励してこの難しい世界にあって希望をもって歩いていくんだ。
冷蔵庫から豆乳を取り出して、コーンフレークにかけて、毎日の儀式のように食べる。壁づたいに雀のチュンチュンという鳴き声がする。まるで未来へ誘っているかのような清涼のある言葉だ。きっと私たち人間にとって、一番身近な動物だといえるだろう。彼らは私たちがなにも攻撃を加えることはないのにある一定のテリトリーに近づくと逃げ去っていく。それが不思議だ。そこは鳩とは違う。とても用心深い。雀は私が思っているより賢い存在なのかもしれない。それでは鳩は?私はたまに休日になると、鞄に袋に入れたパン屑を持ち歩いて公園に行く。鳩は私の行為を知っているかのように近づいてくるのだ。ときにはカラスが寄ってきて恐怖を覚えることがある。なぜカラスに対して危険だと感じるのだろうか。それはきっとある程度体が大きいし、黒くて威圧感を与えるようだし、なによりもそのくちばしが尖っていて凶器にも見えるからだ。
食事を終えて歯を磨き、久々にワンピースを着て外に出る。潤子は喜んでくれるだろうか。私の精いっぱいのお洒落を。気温は二十五度くらい。とても気分が良い。微かな風が吹いていて、まるで私に挨拶をしているようだ。雲ひとつなく太陽が上空に誇示するかのように輝いている。何十億年もこうして変わりなく照っているのだろうか。この太陽が無かったら、私たちは存在することすらないということを知ると、本当に太陽はお父さんとお母さんのような存在だと思う。古代、エジプトではたしか太陽が神のように崇められていたということにも納得がいく。そう考えると、この地球上に住んでいる人間とカラスは兄弟のような親しい関係なんだと気づき、面白いものだなあと思った。
駅前にあるマクドナルドに寄ってコーヒーを飲む。二階のガラス窓からは改札口やホームが見渡せる。こんなに早い時間なのに、多くの人が電車が来るのを待っている。家族連れや、背広を着た男性たちやカップルたち、人々のこれからの活動のうえに栄光よあれ。私は担当している作家たちの表情を思い浮かべて、真剣にキーボードを叩く姿をイメージした。コーヒーの味はたいしたことはないけれど、これからの自分の状況を考えるとひと味違った安らかな気分になる。それに潤子の店で食べるアップルパイの味を想像すると、それだけで爽快な気分になる。ほんと、楽しみだな。そしてサクラさんの絵画、まるで恋人に会うかのようなときめきを感じる。海を眺めることもできる。潤子との会話、これからの、彼女の作家としての人生を歩むための重要な話し合いだ。きっとそのことを嬉しく思うだろう。将来、夢にも見ていなかったであろう小説家として注目を浴びる潤子の姿。子役の女優を凌駕するほどの美貌を武器に、モデルの仕事の依頼も来るだろう。でも彼女はその事には興味が無いようだ。覆面作家で行くか、それともその美しさを全面に押し立てて挑戦的にまで攻撃的なまでに進んでいくかが問題だ。オープンで行くならば潤子の周りはきっとざわつく程度では収まらないだろう。大反響といえば聞こえはいいけど、これから先、有名人となって自由に横須賀の街を静かに歩くことはできないだろう。富と栄誉と地位を授かることで、手放してしまうことになることも多いはずだ。きっと彼女もそれは望まないはずだ。最初は覆面作家としてデビューして、その後、状況を慎重に考えながら進んでいくことも可能だろう。まあ、それは潤子次第だ。
コーヒーを飲み終わって店を出て駅へと向かう。構内はたくさんの人たちで賑わっている。私はホームへと歩いて電車が来るのを待つ。すぐに電車が来る。ドアが開いて車内に入ってつり革につかまる。独特なオーデコロンや香水の香りが漂う。なんとも懐かしさを伴う独特な匂いだ。電車が発車すると、私は車窓の何気ない景色に見とれてしまう。流れ行く風景はそれがコンクリートの建造物でも、憧れをもって眺めてしまう。きっとそれは流動性をもって様々な歴史を思わせるからに違いない。そう、建物というよりは、ひとつひとつが文章のようなものなのだ。だから同じような物体でも飽きもせずに眺めていられる。電車が池袋に着くと乗り換えて座席に座ることができた。鞄から文庫本を取り出して読むことにする。瞳さんの初めて出版した記念碑的な小説だ。その小説は吉本ばななのキッチンという小説を思わせるとても優れた作品だ。何度読んでも飽きない。いや、むしろ読むたびに新たな発見がある。ごく日常の出来事が綴られているのに、それはまるで宇宙全体を視野にいれたような壮大な物語を為している。なんとも不思議な小説だ。私はその文章を一語一語噛み締めるように読んでいく。何処にその魅惑的な魔力が秘められているのかその答えを探して。瞳さんの書く物語は難しい言葉はない。むしろ単純ともいえるような羅列だ。簡単ではないのは、一見すると子供が書くような文字で、もっとも複雑な形態を著すことだ。そのことをいとも簡単にやっているのだから凄いというほかない。彼女は自分が難しいことをやっているという考えは毛頭ないのだろう。それで複雑な織物を織るようなことをやってのけている。この先瞳さんは何処へ向かうのだろう。それが楽しみで彼女の小説を何度も読み返してしまう。スマホを鞄から取り出して潤子にメールをする。
『おはよう、みつきです。今日はよろしく。もう早くアップルパイが食べたくて楽しみで楽しみでしょうがない。潤子がどれだけ成長したかも気になるな。ではまた』私はスマホを握りしめながら彼女からの返信を待った。電車がレールを走る音が心地よい。じっと静かに目を閉じて自分の呼吸に耳を傾ける。そう、私は生きているのだ。そんな単純なことがとても嬉しかった。周りも私と同じくスマホを握りしめて真剣にディスプレイをのぞいている。この空気感がたまらない。みんな他人なのに、(でも厳密に言えばお互いに血が繋がっている)不思議なことにコンサートで一体感で垣根が取り払われたようなそんな共感の気持ちがある。永遠に電車に乗って誰とも話さずにこのまま歳を経過していく有り様を思い浮かべた。私もいつかは百歳近い年齢を迎えることになる。きっとみんな皺だらけの私を視界にいれないようにするだろう。そう、まるで存在さえ否定するかのように。でも私の心は二十代の時と全く変わっていない。今日はどんな洋服を着てショッピングをしようかなあと思い描く。その時メールの着信を告げる音が鳴った。私はスマホを握る。
『はーい、みつき、楽しみに待っているよ。私が作ったほっかほかのアップルパイも用意してるから。それと私が焙煎したコーヒーもあるから期待してね。それじゃ』潤子の手作りか、きっと最高に美味しいんだろうな。ほんと楽しみだ。スマホをポケットにしまってまた鞄から文庫本を取り出す。一つ一つの文字をしっかり噛み締めるように読む。心が洗われるようで全身に清らかなミントの香りの冷たい水をかけられたようだ。文章とは不思議なもので読んでいるうちにその文字の羅列が脳を通過すると映像となって広がっていく。小説は映画以上の情報が納められている。そして一人一人の読者によって見えてくる風景が違うし、感動の到達点も千差万別だ。どんな駄作と言われている小説にも私は敬意を払うことにしている。その一冊一冊にはたくさんの人が関わっていて、それ相当の労力がかかっているのだ。コンビニに行けば雑誌コーナーには様々な書籍が陳列されていて、ファッション雑誌を開いてみると高級服飾メーカーの広告が嫌というほど掲載されている。そのほとんどは私たちとは関わりないほどの値段の高さと日常では着ることのできないほど奇抜な洋服を身にまとっている身長百八十センチはあろうかと思われるモデルたち。宝飾品の広告には数千万円はするアクセサリーや時計たち。いったい誰が買うというのか。私はそんな高級品をごく当然のように身に着けている人たちのことを思った。まるで子供が玩具を手にして喜ぶ姿が思い浮かぶ。ダイヤモンドで飾られた時計やアクセサリーを私がしてもきっとそれは周りの人から見ればきっとイミテーションとしか見られないだろう。それよりも私はそんな高級品を自分の身に飾りたいとは思わない。そう私は安上がりの人間なのだ。たまに給料が入ったら高級ウイスキーを買って、チビチビ舐めながら味わうのを楽しみにしている。それと一番の贅沢といえば、やっぱり本を読むことだ。そして美味しい、けっして高価とはいえないけど、毎日食べている業務用バニラアイスクリーム。これさえあれば私は贅沢は言わない。ほんと安上がりな女だな。そんな自分がけっこう自慢だ。それと楽しみにしているのは都内のブックオフ巡り。自分が大好きな作家の作品が見つかった時は宝を見つけたような気分になる。今は陳舜臣という作家の小説が気に入っている。古代中国の歴史を通して、様々な群雄たちが覇を競って戦いに明け暮れている。栄光に輝いていても、足を引っ張られて地に落ちる武将たち、それならば最初から名を挙げなくても貧民として長くか細いけど長生きしたほうがよかったのではないかと思わせる。せっかくの栄光も長続きはしない。そんな歴史の繰り返し。どんなに富を得て贅沢に暮らしても、私は思うのだけど、死んでしまえばなんの価値があるのだろう。世界を手に入れても寿命がきれてしまえば貧乏だけど生きている人間には敵わないだろう。そう、生きていることにこそ、どんな貴重な宝を持っていることよりも大切なものがあるのだ。私は隣に座っている若い女性がイヤホンをして音楽を聴いているのをそっと眺めた。最近の音楽を聴いていて思ったのだけど、一時期は歌詞の意味さえ分からないようなサウンドをしている歌手が巷に溢れていたけど、YouTubeの発展に伴って、面白く、七色のような人たちが溢れ出している。これからは一般大衆が世界を揺り動かす世界になっていく。さあ、潤子が待っている。それがなによりの楽しみだ。隣のお姉さんはどんな歌手の歌を聴いているのだろう。そのサウンドは彼女の心に響いていくのだろうか。それとも数分後には消え去っていくのだろうか。歌手がひたむきにマイクに向かって歌っている姿が浮かんだ。その歌手は目に見えない聴衆に向かって歌っているのだろうか。それとも自分だけを聴衆として、語るように囁いているのだろうか。静かに静かに、私は口の中でだけ聞こえるように、ひとつの事柄について語った。

しおり