夢芝居の後
「な、なに? その台詞は……アドリブ?」
獅源も一瞬戸惑ったようだったが、すぐさま表情からその動揺を打ち消した。飛虎はそのまましゃべり続ける。
「兄者はいつもそうだ! 弟の俺に良い所を譲って! 自分の方が優秀なのに! 幸せな道を選べたはずなのに敢えて厳しい茨の道を選んで!」
「それは……弟のお前の幸福を誰よりも願っているからだよ……」
「台本に無い台詞! 獅源さんもアドリブ⁉」
葵は再び驚く。
「自分の幸福は二の次かよ!」
「……俺は大丈夫だよ。己の道は己で切り開く、昔からそう決めている……そう、俺とお前だけになったあの時から……」
「だから!」
飛虎が声をさらに荒げる。
「それが重荷なんだよ! 自分勝手なんだよ! 優れていない、秀でていないものはどうすれば良い⁉ その立場に相応しいだけの器になるべく、血の滲むような努力をしなければならない! 元々そんな能力など持ち合わせてはいないのに! 持たざる者がどれだけ苦労してきたのかアンタに分かるのか、よ……⁉」
獅源は飛虎のことを優しく抱きしめた。驚く飛虎に獅源は優しい声色で囁いた。
「ごめんな……お前の気持ちを十分に考えてやることが出来ていなかった……兄ちゃんも子供だったからな、その時はそれが最善だと思ったんだ。許してくれとは言わない……ただこれだけは分かっていて欲しい、兄ちゃんはいつだって、どこにいたって、お前の幸福を祈っているってことを……だって、この世で唯一の兄弟なんだからな……」
「……く、兄ちゃん……」
「いつでも見守っているからな、そのことを忘れないでいてくれ」
飛虎は膝から崩れ落ちた。獅源はその場からゆっくりと立ち去っていった。
「あ、ありがとう……」
飛虎は涙混じりの声で獅源の背中に語りかけた。爽がすかさずナレーションを入れる。
「青鬼との絆の強さを改めて確かめることが出来た赤鬼は、やがて桃太郎たちとも強い絆を結び、いつまでも健やかに、幸せに過ごしましたとさ、めでたし、めでたし……」
舞台が暗転し、しばしの沈黙が訪れた。やがて、客席から拍手がぱちぱちと鳴り始めた。次第にその音は大きいものとなっていき、葵たち出演者が並んで挨拶をする時には、会場全体を包み込むほどのものとなった。葵は隣に立つ獅源の顔を見た。獅源は満足そうに頷いた。
「素晴らしい! 感動致しましたわ!」
八千代は立ち上がって拍手を送った。2階席から飛び降りんばかりの勢いだったため、憂が慌てて抑える。
「お、お嬢様、落ち着いて下さい……」
「鬼が兄弟などと……一言も言ってなかったのではないか?」
「ふふっ、でもラストのシーンは何やら惹きつけられるような、真に迫ったものを感じませんでしたか?」
「ふん……まあ、一応鑑賞に耐えうるものではあったか……」
万城目の問いに光ノ丸はとりあえずの感想を口にした。
「乾杯~♪」
数日後、毘沙門カフェにて、将愉会の皆が顔を揃え、舞台の打ち上げが行われた。
「いや~初めは正直どうなることかと思ったけど、案外なんとかなったね~」
「そうですね……」
葵に対して爽が冷静に答える。
「あの会場一杯の拍手の気持ち良さと言ったら! 機会があったら是非もう一度やってみたいですわね! ねえ?」
「い、いや僕は遠慮しておこう……」
興奮気味の小霧の言葉を景元はやんわりと否定した。
「自分は陰に生きるべき存在なのに……大勢の人の前ではしゃいでしまった……」
肩を落とす秀吾郎を進之助が励ます。
「たまには良いじゃねえか。あ、新緑先生の芝居も良かったぜ、客席が文字通りどよめいていたものな」
「お願いですからそれは速やかに忘れて下さい……それより赤宿君、私の注文したストロベリーパフェを早くお願いします」
「随分と盛り上がっているみたいだな」
一同が声のする方に振り返ると、飛虎の姿が立っていた。
「あ、待っていたよ~さあ、座って座って」
「いや、仕事を抜け出してきただけだ、今日は一言だけいっておこうと思ってな……観客の満足度アンケート、『大変良かった』が98%だったらしいな」
「あ、そうだね、おかげさまで大好評だったみたいで……」
「俺の負けだ……俺は学内選挙から撤退する」
「え、なんで? いいよ、別に。わざわざそんなことしなくても」
飛虎の発言を葵があっさりと否定する。
「い、いや、俺にもケジメってものが……!」
「選挙戦降りる云々は私が一方的に言い出したことだからさ。日比野君のことを応援してくれる人も沢山いるわけでしょ? だから最後まで正々堂々と争おうよ」
葵の言葉に飛虎は一瞬目を丸くしたが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「ふん、後悔することになっても知らねぇぞ……?」
「うん。お互い頑張ろうね」
「何だか拍子抜けしちまった……まあ、良いや、邪魔したな」
「……その後青鬼さんとはどうなの?」
カフェを出て行こうとした飛虎は北斗の声に足を止める。
「別に……」
「折角きっかけが出来たんだし、一度とことん腹を割って話し合ってみたら? きっとより分かり合えるはずだよ」
「……考えておく」
「あ、俺の動画チャンネルに二人揃って出てくれても良いんだよ?」
「あ、兄上! 一言余計です!」
南武が慌ててたしなめる。飛虎はフッと微笑んで店を後にした。しばらく間を置いて、弾七と獅源が店に入ってきた。
「あ、獅源さん! 忙しいところありがとうございます!」
「いえいえ、まさか顔を出さない訳にはいかないでしょう」
「涼紫さん、先日のインタビュー記事を拝見致しました。将愉会についても言及して下さってありがとうございます」
爽が頭を下げる。獅源は軽く手を振る。
「そんな……大したことはしておりませんよ」
「いえ、世論に影響力がある方の言葉は絶大なものです。葵様の支持率にもきっと良い影響があることでしょう」
「そうでございますか、お役に立てたのなら幸いです」
「おいおい、推薦したのは俺様だぜ?」
「勿論、弾七さんにも感謝しているよ」
葵はそう言って微笑む。獅源が呟く。
「……感謝を申し上げたいのはこちらの方ですよ」
「え?」
「上様のご提案のお陰で、心の中にずっと抱え込んでいたものが、ようやく解放されたような、清々しい気分なんです」
「それは……もしかして飛虎さんのことですか?」
獅源は静かに頷く。葵はパッと笑顔になる。獅源がそっと葵の頬に触れる。
「え⁉ な、なんですか?」
「その笑顔でございます」
「は、はい?」
「その飾りの無い笑顔に心を惹かれました。願わくはアタシも会の末席にお加え下さい」
「あ、は、はい、どうぞ……よろしくお願いします」
「こ、これは珍しいパターン⁉」
「すっと懐に入り込む、流石は千両役者と言った所ですかね……」
小霧と爽が揃って感心した。