しょうますとごーおん
「お客さん一杯だ、さ、流石に緊張するな……」
舞台袖から満杯の客席を覗き込みながら桃太郎の衣装に身を包んだ葵が呟く。
「昨日の最終リハーサルも良い感じでしたよ? もっとリラックスを致しましょう」
青鬼に扮した獅源が優しく声を掛ける。
「そ、そうは言っても……」
「ふん、情けねぇな、別に良いんだぜ? もう白旗上げちまっても」
赤鬼姿の飛虎が嘲笑まじりに話し掛けてくる。葵はすかさず反論する。
「始まる前から負けることを考えたりはしないよ!」
「へ、そうかい」
そして、会場にアナウンスが流れる。
「……それでは間もなく、幕間特別公演『新訳 桃太郎~愛と友情の狭間で~』が始まります。立っている方は速やかに着席をお願い致します。尚、撮影・録音は……」
「いよいよ始まりますか、楽しみですね」
関係者席に座る万城目が素直に期待の言葉を口にする。その隣に座る光ノ丸が頬杖を突きながら呟く。
「選挙で争う我々を招待するとは、将愉会と日比野飛虎め、余裕の表れかそれとも……」
「それとも?」
「只の馬鹿か、余は恐らく後者だと思うがな」
「……果たしてそうでしょうか?」
「素人の集まりが大半を占める芝居をわざわざ披露するというのだぞ? そんな行為を馬鹿げたものだと言わずにはおれんだろう」
「まあまあ氷戸様……折角このような2階席の中央という良い席を用意して頂いたのです。ここは文字通り高みの見物と参りましょう」
万城目の逆隣の席に座る八千代が静かに二人の話に割り込む。光ノ丸が呆れ気味に八千代に対して返事をする。
「ふん、そのようなものまで持参するとは、五橋殿も余程の物好きだな……」
「い、いいえ、これは観劇のたしなみとしてですわね、わたくしがお芝居を見に来る際には必ず持ち歩いているものですわ」
ハンドル付きの双眼鏡を片手に持った八千代が否定する。万城目が八千代の隣に座る憂に微笑みながら声を掛ける。
「もしかして有備さんがご用意されたのですか?」
「は、はい。いきなりおっしゃっられたので驚きましたが、密林で検索してみたらわりとあっさり見つかったので助かりました」
「憂、余計なことを言わないで頂戴!」
「す、すみません……」
「どこぞの貴婦人が使うようなものを用意して……果たしてそこまで前のめりになって見る価値のあるものか?」
光ノ丸の言葉に八千代が反論する。
「全っ然お分かりになっていないのでございますわね、氷戸様! 推しの一挙一動を絶対に見逃すまいというこの意志の表れを! そしてエンターテインメントにおいて価値というのは自らの感性によって見出されるものであって、そこには他者の意見が介在する余地も必要性もごさいません!」
「お、お嬢様! その類の方々特有の早口になってしまわれています!」
「五橋さん、少し落ち着いて……そろそろ始まります」
万城目が興奮する八千代を落ち着かせる。爽のナレーションから芝居の幕が開けた。
「昔々……あるところにギャンブル依存症のお爺さんとネトゲ廃人のお婆さんが若干荒んだ生活を送っていました……」
「始まった!」
「上様、舞台というものはこうなったら楽しんだもの勝ちですよ」
獅源の激励に葵は力強く頷いた。
「うん、分かった!」
お爺さんがパチンコの景品としてゲットした桃を届けに現れた運送会社の人物が実は主役の桃太郎だったというまさかの地味な登場は観客の驚きを誘った。きび団子を売りつける胡散臭い売人は光太が予想外の怪演ともいえる演技を見せ、観客の度肝を抜いた。秀吾郎、進之助、弾七がそれぞれ演じる犬、猿、雉の一番美味しいきび団子を巡っての三本勝負は観客の笑いを誘った。当初の予定にあったラップバトルだけでなく、大喜利対決や、ダンスバトルも急遽追加されたのだが、弾七は絵心を生かした巧みな回答で、秀吾郎や進之助は持ち前の運動神経を遺憾なく発揮した躍動感あふれるダンスで、客席を大いに沸かせた。北斗と南武の息のピタリと合った掛け合いはそのミステリアスな役どころも相まって、観客をぐいぐいと引き込んだ。
「鬼ヶ島に着いたぞ!」
劇もいよいよ終盤である。ここで赤鬼が青鬼の乱暴すぎるやり方に疑問を呈し、桃太郎側に寝返るという衝撃の展開となり、観客から驚きの声が漏れた。赤鬼の助力を得た桃太郎は大立ち回りの末、青鬼を退治する。しかし、全ては青鬼の計画通りであった。本当は人間と仲良くなりたいという赤鬼の願いを叶えるために青鬼が憎まれ役に徹する一芝居を打ったのである。
「……これは違う話が混ざっていないか?」
光ノ丸の呟きに万城目が答える。
「『泣いた赤鬼』ですね」
「しっ! 今良い所ですから」
八千代が二人を注意する。
「赤鬼が去っていこうとする青鬼に追い付き、その背中に声を掛けます」
爽のナレーションにも熱がこもる。舞台袖で眺めていた葵が安堵したように呟く。
「ここで赤鬼が青鬼に感謝の言葉を伝えて、エンディングだね……」
飛虎演じる赤鬼が肩で息をしながら、獅源演じる青鬼に呼び掛ける。舞台初挑戦とは思えない程の堂々とした演技である。
「待ってくれ、青鬼! お前にまだ言っていない言葉があるんだ!」
青鬼がゆっくりと振り返る。
「あ、あ……兄者の馬鹿野郎!」
「ありがとう、青鬼! ……ってええっ⁉」
脚本に無い台詞が飛び出したため、葵は驚いた。