父の夢枕を心に留める大事な事と位置付けた
1,965年、アメリカはベトナム戦争に突入した、トンキン湾事件で北ベトナム解放戦線、つまり、べトコンが先に発砲したとの報道からアメリカは泥沼のベトナム戦争に。そんな中で日本は高度経済成長へ波が押し寄せていた。新幹線は開通し、ゼロ戦産業と呼ばれる産業の大躍進、お隣中国では毛沢東国家主席による文化大革命の嵐が中国全土を覆っていた。そんな中でトアル産婦人科病院では、トントントントントントンと大きく扉を叩く激しい音がする。「助けて下さいお願いします、子供を宿しているんです」1965年4月6日午前0時過ぎ、トアル女児が生まれながらも妊婦さんの命と引き換えにした。そんな中で偶然は偶然を呼ぶ。午前1時過ぎに兄妹の双子の赤ちゃんが誕生するも妊婦さんの命と引き換えだ。この頃は未だ妊婦さんへのケアも十分ではなく、逆に妊婦さんが新たな命を流す事も多々あった。村松産婦人科病院は、産婦人科病院でも老舗の所で出産希望女性の多い事で評判だ。そんな中で、0時過ぎに生まれた女児のお母さんがこの世に居ない。もちろん、お父さんも見当たらない中でどうしたら良い物か?医師村松は里親募集を急速にした所、名乗り出たのが、1時過ぎに兄妹の双子として出産された久慈さん。村松:「久慈さんには、御仏の情報を提供します、身の上がない方の様で、ここが頼み綱だったらしく、赤子の血液型はO型だから、血液型も顔型も、運命の皮肉だがOの血液型を持つ久慈さん、どうか頼みましたよ。」「今年は未だ名残り雪が降ってますな、地球の裏側の皮肉ってるかの様に」佐藤看護師長:「先生、自らの政治的立場を医療に反映しちゃうのはどうかと」村松:「そうですね、看護師長。私は、テレビから伝わるベトナム戦争の行方は敗北だと感じますが」佐藤:「北ベトナム解放戦線の事ですか?」村松:「いえ、大国の横綱ですよ」「大鵬でもなんでもない力士に敗れる訳ですから」佐藤:「病棟アラウンドしてきますね」そんなやり取りがあり、丁度その頃、久慈は夢を見ていた。「3人の子がまた愛をめぐって血縁を恨み愛にしか生きられなくなるだろう」と久慈の実父とは言え随分前に逝去したのだが、夢枕とは逆に3人が実姉弟妹として仲良く寝顔を見ていると皮肉な運命が信じられない感じだ。久慈康夫は早朝5時半に雪道の中を運転して村松産婦人科病院に駆け付け妻である道子に事情を聞くとすんなり納得した。事情を知らないのは1部の入院患者様のみ。産婦人科病棟は人生の幸せの形が違うだけよと佐藤はいつも部下たちに言い聞かせてはいた。久慈道子は、父の夢枕を心に留める大事な事と位置付けた
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