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第一話 開幕

 この時期にしては少し暖かい風が、爽やかな感触を残して鼻腔を通り抜ける。程よい緊張感と静寂な空間によって醸し出される雰囲気は普段の日常ではなかなか味わえないもので新鮮味がある。

 特段資格試験や運動系の大会といった大舞台に立つことが得意なわけではないため、ある意味これくらいの緊張を感じることはいつもどおりのことである。しかし、ただ勉強だけを真面目にやってきた中学時の試験などとは比べ物にならないほどの精神的圧力が今、自分に圧しかかっていることは確かだ。

 先月行われた学力テストで一定以上の基準を満たした者のみが今この場にいるわけであり、彼らはその試験を無事乗り越えてきた、いわゆるエリート。こんな舞台で馬鹿騒ぎをしているようなやつは当然のようにいない。

 これから行われる第二術隊学院への入試二次試験は言わばバトルロワイヤルである。千人はいるであろう志願者の中から残り二百人になるまで生き残りをかけた戦いをする。

 もちろん負けたからって死ぬわけではない。意識が飛ぶ、或いは生命を脅かすほどの大怪我を追ったタイミングで試験会場にかけられた魔法で強制的に治療所までテレポートさせられ、リタイア扱いとなる。

 戦うもよし、逃げるもよし。その場に応じて臨機応変に対応できる能力が術隊に入る上で重宝されるとのことでこのような形式を取られているようだが...それだと逃げの選択が随分と有利だと僕には感じられる。

 その点を考慮してなのだろうか、このバトルロワイヤル生存者二百人に加えプラス四十人は学院側の判断でバトルロワイヤル脱落者から採用するとのことだ。それに推薦入学者十人を加えた計二五〇人が今年の合格者となる。

 フィールドは都市部を模した住宅街およびビル群。時間経過により行動範囲が狭くなっていき敵と接触する機会も増える様子。逃げに徹するにしても最終的には戦うことは必至だろう。

 もとより僕は氷属性。隠れることに特化した闇属性に対しては明らかにその点で劣っている。氷をうまく活用して逃げ隠れするのは難しそうである。これが氷山地帯であれば違ったのだが...毎年フィールドは変わるとのことだが今年は運がなかった、そう思うしかない。

 あれこれ考えているうちにいつの間にかカウントダウンが始まっていた。このカウントが終わった瞬間、今目前にいる同じ志願者は全員敵に一変する。皆が皆それぞれの思惑を胸にカウントの終了を待っているのだろう。

 そんな束の間も過ぎ去り、突然頭上から光が差し込んでくる。皆も同じようであり、これが説明であったテレポート前のエフェクトであると思い出す。目前が真っ白になったかと思うと、次の瞬間にはそこはもうさっきまでいた部屋とはまるで違う...ビル内の一室と思しき部屋の中が映し出されていた。

 直ぐ側に人の気配は感じられない。

「それでは始まります。皆さん、頑張ってください」

 感情をあまり感じられない女性の声が脳内に直接語りかけてきて、それは試験開始を告げた。

 試験開始前に渡された地図を見る。そこに映し出されている自分の現在位置は中心からやや北東よりの場所。一回目の行動範囲の収縮圏内にぎりぎり含まれている故、いずれは移動する必要がある。

 開始地点としてはまだマシな方なのだろう。もしフィールドの端っこからスタートだったなら開始直後に移動することが強制されていただろう。

 どうやら範囲の収縮は時間経過とともにじわじわと進行していくようで、自分のところが範囲外になるまであと二分は余裕がある。

 開始してからの数分、室内に設けられた窓から周りを見渡してみたが誰一人動いている様子は見られなかった。みな考えることは同じなのだろう。極力戦闘は避ける、或いは奇襲を狙っている。

 時間ギリギリになって移動するのは自分と同様範囲外から移動してきた敵と接触する可能性が高いだろう。そう考え、このビルから抜け出そうと動き始める。

 足音は自分のもの以外聞こえない。闇魔法に音を消すようなものもあった気がするが今は気にせず進み続ける。外に出たあと、数分歩いたところでさっき聞いたばかりのあの声が再び脳内に語りかけてくる。

「開始から五分が経過しました。現在の生存者は八一二人です」

 例年の減り具合など知らないが、行動範囲が開始時のおよそ半分になったのにまだ五分の四は残っていると考えると減少ペースはかなり遅いと感じられる。そんな俺の意思を汲み取ったのだろうか、追加のアナウンスがこう言い残す。

「臆病な皆さんのためにサプライズです。フェーズ2の範囲収縮を一分で行います」

 それが聞こえ終わると同時に背後からゴゴゴという音を立てて行動範囲を指定する壁が動き始める。

 これと壁の間に挟まれればひとたまりもないだろうな、なんてことを考えている余裕はない。マップを確認すると次の収縮で移動する必要のある距離はざっと三〇〇メートル。全力疾走すれば間に合わないことはないがそれだと疲れ切ったところを奇襲されかねない。

 幸い目の前は一面アスファルトの坂道だ。滑り降りれば余裕で間に合う。

「アイスストレード!」

 そう唱えると同時に目の前に長い長い氷の道が現れる。それはアスファルトの上にできた氷の膜でしかなく、強い力が加われば容易く砕け散る。

 しかしその上を滑るだけなら造作もない。靴底も凍らせることで極力摩擦をなくす。それでも生じる多少の摩擦により溶けた氷が水となり、逆にそれが潤滑剤となることで勢いは増していく。

 時折近くから戦闘音が聞こえてくる。突然の事態に接敵は避けられなかったのだろう。

 坂道が終わったところでアスファルトの上に足をつける。範囲収縮が終わるまでまだ四〇秒ほどもある。対して残りの距離は一〇〇メートル弱。かなり余裕はある。

 そう一息ついたときだった。突然大きな金属板が目の前に隆起してきて...それは完全に僕の周りを円形に覆い囲む。地面からそびえ立つ金属の高さは軽く五メートルは超えている。

 思いっきり殴ったりしてみるがびくともしない。完全に閉じ込められてしまった。

「悪いがここでリタイアしてもらうぜ」

 壁の向こうからこの攻撃の犯人と思われる奴の声が聞こえてくる。

「行動範囲の壁は当たり判定があるからな。収縮に合わせてその金属に押しつぶされな」

 こうして範囲が迫ってくるまで待ち伏せていたのだろうか。相手にはかなりの余裕が感じられる。僕以外のやつもこうしてリタイアさせてきたのだろうか。

 ここまで壁が来るまでにかかる時間はざっと一五秒ほど。相手は間違いなく金属魔法使い。瞬時にこれほど硬くて高く、分厚い板を作っている以上周囲の魔力は大して残っていないだろう。

 残りの時間、周辺に残っている魔力でこの壁を貫通させることは不可。かなり余裕はない。

 だが意外と焦りはなかった。このような窮地にこれまで立たされたことはなかったが諦めたり考えることをやめようとはしなかった。

 唯一思いつた突破口を一縷の望みに、俺は詠唱する。

「アイスピラー...!」

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