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第三十四話『家族の繋がり、親子の絆』

 朝方にルインがアパートから姿を消し、すでに十時間以上も経っていた。
 相変わらず雪は降り止まず、陽が落ちて辺りは暗くなっている。外に人影はほぼなく、車通りもだいぶ減っていた。それはまるで世界から人が消えていくようだった。
 シンとした静寂の中を俺は独り歩き、闇雲にルインを探し続けていた。
 靴は雪と解けた水で冷たくなり、足は感覚が無くなって棒のようだ。疲れのせいかめまいもし、俺は転びそうになりながらも近くの壁に寄り掛かった。

 「……ルイン。……いったい、どこに……行ったんだ」
 ルインの置手紙には、記憶が戻った事実とお別れがつづられていた。文の末尾にはこれから魔王と決着をつけると書かれていて、助けはいらないという一文で締められていた。
 急すぎる別れに納得できず、俺たちはルインを必死に探した。エリシャの探知魔法も使ってもらったが、それはある事情により効果がなかった。

 今降っている雪は異界の門が広がった影響によるもので、雪そのものに微弱な魔力が宿っているのだという。全域に広がる魔力のせいで探知魔法の針はぐるぐると回り、一向に特定の方向を指してくれなかった。
 この広い町の中で、手掛かりもなく一人の少女を見つけるなど不可能だ。それでも諦めきれず捜索を続けたが、ルインの姿はどこにもなかった。もっと遠くに探しに行こうにも、厚く積もった雪が邪魔で行動範囲は近辺に限定された。

 「……はぁはぁ、……はぁはぁ」
 身体を引きずるようにして歩き、俺はアパートの前まで戻ってきた。すると外で待っていてくれたエリシャが駆け寄り、フラつく俺の身体をそっと支えてくれた。
 「……レンタ、もう限界です。ここからは私が探しますから、中で休んでいて下さい」
 「駄目だ。今のエリシャを、外に出すわけにはいかない」
 急激に大気中の魔力量が増えたせいか、精霊人であるエリシャは体調を崩していた。今は外に出られるぐらい回復したようだが、安静にしておくに越したことはない。

 「とりあえず一旦落ち着きましょう。ね、レンタ」
 「…………分かった。じゃあ、少しだ……け」
 服越しでも触れ合った身体は暖かく、俺は力が抜けてエリシャへと倒れるように寄り掛かった。突然のことにエリシャは反応できず、アパートの軒下に二人で倒れ込んだ。
 「レンタ、大丈夫ですか?」
 「……大丈夫だ。ごめんな、エリシャ」
 すぐに立ち上がろうとしたが、中々身体に力が入らない。俺は自分の情けなさと不甲斐なさを痛感し、エリシャに覆いかぶさったまま目を涙で濡らした。

 「……全部俺のせいだ。俺の迷いのせいで、ルインは……!」
 もっと親としてルインに寄り添っていればと、強い後悔の念に苛まれた。脳裏に浮かぶのは、失ってしまった温かな時間とルインの笑顔だ。
 ずっとルインの傍にいれば、魔王と独りで戦うという無謀な行為を止められたかもしれない。それ以前にもっと仲良くなれていれば、記憶が戻っても相談の一つでもしてくれたかもしれない。

 (結局俺たちは、ただ家族ごっこをやっていただけなのか……)
 気づけばエリシャも涙を目に浮かべ、辛い表情で俺を抱き寄せた。いくら悔やんでも失った時間は帰ってこない。そんな事実がひたすら心に刺さるようだった。
 すでにルインは魔王と戦い、その命を散らしてしまったかもしれない。仮に勝てたとしても、俺たちの前には二度と姿を現さないだろう。
 「…………もう、今日は」
 諦めるかとエリシャに言いかけた。だが意思に反して口は動かなかった。自分でも何がしたいのか、記憶が戻ったルインと会ってどうしたいのか分からなかった。

 そんな無為な時間を過ごしていた時、ポケットに入れていたスマホが振動を始めた。手に持って画面を見てみると、そこに映っていた着信相手は俺の『母親』だった。
 俺はとっさに身体を起こし、通話ボタンをタッチしスマホを耳に押し当てた。
 「……はい、煉太です」
 『あっ、ようやく繋がった。何度も電話したのに一度も返事が来ないから心配してたんだよ。ほら、そっち今雪が凄いって話じゃない』
 こっちの状況とは違い、母親はいつも通りに話しかけてきた。俺は呑気に話す気にもなれず、適当に相槌を打って通話を切ろうとした。

 「ごめん、ちょっと忙しくてさ。まぁ、こっちはそれなりにやってるよ」
 『それなりねぇ……。何だか声が疲れてる気がするけど、本当に大丈夫なのかい? 相談があれば聞いてあげるけど』
 電話越しのはずなのに、母親は俺がいつもと違うと気づいた。最後までルインの変化に気づけなかった俺は、何故分かったのかと理由を聞いてみたくなった。

 「なぁ、母さん」
 『ん? どうしたんだい?』
 「あっ、いや……その」
 言い出したところで、ルインのことをどう説明したものかと思った。慌てて思考を巡らせて思いついたのは、行方不明になったミクルの一件だった。俺は「知り合いのことだけど」前提を出し、詳細をぼかしてルインとのことを話していった。

 「……ずっと仲良くやってきたつもりだったのに、その子は家出しちまったんだ。いくら探しても見つからなくて、もう……どうしたらいいのか分からない」
 『…………』
 「どうやったら親は、子どもの気持ちを知ることができるんだ? ……どうやったら当たり前のように、子どもに寄り添ってあげることができるんだ?」
 途中から俺は、湧き出た感情のままに疑問を投げていた。エリシャは何も言わず隣にいて、俺と一緒に母親からの返答に耳を傾けていた。

 急にどうしたのだと問われる覚悟はしていたが、母親は聞かされた話を真剣に考えていた。そして僅かな間のあと、優しい声音で質問に応えてくれた。
 『しいて言うなら、目を背けず一緒に学ぶことかねぇ。もちろん難しいことばかりだったけど、どんな時でも家族皆で支え合って乗り越えてきた』
 「目を背けず、支え合って、乗り越える……」
 『親ってものは突然なるもので、なったその日から色んなものが変わってしまう。先人からアドバイスはもらえるけど、実際に子どもがその通り育つわけじゃない』
 そこで一呼吸を置き、母親は「だから一緒に苦労し、学んで生きていくのだ」と続けた。

 『そうした繋がりの連鎖が、さっき言った互いを知ることになるんじゃないかい』
 「…………」
 『煉太が何を抱えて、何に迷ってるのか分からないけど。決して目を背けちゃ駄目。もし無理だと決めるなら、それは最期の最後、死ぬ気で手を尽くした時だけだよ』
 その言葉で思い浮かんだのは、飲み会で竹田先輩が言っていた話だ。人は間違いを起こす生き物で、必要なのは間違いの果てに何を選択し行動するかというものだ。

 (……そうだ、まだ全部終わったわけじゃない)
 諦めかけていた心に火がつくのを感じ、すぐにでもルインを探しに行こうと決心した。感謝して通話を切ろうとしたところで、母親が「最後に一つ」と俺を引き留めた。
 『いいかい、家出した子どもってのは、本心では自分を探しにきて欲しいって思ってるんだ。どれだけぶっきらぼうな子でも、それは変わらない。よく覚えておきなさい』
 「……あのさ。一応だけど、今の知り合いの子どもの話なんだけど」
 『あぁそうだったかい? あんまり深刻そうだから勘違いしちゃったよ』
 わざとらしく笑う母親の声を聞いて、俺も少しだけ笑うことができた。今度こそ感謝を伝えて通話を切り、ずっと傍で待っていてくれたエリシャを見た。

 「ルインを探しに行ってくる。帰ってきた時のために、夕食と風呂の準備をお願いしてもいいか?」
 「はい、任せてください。二人が一緒に帰ってくることをずっと待ってます」
 「ありがとう。――――それじゃあ、行ってくる!」
 俺はアパートの軒下から飛び出し、まだ探していなかった場所に向かおうとした。すると前向きな気持ちを後押しするかのように、曇天の夜空にいつか光が瞬いた。続けて聞こえてきた爆発音で、それがルインとミクルが戦っている光だと思い当たった。

 「――――ようやく、見つけた……!」
 距離は遠いようだったが、俺は迷わず走り出した。絶対に間に合わないと心の弱い部分が語り掛けてきたが、それでも必死に足を動かし続けた。そして路地から大通りへ向かうところで、車のハイビーム光がまばゆく俺を照らしてきた。
 「おい、レンタ! こんな時間にどこへ行くんだよ!」
 「……? お前、拓郎か?」
 光に近づいて行くと、ジープ系の車の窓から拓郎が顔を出していた。話を聞いてみると、どうやら野暮用ついでに俺のアパートに寄るつもりだったらしい。

 「……なぁ、拓郎。すまないがそれに俺を乗せてくれないか?」
 「あぁ? こんな雪の夜に何かあんのか?」
 「大切な用がある。詳しい事情は話せないけど、本当に急いでいるんだ。もし乗せてくれるなら、どんな無茶振りでも付き合ってやるから……頼む!」
 俺は深く頭を下げ、拓郎からの言葉をじっと待った。すると拓郎は何かを考え、普段通りの軽い口調で話しかけてきた。

 「だったらまず一つ、いつかの休みに俺の配信業を手伝ってもらう」
 「構わない。どんな汚れ役だって引き受けてやる」
 「そして次に一つ、俺に新しい彼女ができるまで協力しろ。ふっ、それで交渉は成立だ」
 俺は即座に了承し、拓郎と強く握手を交わした。急いで車内へと入ると、拓郎お気に入りのレース映画の派手な曲が耳に入ってきた。

 「なぁ拓郎。大通りは渋滞だし路地は雪で埋まってるが、この車で進めるのか?」
 「愚門だね。こいつは岩地だって走れる特別製で、タイヤは最新式のスタッドレスでチェーンだって巻いてある。それに乗り仲間のネットワークを駆使すれば、雪も渋滞も少ない道ぐらい見つかるさ」
 「……まじか、やるな」
 「へっ、これから敬ってくれてもいいんだぜ?」
 そう軽口を言い合うと、拓郎は頼りがいあるニッとした笑みを浮かべた。

 「――――で、煉太。俺はどこに行けばいい?」
 「あの夜空の光を追ってくれ、できるだけ速く!」
 「へぇ、何だか面白そうじゃん! じゃあ、最大速度でぶっ飛ばすぜ‼」
 拓郎はマニュアルレバーを動かしアクセルを踏み、車通りの少ない道を飛ばしていった。

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