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 五時限目の授業に出ることなく、環奈は保健室に逃げ込んでいた。なんだか本当に具合が悪くなってきて、保健室の先生に体温計を借りると微熱があった。
 部室の鍵をまだ持っていたので、きちんと施錠してから早退し、徒歩で家路へと向かう。
 今日は雷混じりの雨で、まるで環奈の心のようだった。

 ぼんやり歩いていると、いつの間にか古民家カフェ・ヒトエの前に来ていた。今日は営業している。
 早退したのに寄り道なんてしているのがばれたら、まずい。こんな授業のある昼日中に高校生が一人でカフェになど来ていたらおかしい。そうも思うが、まっすぐ家に帰りたくなかった。


 鈴の音と共にドアを開ける。しかし中にいたのは禅一ではなく、アルバイトの店員だった。

「いらっしゃいませ、どうぞ、お好きな席に」

 引き返そうかと心が揺らぐ。禅一に会いたかったのに、いないなんて考えもしなかった。しかし失礼になるかもと考え、引き返すことはやめる。

「あの……今日は禅さんは?」
「あぁ、今日は禅一さん、ちょっと用事で出掛けてます。でも、あと一時間もすれば戻るはずですよ」
「そう……なんですね」

 あからさまにがっかりしたのが、相手にも伝わったらしい。

「待ちます? もし良かったらですけど、私とゲームでもしながら。一時間とか、結構あっという間に経ちますよー。あ、ちなみに私はアルバイトの……」

 自己紹介される前に、禅一が呼んでいた名前をふと思い出した。

「麦ちゃんさん」
「えっ、そうです。覚えてくださったんですね、光栄です……お客さまは環奈さんでよろしかったですか」
「当たりです」

 名前を覚えて貰えたことに気を良くしたのか、にこにこと麦は人の良い笑みをこぼしている。環奈はぼんやりとその笑顔を見つめ、勧められるがままに席に座った。

「麦ちゃんさん、いいんですか? あたしの相手なんてしてて」
「他にお客さまがいらしたら、ちょっと外させていただきますけどね。えーと、ご注文お聞きしてよろしいですか」
「あったかい……優しい飲み物がいいな」

 ふんわりと抽象的な注文に、麦は少し考えて、「わかりました」と奥に歩いていった。
 何やら作ってくれている麦に、環奈は話し掛けてみる。

「ゲーム、選んでていいですか?」
「どうぞぉ。こっちもすぐ出来ますんで」

 ディスプレイされたゲームの中から、ダーツを選ぶ。本格的なものではなく、おもちゃ屋さんに売っているようなものだった。

「真ん中狙います?」
 ダーツの矢を構えた環奈に、麦はトレイを持ってやって来た。
「ううん、なんかで見たんだけど、細いとこが点数高いとかって……えいっ」

 投げてはみたものの、的に当たるどころか途中で速度を失い届かなかった。麦はテーブルにトレイを置いて、環奈の傍に立つ。

「もうちょっと前に出てもいいんでは? ルールとかここではないので、楽しく遊びましょう。あと、ラテアートしてみました」
「ラテアート……」

 テーブルに置かれたカップを見ると、可愛らしいトイプードルの顔が出来ていた。

「うわぁ、麦ちゃんさん上手」
「麦ちゃんさんてやめません?」

 ちょっと苦笑いしている麦に、環奈も笑う。少し気分が上向いてきた気がする。
 麦の言うとおり、さっきより前に踏み出して矢を投げると、今度は的に当たった。当たるとぴこぴこ光るギミックになっていて、チープに点滅している。
 麦が交代で投げている間に、可愛い出来映えのカフェラテに口をつけた。注文どおり、温かくて優しい味がした。

「ただいまー……あれっ」

 不意に禅一の声が聞こえたので、二人して振り返る。微熱があったことも忘れ、結構白熱して遊んでいた環奈は少し汗ばんでいた。

「環奈さん、いらっしゃい。麦ちゃんと遊んでたの」

 学校は? などとは聞かれなかった。麦も聞かなかったし、それほど重要なことではないのかもしれない。

「禅さぁん……」
 禅一の顔を見た途端、環奈はいきなり感情の波が押し寄せてきた。
「え? え? 大丈夫? ちょっと落ち着こうか」

 禅一に駆け寄って、すがりつくようにくっくいてきた環奈に、さすがの禅一も少し焦った。見ると環奈は泣きべそをかいている。

「麦ちゃんが泣かせたの?」
「いや、そんな人聞きの悪い! さっきまで一緒にダーツを楽しくやってただけですよっ」
「……環奈さん大丈夫? 座ろうか」

 麦の言い分をとりあえず信じてやり、禅一は最大級の穏やかな声で宥めた。しかしそれは逆効果だったようで、更に涙が溢れてくる。

「え……と、困ったな。よしよし。とりあえず泣きたいなら泣いておこう」
 禅一は早々に諦めて、環奈が自分で落ち着くまで待つことにした。

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