第二十五話『大切な怒りと不明な魔王の意図』
「……で? 何でエリシャはそんな危ないことをしたんだ?」
俺の咎める声を聞き、エリシャはシュンと申し訳なさそうに俯いた。そんな俺たちをルインは離れた場所から見つめ、ぬいぐるみ型リュックをぎゅっと抱きしめ見守っている。
昨夜エリシャは眠っている俺を置き、単身で夜の町へと繰り出し魔王と戦った。そのおかげで拓郎が助かったので、本来なら感謝するべき状況ではある。けれど最悪の場合エリシャが死んでいた可能性があった。
話しを聞くたびに俺は心から憤慨した。独りで危険なことをしたエリシャについてもだが、一番は足手まといでしかない無力な俺自身に対してだ。
「エリシャのことだから俺の身を案じてくれたんだろうけど、やっぱり何か一言でも言ってくれたら嬉しかったな」
「本当は魔王を確認したところで戻るつもりでした。けれどタクロウさんが危険な目に合いそうで……、本当に申し訳ございません」
「まぁそこは感謝してる。でも、金輪際独りで行動するのは辞めてくれ。もし朝目覚めてエリシャがいなくなってたら、俺はきっと立ち直れない」
それほど大切なのだと心を込めて伝え、俺はこの件の追及を辞めた。そして張り詰めた雰囲気をやわらげ、改めて魔王についての詳細を聞いてみることにした。
「実際エリシャが戦ってみて、魔王はどうだった?」
「感覚としか言えませんが、やはり弱体化はしてるようです。この世界の魔力環境が、あの怪物の力を抑制してるのでしょうね」
「上手くやれば勝機もあるって感じか、それは悪くない情報だな」
魔王の身体は大部分が漆黒の魔力で構成されている。あの鎧ともいうべき闇は勇者の剣すら弾くほど堅牢だが、外部から魔力を供給することができなければ長く維持することはまず不可能だ。
「……他に気になったことはあるか? まだ確信が持てないような話でも、全部俺に教えてくれ」
「はい、分かりました」
そこからエリシャが話してくれた情報は、俺にとっても予想外なものだった。まず驚いたのは魔王が憑りつき利用していると思われる人物の話で、それは俺が日本に戻ってすぐに出会った女子高生で間違いないそうだ。
他にも魔王が言ったという、「正義」という発言が気になった。何か思い当たる節がないかと頭を悩ませていると、さっきまでソファの方にいたルインが近寄ってきた。
「パパ、ママ。ルイン……お腹空いた」
俺たちが真面目に会話していたので、我慢ギリギリまで律義に待っていたようだ。俺とエリシャは急に緊張が解け、一旦話を打ち切って朝食を作ることにした。
皆で朝食を済ませ、お昼ごろまで日本語の勉強をして過ごした。今日はルインが友達の鈴花と図書館で会う約束をしている日だ。よほど楽しみなのかルインのやる気はいつも以上で、日常で使う簡単な単語をどんどんと覚えていった。
「うん、やっぱりルインは凄いな。さすがは俺たちの…………いや」
俺は続く言葉を止め、誤魔化すようにルインの頭を撫でた。
「……んぅ? どうしたの、パパ?」
「なんでもない、この調子で頑張れば、鈴花ちゃんとも話ができると思うぞ」
「やった。じゃあ、ママにもきかせてくるね」
ルインはソファからピョンと降り、キッチンにいるエリシャへと駆け寄っていった。今エリシャは皆用の弁当を作っていて、作業をしながらルインとカタコト混じりの日本語で話し合っていた。
「さて……、今のうちに調べるか」
俺はリビングに置いていたノートパソコンを開き、周辺の高校について調べていった。検索内容はあの女子高生の出身校だ。さほど離れた場所ではないだろうしすぐに見つかると思ったのだが、意外にも特定には時間が掛かった。
「……あった、これだな。うちの最寄りの駅から、二駅も離れた場所なのか」
周辺の高校を調べても制服の形が合わず、範囲を広げてみたらヒットした。これで一歩進展だと考えたところで、俺は一つの疑問に思い当たった。
(なんであの女子高生は、深夜にこの近くをうろついてたんだ?)
当日はドタバタしていたので疑問に思わなかったが、よくよく考えればおかしな話だ。
一応の理由を考えれば、友達の家に泊めてもらっていたとかだろうか。そしてちょっと買い物に出て、あの交差点を通ってトラックに轢かれそうになった。あまり腑に落ちなかったが、ここに関しては考えても無駄そうなので諦めた。
「ここからどうやって接触したもんかな。校門前で待ち伏せするのが確実だろうけど、不審者として通報されるのも…………ん?」
ストリートビューでも使おうかと思ったところで、サイトの中段辺りにあったあるニュースが視界に入った。その内容はこの高校近辺で多発しているという暴行事件についてで、被害者のほとんどが柄の悪そうな男性だった。
「……被害者はいずれも『黒い影』について言及したが、監視カメラにはその姿は映っていなかった。さらには『正義の執行』などという不可思議な発言もあって……」
拓郎の話とエリシャの話を合わせると、この事件は魔王によるものだ。記事の中には黒い影によって助けられたと話す女性もいて、俺はますます意味が分からなくなった。いったい魔王は何が目的で、こんな偽善的な行為に及んでいるのだろうか。
何か有益な情報でもないかとニュースチャンネルをつけてみると、画面に映し出されたのは騒動の渦中にあった自然公園だ。インタビューを受けているのは若い女性で、男に深夜ナンパされたところに黒い影が現れたと言っていた。
『……さらに謎の発光現象も確認され、監視カメラで原因を調査中です』
映像にはエリシャが放ったと思われる魔法の光が映っていたが、詳細を特定できそうなものには見えなかった。とりあえずは一安心と思いテレビを切ったところで、ルインが俺の元に走ってきて服をぐいぐいと引っ張ってきた。
「パパ、そろそろじかん。ママもよういできたっていってたよ」
「もうそんな時間か、すぐに準備するよ」
あらかじめ外着には着替えていたので、準備と言ってもジャンバーを着るぐらいだ。全員で身支度を確認し、揃って玄関へと向かっていった。
「パパ、たのしみだね」
「あぁ、そうだな。今日は思いっきり遊ぶといい」
これから俺とエリシャは忙しくなり、魔王の件が片付くまではルインを一人にさせてしまう。だからこそ今回の交流会は、しっかりと楽しませてやりたかった。
「ママのごはんも、ルインはやくたべたい!」
「ふふっ、初めて作ったものなので、あまり期待し過ぎては駄目ですよ」
「いやいや、エリシャが作ったものなら美味いに決まってる。なぁ、ルイン」
「うん、まちがいない!」
俺たちはルインの両隣に立ち、手をつないでアパートの外へと歩いていった。
こんな日常がいつまでも続けばいいと考えながらも、俺の心には消えない不安があった。それは徐々に日常を侵食してきた魔王の影で、こうして団らんの時を過ごしている間にも背後から迫ってくる気がした。