第十九話『焼けた会社跡と降り出した雪』
十五分ほどの時間を掛け、俺たちを乗せた電車は目的の駅に停車した。
フラフラとしたエリシャを支えながら降り、改札を通って近くのベンチに腰を下ろした。酔いが酷いのかとも思ったが、幸いにも頭痛や吐き気はないそうだ。少しすると徐々に顔色も良くなり、エリシャはだいぶ普段通りに戻ってくれた。
「……本当にご迷惑をおかけしました。こんなに足手まといになるなんて、勇者一行として面目が立たないです」
「そう落ち込むことないだろ。今のエリシャは魔力供給できないせいで本調子じゃないし。それに、俺もルインも一緒に入れて楽しかったぞ」
「うん。ママ、あのね。ルインもみんないっしょでたのしかったよ!」
ルインはパタパタと身振り手振りをし、幼いなりにエリシャを励ましていた。
それを見てエリシャは表情を和らげ、ルインの小さな頭を優しく撫でていた。
「ありがとうございます。そう言ってもらえると助かります」
「魔王が現れた時は力を借りるし、もう気に病むな。適材適所、うまくやっていこう」
俺がそう励ますと、エリシャは「任せて下さい」と力強く言って立ち上がった。そして全員で歩き出そうとしたところで、空から小粒の雪がハラハラと舞い降りてきた。
「……前日の予報通りか。目的地はさほど遠くないし、すぐに向かうとしようか」
俺はルインを肩車し、通勤に使っていた道を進んでいった。
会社跡近辺に到着する頃には、少なかった降雪が増していた。明日はかなり積もりそうだと考え、車が行き交う大通りを歩いた。
(……故郷の田舎ならまだしも、都会の十一月にこんな降るなんてな。もしかすると、今年は結構雪が多くなるかもしれない)
そんなことを考え歩いていると、道の先に赤い点滅がいくつも見えてきた。それは工事や事故現場などに使われているランプの光で、赤のカラーコーンなども置いてあった。
この先にあるモノを見たくないという感情が湧いてくるが、俺は歩みを止めずそこを目指した。普段通りに曲がり角を行くと、目の前に焼け焦げた会社が姿を現した。
「………………本当に、全部焼けちまったんだな」
先輩から事情を聴き、テレビで見ていたので覚悟はしていた。だがそれでも、ほんの数日前まで存在していたものが無くなるという空虚感は耐え難かった。
俺の異世界過ごしていた期間は五年間で、日本で会社にいたのは四年間ほどだ。だから凄く愛着があったかと問われればそうでもない。けれど自分がいたはずの場所が消えてしまうというのは、こんなにも辛いものなのだと思い知らされた。
「……パパ、だいじょうぶ? なんだかつらそう」
「いや、何でもないさ。ちょっと雪が冷たかっただけだ」
エリシャは何も言わず、俺の手をきゅっと握ってくれた。その温かさに心の中で感謝し、二人を不安にさせないためにも、気を取り直して付近を散策することにした。
幸いにも警備員や警察の姿はなく、施設近辺を歩くことができた。立ち入り禁止のテープがあったので敷地内には入らず、離れた位置からいくつか写真を撮った。
「うーん、俺が見ても焼けた建物って感想しか出ないな。エリシャはあの建物から何か感じ取ったりするか?」
「……私的には、うっすらですが魔王の魔力を感じます。ただ当然と言いますか、やはりこの近辺に魔王はいないかと」
「うーん。となると無駄足だったかな、まぁ襲われるよりはいいと思うか」
念のためルインの意見も聞こうかと思った。同じ魔族ならば、何か感じるものがあるかもしれない。だがいつの間にか、俺たちの傍にルインの姿がなかった。
「エリシャ、ルインはどこへ行った?」
「え、さっきまでここに…………あれ?」
慌てて辺りを見回すと、遠くのフェンス越しにどこかへ走っていくルインが見えた。名を大声で呼ぶが立ち止まってくれず、俺たちは急いで後を追いかけた。
そうして敷地外を半周し、俺たちは会社跡の裏手に着いた。するとそこでルインはしゃがみ、ぼんやりとした目で茂みの中をじっと見つめていた。
「ルイン……、勝手に走っていったら駄目じゃないか」
「…………うん」
「何かそこにあるのか?」
ルインの様子がおかしかったのもあり、俺は叱るのを中断して茂みを覗いてみた。するとそこには焼け焦げた瓦礫の一部が落ちており、触れると赤い静電気がバチリと走った。
「レンタ、大丈夫ですか?」
「あっ、あぁ。……なぁエリシャ、これを使えば魔王を探知したりできるか?」
「断言はできませんが、やれるかもしれません。この瓦礫からは、魔王の魔力を確実に感じますので」
「…………よし、なら収穫もあったし今日はここまでだな」
急な行動をしたルインが気掛かりで、これ以上この場に留まるべきではないと判断した。帰路に着きつつ会社跡を眺め、かつての居場所の残滓を脳裏に焼き付けた。
だいぶ雪が酷くなってきたので、道中のコンビニでビニール傘を買った。一応警戒していたが魔王は現れず、問題ないまま駅に戻ってくることができた。
すでに時刻はお昼時近くで、このまま昼食を摂ることに決めた。駅前ということもあって飲食店が多く、三人で悩みながら歩いた。するとエリシャが意外な店の前で足を止め、ガラスに貼られているポスターをじっと眺めていた。
「……もしかして、牛丼に興味があるのか?」
「えっと、はい。自分でもよく分からないのですが、何だか凄く美味しそうだなって」
「おいしそう、ルインもここでいいよ」
ルインも気になったようなので、今回は牛丼をお昼にすることにした。
自動ドアをくぐって中に入ると、エアコンのほどよい熱気が俺たちを包んでくれた。テーブル席につくとすぐにお茶が置かれ、それをエリシャに勧めてみた。苦みもあるので気に入るかは五分五分だったが、美味しそうに飲んでくれて安心した。
「……これは、紅茶とも違うのですね。薬草を煎じたような苦みですが、お茶特有の深みをしっかりと感じます」
「それは緑茶っていう日本のお茶だよ。ずっと昔からあるもので、家庭によっては紅茶みたいに一日何杯も飲んだりするそうだ」
「いいですね。リュクチャ……、他にどんなものがあるのか気になります」
二口目を飲むエリシャを見て、ルインも「飲みたい」と目を輝かせた。だがさすがに苦かったようで、口直しに水をコクコクと飲んでいた。
「うー……、にぎゃい……」
「ふふっ、ルインにはまだ早かったですね。私のお水も飲みますか?」
「のむ……」
ちょっと様子がおかしかったルインだが、だいぶ元の無邪気さに戻っていた。今日はかなり歩いたので、単純に疲れていただけなのかもしれない。
(……あぁ、きっとそうだ)
二人の温かなやり取りを見守りつつ、俺はメニュー表に目を移した。
色んなトッピングがされた牛丼を一通り眺め、今日はシンプルなものを勧めてみた。エリシャもルインも迷ったが、最初ということもあり三人とも普通の牛丼に決めていた。
三分かからず牛丼がテーブルに置かれ、二人はその早さに驚いていた。
「牛丼は昔から『早い・安い・旨い』って言われてるんだ。だから仕事帰りやちょっとの昼休憩とかに、よく好まれて食べられてるな」
「……となるとこれは、ニホンの職人たちを支えている側面もあるのですね。……なるほど、心して食べるべきかもしれません」
「そこまで大仰なものでもないけどな。さぁ、食べようか」
俺が手に箸を持つと、ルインが真似して箸を使おうとした。だが使い方が分からなかったようで、しょんぼりしてフォークを手に取った。
「んぅ……、ルインもそれつかってみたい……」
「だったら箸の使い方を教えようか? 覚えるのは難しいけど、慣れればこれはこれで結構便利だし。何より日本では必須だからな」
「やる!」
「良かったですね、ルイン」
優しく言うエリシャの手には、正確に握られた箸があった。形だけでなくキチンと開閉までこなしており、いつの間に覚えたのかと疑問が浮かんだ。
「ふふっ」
俺の視線に気づいたエリシャは、しぃと指を口元に押し当てた。きっとルインにいいところを見せるため、影で相当練習したといったところだろうか。
「……やっぱりエリシャは、大したもんだ」
ルインに聞こえぬ声量で呟くと、エリシャは嬉しそうにしていた。
それから俺たちはいただきますと言い、目の前の牛丼を食べていった。どちらも反応は上々で、口に運ぶ手も微かに速くなっていた。
俺が「また来たいか」と言うと、二人は即座に肯定してくれた。