第20話「力不足」
「え?」
その瞬間、竜太の腹部から黄緑色に光る刃物が楓の視線の先に現れ、竜太の口から血が溢れ出し、黄緑色の刃の先端から伝う竜太の血が楓の目の前でポトリポトリと一滴、二敵と落ちる。
「こりゃ驚いたな、死んだと思ってたのにヴァンパイアになって生き返ってたのか。混血に命を拾われてよかったなぁ」
ついこの前の出来事を懐かしむように遠い目をし、過去に思い馳せて噛み締めながら言う白い隊服を着たガタイの良いヴァンパイアが竜太の後ろに立っていた。
「あの時もちょうどこの辺りをぶっ刺したんだったよな。お前は痛みに震えてぎゃあぎゃあガキみたいに喚いてたっけ」
楓は竜太の肩口から覗く見覚えのある顔を見て目を見開いた。
楓は喉の奥につっかえる声がうまく出てこず、かすれるだけの意味のなさない音しか出てこなかった。
「鮮度が落ちゃうから死なないように心臓から外したんだっけな」
そのヴァンパイアは緋色の双眸で見下ろす視線と楓が見上げる視線が重なる。
すべてが始まったキッカケとなった、あの時起こった衝撃は楓の記憶に今でも鮮明に残っていた。
「お前、あの時の…」
ようやく楓がそう言うと、竜太の後ろにいるヴァンパイアは黄緑色の刀を引き抜き付着している血をわざとらしく楓に見せつけてから滴る一滴を舌の上に乗せた。
「ヴァンパイアの血ってまずいよな」とそのヴァンパイアは刀に付着した竜太の血液を見つめて渋い顔をする。
刀を引き抜かれた竜太は膝から崩れ落ちるように地面に膝を付き、水色のワイシャツの赤黒いにじみが広がっていく。
そして、震える手で傷口を覆う。血まみれになった手を見て自分があの時と同じ場所を刀で刺されたことをこの瞬間に初めて自覚した。
すると突然、竜太の呼吸が荒くなって吐き気を催したのか手で口を抑えた。
「竜太! 大丈夫?」
楓の呼びかけに竜太に届いていないのか答えなかった。というよりも、答える余裕がないくらいひどい発作が起きた状態だった。
ヴァンパイアであれば心臓を突かれなければ死ぬことはない。よって、竜太の負った怪我は少しずつ治り始め止血されていた。
しかし、怪我が治りかけていても竜太の様子は変わること無く、じっとりとした嫌な汗が額ににじみ出ている。
楓は目の前で崩れ落ちる親友を前にして、その元凶を鋭くにらみつける。
「お前が竜太にしたこと、絶対に許さない! 」
楓は地面に張り付いたように動かない体を必死に腕の力だけで持ち上げようと試みるが体は楓の意思に反して全く持ち上がらない。
そのヴァンパイアは鼻を鳴らして楓を見下す。
「やれるもんならやってみろっての。つってもお前はこれから俺らの仲間になるんだけどな」
竜太を刺したヴァンパイアは刀に付着している血液を振り払って、足元にうなだれている竜太を足でどかし、楓の前に歩を進める。そして、柊と安中は武器を構え戦闘準備に入る。
「だからなぁ、混血のガキぃ。俺はお前の先輩になるかもしれないからな。名前教えてやるよ、志木崎って言うんだ」
志木崎は楓に向かって手を差し伸べた。
「さあ、一緒に帰ろうぜ、後輩。人前で話すのは得意か? お前も自己紹介するんだぜ。みんなお前を待ってるんだぞ」
まだ怯えている竜太を見て楓は湧き上がる思い必死に堪えるように唇を震わせていた。そして、視線を上げてかろうじて動いた腕で志木崎の腕を振り払った。
「帰る? ふざけるなよ。僕はお前らのところには行かない」
蒼白の顔色を見せる楓だったが相手をあざ笑うための笑みを作る余裕は残されていた。
「おいおい、お前は誰に作ってもらったと思ってるんだよ」
志木崎は話の通じない相手と会話しているように両手を天に向けて呆れ返って首を横に振っていた。
「恩義がないのか? 話が通じないガキだな。なら…」
志木崎は刀を握る手を強めて戦闘の構えをした。
「実力行使と行こうか」
ニヤリと笑みを浮かべ牙が志木崎の口から姿を覗かせる。
「ここは引いたほうがいい。格上相手に手負い2人がいるのは状況が悪すぎる」
そう言ってすぐに柊が安中に目配せして楓と竜太を抱えて走り、逃げようとした。
「今度こそ、逃がすかよ。混血は俺が捕まえんだよ」
志木崎は大きな体を揺らしながら4人を追いかける。
安中に抱えられる竜太は体に力が入っていないようで手足をぶらつかせて走る時の振動につられて振り子のように揺れている。
安中が指でマシンガンを回転させノールックで追ってくる志木崎に連発するも効果は無く当たっても威力が足りずにすぐに治癒してしまう。
「やっぱ効果ないよな。こんな時に格上が相手かよ。面倒くさいことになったな」
「あいつは僕らのことを襲ったときは黄色いヴェードだったのになんでいつの間にか黄緑に変わってるんだ」と楓は言った。
「何かキッカケがあってヴァンパイアとしての力が強化されたのかもしれないね」
志木崎はジャンプして4人の前方へ派手に砂埃を巻き上げて着地した。
「いいことを教えてやるよ。俺を強くしたのは恐怖だ。恐怖は生命を強くする。生物ってのは恐怖という体験を積んで進化してんだよ」
志木崎は刀を振り切りその風圧で地面の砂が逃げるように舞っていく。
「逃げられそうにないな」
そう言って安中が唇を噛みしめた。
「せっかく会ったんだ。戦おうぜ。ヴァンパイアになったんだせいぜい俺を楽しませてくれよな」
志木崎はこれから起こる戦いをさも楽しむように笑みを浮かべる。
そして、地面を蹴り上げ4人の方へ弾丸のように飛んでくる。
刀がぶつかる衝撃で周囲に砂埃が巻き起こる。志木崎のパワーに押され柊は刀を握る手を強めて歯を食いしばる。
柊の背後から安中の援護して志木崎にスキを作りながら柊も反撃に出る。
しかし、柊と安中の連携で志木崎と互角で戦えているが体力のある志木崎の方が余裕の表情を浮かべており柊と安中にとって長期戦は不利のように思えた。
柊と安中は志木崎の攻撃に防ぐのに精一杯ので2人の表情に余裕はない。
しばらく打ち合いをしている間に柊のスタミナが消耗して、大粒の汗を流し、呼吸も荒くなる。
「柊! 後ろ!」「柊君!」
力の入らない体を起こしながら楓も叫ぶ。
そして、安中が標的にマシンガンを撃ちながら叫んだ。
柊が後ろを振り向いた時、すでに志木崎は柊の後ろに回り込み柊の首に向かって刀が振り下ろされている。
力みから声が出て、顔を歪ませる志木崎の刀は空気を切り裂きながら柊の首元へ接近していた。
しかし、間一髪というところで柊に迫る刀は高い金属音と火花を立てて幸いにも柊の元へは届かなかった。
「ごめん幹人。なんとか正気取り戻したよ」
竜太が間一髪のところで志木崎の攻撃を阻止した。
「助かったよ竜太君」
「いいって、ずっとアホみたいに寝てたんだからこのぐらいはしないと」
そう言うと竜太はヴェードの差はあれど力で志木崎の攻撃を押し返した。
「格上倒したら俺もレベルアップかな」
「さっきの奴らとは話が違うから慎重にね」
柊は呼吸を整えて立ち上がり竜太の隣に並んで共に刀を構える。
「怪我は治ったのか元人間の小僧。今度は内蔵をグチャグチャにかき混ぜてやろうか?」
「後で同じセリフお前に言ってやるよ」
負傷した安中も立ち上がり、今度は3対1で志木崎に立ち向かう。
「教えてやるよ。雑魚が何人かかってきても同じってことをな」
柊、竜太の2人で攻撃するもパワーの差が消耗している2人のパワーでは足りず志木崎は薙ぎ払う。そして、狙いの楓にめがけて一直線で飛んでくる。
すかさず竜太がスライディングするように横入りして身動きの取れない楓を庇う。
「クソ! 一撃が重すぎんだろ。さっきまでの雑魚とは全く違うぜ」
力で押される竜太は頬に刀を軽く押し付けられて血がにじみ出る。
「どけ小僧! もう一回死にてぇのか!」
「死ぬのはお前の方だ! お前らなんかに楓は絶対にやらねぇ! ぜってぇ守る!」
言葉にならない叫び声をあげながら竜太はパワーでギリギリ持ちこたえている。
体に神経が通ってないように全く動かない。まるで自分の体じゃないみたいだ。こんな時に何やってんだ僕は。死なないはずだろ? なんで動かいないんだよ。
楓は歯を食いしばり、目の前で起こる戦闘にただただ地面に伏しているだけで何もすることができず自責の思考ばかりが脳内に流れ出す。
楓の体は失血多量と貫かれた臓器が修復途中のため体に力が入らないでいる。また、ヴァンパイアとしての栄養源である血液を飲んでいないことも起因して治癒速度が遅く命はあるものの置物のように身動きが取れない。
竜太が相手をしているスキを狙い柊が後ろから刀で突こうとするが志木崎は片方の手を黄緑に光らせて竜太の刀を素手で止めて、後ろ手で柊の刀を止める。
「こいつも手に仕込んでやがんのかよ」
安中がすかさず弱点の頭を狙ったが竜太の刀を振り払ってすぐにカバーされた。
志木崎はコマが回るようにターンして2人を薙ぎ払い、後ろから射撃していた安中の元へ一瞬にして到達した。格上の速さに竜太も柊も反応することが出来なかった。
「お前が一番邪魔だな。豆鉄砲が邪魔くさい」
手に持ったマシンガンで安中は咄嗟に攻撃を防いだが力の差で首から刀が入り鎖骨を砕いて刀が体にめり込んでいく。
「竜太君」
柊がそう言って竜太と柊はすぐに安中の方へ向かった。
しかし、これで楓ががら空きになってしまった。
格上の相手に二人がかりでやり合わなければ対応できない。しかし、片方で志木崎に挑んでは安中と2人で殺られる可能性がある。逆に2人で楓を守っていたら安中が殺られてしまう。
故に、柊は3人がかりで一気に仕留める選択をした。
2人が安中に接近していることを確認した志木崎は安中から刀を引き抜き、ギリギリまで2人を引きつけ、地面を蹴って楓を捉えに向かった。
しかし、志木崎の意図に竜太よりも早く気がついた柊は竜太よりも数歩前で切り返し、志木崎を追う。
楓は向かってくる志木崎と柊を正面から迎える。そして、楓は嫌な予感が治まらないでいる。体中の脈動は早くなり、それと同時に呼吸も早くなる。
動け! 動け! 動いてくれ僕の体!
「動けよ!」
思考を声に出すも脳と胴体がまるで別の生物になったかのように楓の体は地面に張り付いたままピタリと静止した状態だった。
「マジか! 待て、幹人1人じゃ…」
そう竜太が言いかけた時だった。
一瞬…。本当に瞬きするよりも短いのではと思うぐらいの一瞬だった。
志木崎が楓に向けた刀は高い金属音を残した後、鈍い音がした。それは、肉を貫く音だった。刀の破片が楓の目の前に落ちる。
楓の視線から後ろ姿の柊の胸からは黄緑の光が突き出ている。
「柊…君…」
「クソ! 遅かったか」
竜太が志木崎に向けた刀は志木崎の手で防ぎ、軌道がずれて心臓からはずれて右胸に刺さっていた。
「楓…君は…絶対にALPHAには渡さない。それが僕らモラド全員の意志なんだ」