第21話 離職率より生き残り率の方がレア率高という確率論
「あ、宗像さん」室内に入ると木之花が顔を上げ、笑顔で立ち上がり挨拶した。
「きゃー」宗像が両手を天井に向かって差し上げ、嬌声を挙げる。「咲ちゃん、元気ー? お久しぶりー」
「どうも」木之花の笑顔にほんのりと苦笑が混じる。「ええとあなたは、タギツヒメ様です、ね?」
「そうよお」宗像はウインクして空中を叩く真似をする。声は、無論男のものだ。「私も、います」だがそれは不意に低く、囁くようなものに変わった。「お久しぶりです、咲耶姉さん」
「あ、イチキシマヒメ様」木之花は眉を上げ、改めて笑顔になる。「お元気ですか」
「イッちゃんでいいですよ、お姉さん」宗像は僅かに身をよじる。「いつもの時みたいに」
「いつもの時?」宗像の背後に佇んでいた大山が顔を覗かせて訊く。
「あ、いえ、まあその」木之花が突然頬を赤くして両手を激しく振る。
「ははは、すまんの」宗像はまた不意に苦笑を浮かべ、床に投げ下ろしたキャリーケースを拾い上げる。「まあ元気そうで何よりじゃ、木之花君」
「あ」木之花の顔が、咲きたての花のように慎ましくも輝いた。「タゴリヒメ様……」机から離れ、宗像の近くに歩み寄る。「お元気でいらっしゃって、何よりです」眼を細めるが、天津を見る時とはまったく別物の、色香に満ちた表情だ。
「鹿島さんも戻って来てますよ」大山がドアの向こうの廊下を手で示す。「顔見に行きますか」
「おお」宗像は木之花の物言いたげな表情に気づく素振りもなく、くるりと背を向けすたすたと廊下に出た。
木之花は無念そうに溜息をつき、大山の背を恨めしげに睨んだ後、無言で机に戻り無表情に仕事を再開しはじめた。
◇◆◇
「地球が」天津は静かに語り出した。「何を考えているのか、我々にもいまだよくわかっていません」
「地球が」時中が呟き、
「何を考えているか?」結城が叫び、
「まあ、そんな」本原が溜息混じりに囁く。
「はい」天津は視線を下に落とし、ゆっくりと瞬きした。
「ていうか、地球ってもの考えるんすか」結城は首を一振りして訊いた。「人間みたいに」
「もちろん『考える』というのは比喩的な言い方で、なんというか、つまり地球にとって我々は何なんだろう、どういう風な存在なんだろう、という事です」天津は困ったように笑う。
「まあ」本原が胸に手を置く。「まるで、恋をしているようですね」
「ははは」天津はさらに困ったように笑う。「ある意味、似ていますね」
「それで我々はつまるところ、地球から見てどういう存在なんですか」時中が結論を急ぐ。
「――それを探るための方法が、皆さんに行っていただく“イベント”になるわけです」天津は再び俯いて瞬きし、それから視線を三人に上げた。
「探るための」時中が呟き、
「方法?」結城が叫び、
「まあ、素敵」本原が溜息混じりに囁く。
「それを、これから――皆さんに午前中開けて頂いた岩の中で、執り行います」
「我々はそこで、命を懸けることになるんですね」時中が眼光鋭く指摘する。「労災保険が降りるような目に遭うことに」
「――」天津はもう一度瞳を閉じ、それを開けて時中を見た。「最初にお伝えした通り、僕が――というよりも我々が、全霊をかけて護ります」
「わかりました」結城が声を張り上げる。「とにかく、入ってみないと何がどうなるのかわかりませんよね。研修中は安全ってことなんでしょ。もしダメそうなら、その時点で」そこで彼は言葉を切り、ちらりと岩天井を見上げた。「――退職?」首を傾げる。
しばらく、沈黙が続いた。
「結城さんの、仰る通りです」天津が声を落として言った。「ここでの実技研修と、現場でのOJTをまずは体験してもらった上で――この仕事が続けられそうかどうか、ご判断にお任せします。もちろん、続けて頂ける事を心から期待しています」にっこりと微笑む。
「おかしな話ですよね」時中は咳払いする。「本来会社は、従業員が安全に業務に当れるよう環境を整える義務があるはずなのではないですか。それを、まかり間違えば地球に叩き殺されるかも知れませんが嫌なら辞めて下さいというのは、ハラスメントどころではなく脅迫に等しい行為なのでは」
「――」天津は言葉に窮したように、眉をひそめるばかりで返答せずにいた。
「時中君」結城が助け舟を出す。「でもさ、実際やってみないとあれだけど、相手は地球でしょ。最初から俺たちを殺しに来る前提はないんじゃないかと俺は思うのよ」
「何故そんなことがわかる」時中は珍しく、結城の発言に反応した。
「だって、母なる地球ですよ」結城は両手をオペラ歌手のように広げる。「母なる大地。それが俺たちを、なんで殺す?」
「机上研修の時の話を忘れたか」時中は肩をいからせる。「地球の自然サイクルを、人間は農耕によって変えてしまったんだ。地球が我々をどう見ているかなんて、火を見るより明らかだ」
「でも人間も一生懸命、地球に優しくする努力してるじゃん。地球もその辺のこと位はわかってくれないとだよ」
「人間ごときが今更いくら足掻いたところで、これまで何千年何万年もかけて狂わせた環境を元に戻すことなんて不可能だ。地球は我々を、排除しようとしているんだ」
「まさにそれ」
突然、甲高い声が岩壁に反響した。
「うわうるさっ」結城が肩をすくめる。
本原が結城をじっと見るが、特にコメントはしない。
「鯰か」天津が問いかける。
「今“でもでもだって君”が言ってくれたようなやりとりを、これからイベント会場でやるわけさ。ま、頑張ってー」声は、天津の問いかけに答えることもなく言いたい事だけ言い、そして黙った。
「でもでもだって君?」結城の訊き返しに対する返答も、ない。
「貴様の事だ」時中が代わりに答える。「『でも』とか『だって』とかが多いから――まるで女の腐ったような事を言うからだ」
「あれ」結城は口を尖らせる。「ひどいよそれ。セクハラだよ」
「女が腐ったのではなく、結城さんご自身が腐ったような、とすべきですね」本原も意見を述べる。
「あれ」結城は目を見開く。「それは何ハラ? クサハラ?」
「まあ」天津は空気を押え、溜息をつき「じゃあ……行きましょうか」そして指示を出した。
「うーん」歩き始めた後もなお、結城は考えを述べ続けた。「何万年もかけて狂わせた環境は、確かに変わらないかもだけどさあ」
「――」時中は返事せず、黙って歩く。
「けどだからって、人間を滅ぼしたら元に戻るのかって話だよねえ」
「私もそう思います」本原が珍しく、結城に相槌を打った。「けれど地球さまも、人間を滅ぼしたからといって元に戻らないことはご存知なのではないでしょうか」
「そうですね」天津も歩きながら答える。「だからこそ、地球が我々に対して何を思っているのか……我々をどうしようとしているのか、対話を続けなければならないんです」
「おおー」結城は感動の声を挙げた。「まるであれですね、国連の動きみたいな話ですね」
「ははは」天津は歩きながら乾いた声で笑う。「ある意味、似ていますね」
「我々は恋をしながら国連のように対話をするわけですね」結城がまとめる。
しばらく、全員黙って歩いた。不思議なことに、午前中に遭遇した土偶や呪いの剣の姿はまったく見ることもなく、一行は開かれた岩の場所に辿り着いたのだった。
◇◆◇
「鹿島」室内に入るなり、叫ぶようにその名を呼ぶ。
「おお」鹿島は椅子の上で組んだ両手を後頭部に当てふんぞり返っていたが瞬時に振り返り、満面の笑みで立ち上がった。「宗像支社長、お疲れです」
「出雲会議は、早ように終わったのじゃな」
「そうなんですよ」宗像の問いに答えながら、鹿島は部屋の窓際の応接コーナーを示す。「まあどうぞ。お茶淹れますから」そして反対側、室内奥の給湯コーナーに歩み寄る。
「あ」恵比寿が慌てて立ち上がる。
「あーお茶なら俺やりますよ」大山が鹿島を制し、その隙に薬缶に手を伸ばす恵比寿に向かって片手を挙げ依頼のジェスチャーをする。
つまり鹿島は今、恵比寿を認識していないからであった。
「すまんな」宗像もそう言うが、大山にではなく恵比寿に向かって手を挙げる。
恵比寿は無言のまま笑顔を返し、とびきり上手い茶を淹れることを心に決めるのだった。たとえその茶を淹れたのが、自分の直属の部下である事を鹿島本人が自覚してくれていなくとも。
◇◆◇
その岩は、まるで新入社員たちを歓迎しているかのように、神々しく光り輝いていた。
「うわあ」結城が声を挙げる。「すっげえ光ってますね」
「そうですね」天津は警戒の視線を岩から外すことなく、ゆっくりと歩を進める。
それは確かに、午前中彼らが呪文――ワードを唱え、ローターを挿し込み、何らかの力――神力か――が加わった結果、洞窟の岩壁に、縦に大きく裂け目が生じ、そこから左右に壁が割れたように見えた。そのような現象が起きたものとしか、見えなかった。つまり午前中の“作業”が完了し、一旦全員がまた来た道を引き返し、エレベータに再び乗って地上へ戻り、昼食を食べ休憩してまた地下へ降り戻って来るまでの間に、それは起きたのだ。
その隙間の幅、三十センチほどだ。そしてそこから、眼をすがめざるを得ないほどの光線が溢れ出している。
「つか、狭いっすねこれ」結城が、とくに感動を覚えている風でもなく日常と変わらぬ声音で感想を述べる。「横向きで一人ずつ入らないとだめな感じ」
「そうですね」天津は同じ回答を、さらに警戒の籠もった声音で返した。「少しだけ、様子を見ましょう」
一行は輝く隙間を取り囲むように立ち止まり、言葉もなくじっと佇んでいた。輝く岩の裂け目の向こう側は、眩しいばかりで一体どのようになっているのか判らない。
「よし」やがて天津が口火を切った。「じゃあまず僕が入ります。一人ずつ、後に続いて入って来て下さい。危険そうであれば声をかけますので、すぐに出て下さい」
「はいっ」結城が叫び、
「わかりました」時中が呟き、
「お気をつけて」本原が囁く。
「お気をつけてって、本原さんも一緒に入るんだよ」結城が振り向いて確認する。
「はい」本原は無表情に頷く。「生きて戻って来られる事を、祈りましょう」
「ええー」結城が肩をすくめる。「そんな、縁起でもない」
「しかし、あながち杞憂でもなさそうだな」時中は岩壁を睨みつけたまま言う。「一体中に何があるのか」
「――」天津はそれ以上何も言わず、結城の感想通り横向きになって体を岩の裂け目に滑り込ませた。
――けど、よく逃げ出さずにいるよな……この子たち。
滑り込ませながら、彼はそんなことを思っていた。
――命が惜しくないのか、再就活が面倒なのか、それとも……
厚さ二メートル弱ほどの壁を潜り抜けた先には、地下とは思えないほど暖かく、乾いて心地よい空気が満ちていた。
――興味本位、か。
「うわあー、快適空間じゃん!」背後で結城が叫ぶ。
その叫びもさして耳障りにならぬほど、その空間は充分な広さを有していた。
「何なんだ、ここは」時中の声が、珍しく上ずっている。
「まあ、すごい」本原は溜息混じりにコメントするが“クーたん”関連のものとどちらがより感動に値するものかは判断がつきかねる。
――興味……まあ、それは俺も同じ……だな。
天津はそう思い、改めて眼を細めながら上を見上げた。