第11話「弱者」
楓と連堂は地下一階の訓練室に居た。
「伊純、刀を抜いてみろ」
楓は言われるがままに鞘に収められた太刀をゆっくりと抜いてみるとその太刀は白い炎に包まれて輝きを放っていた。
「これは一体何ですか?」
「それはヴェードと呼ばれるものだ。端的に言えばヴァンパイアの強さを表す」
そして、連堂も太刀を抜くと青色の炎に包まれたように鮮やかで力強い光を放っていた。
連堂が刀を抜いた瞬間、肌をつくような気迫に楓は思わず背筋を伸ばした。
「ヴェードはヴァンパイアが戦闘を行う上で相手の力を知る指標になる。だから、ヴェードについて今から説明するからよく訊いておけ」
楓は「はい」と頷いてから真剣な表情を連堂に向けた。
連堂が楓に説明したヴェードというのは以下の通りである。
まず、ヴェードというのはヴァンパイアの生命力や身体能力など戦闘における潜在能力を総合的に判断して色でランク付けしたものである。その色を知ることが出来るのはヴェードに対応した、いわばヴァンパイア専用の武器に触れた時に楓や連堂が出した武器を包む炎のような形で現れる。
そして、ヴェードの色はランクを上から順番に示すと、赤、紫、青、青緑、緑、黄緑、黄、白の順番である。つまり、ヴェードに対応した武器を持った時、赤色だったら最も強く、白色だったら最も弱い。赤に色が近づく度にヴァンパイアとしての強さが高まっていく。ちなみに、人間がヴェードに対応した武器を持っても色は出ない。これはヴァンパイア独自の細胞に反応して変化を起こすため人間には対応していないからである。
そして、ヴェードの色が赤に近づけば近づくほど武器自体も強化される。つまり、刀の場合は切れ味が良くなり、銃の場合は弾速が早くなり勢いも増す。そのため、例え優秀な刀鍛冶がどんなに良い刀を打ったとしても多少は武器の強度に反映されるが、ヴェードが弱い色を示したら刀のヴェードが強い色を示した方が戦いでは有利になる。なので、相当な、なまくらでない限りどんな刀でもヴェードは変わらない。しかし、そうは言っても戦い方にもヴァンパイアによって個人差があるため、もし2人のヴァンパイアが対峙した時ヴェードの色が強い色がかならず勝つとは限らない。あくまで、ヴァンパイアの強さの指標であるため戦いの結果はそれで決まらない。
そして、ある程度の訓練を積んだヴァンパイアは初めて武器を持った時、黄色を示す事が多い。また、人間からヴァンパイアになった者は体の細胞が全て人間からヴァンパイアになるため身体能力も向上して黄色を示すことが多い。そのため黄色が一般的なヴァンパイアの基準としてヴァンパイアたちの共通認識とされている。なので、黄色よりも下位である白色は一般的なヴァンパイア未満人間以上の身体能力と位置づけられている。
「つまり、僕の能力値は低いってことですか?」
「ヴェードが示す戦力だとそういうことになる。しかし、混血はこの世界でお前しか居ないから能力値やヴァンパイアの身体能力を継承しているかどうかはわからないが現状は最低ランクということになるだろう」
連堂は楓に向けた刀を手首のスナップだけで振るった。その風圧が前方で構える楓にまで伝わる。
「まずは実践あるのみだ本気でかかってこい、伊純」
連堂の一言で訓練室に肌で感じる程の緊張感が漂い始めた。
「分かりました」
楓は言って革靴がきゅっと床を弾く音と共にカツカツと革靴の乾いた音を訓練室に響かせながら連堂へ全力で刀を振りかぶった。
生まれて初めて刀を握る楓はぎこちない構えながらも今の持っている力を全てつぎ込み、何度も何度も連堂に刀を振る。元々運動が得意ではない楓でも人間の時の動きに比べたら瞬発力や力強さが増しているが、白いヴェード相応の力なのか、連堂はまるで子供と遊んでいるかのように片手で楓の攻撃を易々と振り払う。
一度、連撃を止めた楓は再度助走を付けて連堂に刀を振り下ろし、粘りを見せる。
しかし、連堂が一度踏み込んで繰り出した一撃に楓の刀は遠くに飛ばされ丸腰になる。連堂は刀を楓に向けて刀の先端が楓の首元を撫でるように縦に傷をつけ喉から血が一滴肌を伝うように流れる。
訓練室の中は楓の飛ばされた刀が床に当たる金属音が虚しく鳴り響く。
「白とはいえ混血なら違うものかもしれないと思ったんだがな、期待しないほうがよかったようだ」
そう言って連堂は刀を鞘に収めた。
「お前はまだ弱い。剣を振るのも始めただろう?」
楓は頷いた。
混血の能力にわずかに期待した連堂は少し残念そうな顔をしていた。
「俺はこれから任務で出かけるがここの施設は自由に使って構わない」
そう言い残すと連堂はガラス張りのこの施設の出口の手前で立ち止まった。
「自分の身は自分で守るつもりでいろよ」
そう言い残して、連堂はガラス張りの訓練室の扉を開けて姿を消した。
連堂が姿を消した後、楓は振動でしびれる自分の両手を見つめていた。
「…僕は弱いのか」
連堂に飛ばされた刀を拾い上げ、白いヴェードの奥にある刃に映る自分の顔を見つめる。
広い訓練室で一人ぽつねんと立ち尽くしていると、ガラス窓の向こうで誰かが見ていることに気がついた。
楓のことを見ている黒いベストを着た青年に視線を向けるとその青年は顔に微笑みを浮かべて小さく手を振って返した。
そして、その青年は訓練室に入ってきて楓に話しかけた。
「はじめまして。僕は柊。工藤さんから訊いたよ君が混血のヴァンパイアなんだね」
柊と名乗った黒髪の青年の瞳は赤く、腰には楓と同じく太刀を一本携えていた。柔らかい声色で見た目は楓と同い年ぐらいの容姿に見える。
新入りの楓は初対面の柊に対して挨拶と自己紹介を済ませた。
「楓君か。さっき君が連堂さんに刀を振ってるところ見てたよ」
それを訊くと楓は情けない姿を見られたことに少々不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「僕は弱いから」と楓がつぶやくと柊は即座に口を開いた。
柊はそんなことないよと否定した。
「楓君は優しいんだね。だから、戦うことに迷いがあるんだよ」
「迷い?」
「自分の手で人やヴァンパイアの命を奪う事を恐れてる」
「そりゃ、そうだよ。今まで人間として生きてきていきなり殺し合いをするなんて出来るわけがない」
「わかった。とりあえず…」と柊が言って腰に携えた太刀を抜く。その太刀は黄色いヴェードで包まれていた。
「僕が連堂さんの代わりに練習に付き合ってあげるよ」
楓と柊の打ち合いは柊が楓の現在の力を確かめるようにしばらく続いていた。
楓は先ほどと同様に正面から連撃を繰り出す。しかし、何度も何度も柊に刀を振るが柊はその場から一歩も動くこと無く、楓の攻撃はあっけなく全て受け止められた。
楓がもう一度、刀を振りかぶった時、柊は腕を伸ばし刀の先端が楓の心臓の位置に刺さる寸前で止まり。刀を頭の上で振りかぶっていた楓の動きが固まったように止まり頬に汗が伝う。
「ヴァンパイアはね人間と同じように心臓か脳の機能が停止したら死ぬんだ」
柊は楓に向けた刀を下ろした。
「君は死なないかもしれないけど。僕らはただ人間よりも長く生きるだけでいずれ死ぬ。でもね、ここはやらなきゃやられる世界なんだよ。だから、みんな命を掛けて戦ってる。大きなことを成し遂げるってそういうことなんだ」
楓も刀を下ろして視線は下方を向いている。
「でも、戦ったら人も殺さなくちゃいけなくなる」
「僕らだって同じヴァンパイアを殺しているよ。何人もね」
柊は刀を鞘に収めた。
「それが共存という平和につながると信じて僕らは戦ってるんだ。少なくともモラドのヴァンパイアは人を殺したくて殺してる人はいないよ。戦闘で殺した人間も吸血しないことになっている」
「でも…」
楓が途中まで言いかけると少し首を傾げて柊に視線を上げた。
「殺し合わなくても、なんとか話し合って解決することは出来ないのかな?」
しかし、柊は首を横に振って楓の発言を否定した。
「それが出来ていたら今頃僕らはこんな刀なんて持ってないよ。長い歴史の中で話し合いで解決したいと考えた人はきっとたくさんいた。でも、戦いはまだ続いているのが現実さ」
柊はガラス張りの壁を指差した。
「せっかく会ったんだから少し話そうよ?」
2人はガラス張りの壁に背を向けて並んで座り込む。
「楓君は人間だったんでしょ?」
柊は好奇心を満たす純粋な小学生のように楓を覗き込んだ。
「昼間は人間に戻って、日が落ちるとヴァンパイアになるから一応、今も半分人間なんだと思う」
それを訊いた柊は「いいなぁ」と空想に耽けるように空を見つめていた。
人間とヴァンパイアは捕食する側とされる側という認識がまだ残っている楓にとって、柊のその反応に驚いた様子だった。
「僕らヴァンパイアは太陽の下では生きていけない。だから、僕らヴァンパイアは太陽を邪悪な存在だと思ってるんだ。でも、人間も植物も動物も太陽が出ているとみんな生き生きしている」
柊は外で太陽を見上げるかのように天井の照明を見上げた。
「僕が小さい頃この洋館で人間の子供と遊んでいた時、ずっと雨続きの日があって人間の子どもたちはみんな外で遊べなくて落ち込んでいた。しかし、そんな日が続く中で1日晴れた日があったんだ。僕らが邪悪だと思っていた太陽は子どもたちを花が咲いたように笑顔にさせた。そして、子どもたちは思いっきり外で遊んでたよ。それを見て僕は人間の子と青空の下で一緒に遊んでみたいなって思ったんだ。ヴァンパイアでいる間は無理なんだけどね」
柊は自嘲気味な笑顔を作って楓に向けたがそれから真っ直ぐ前方を見た。
「太陽はヴァンパイアを殺すことも出来るし、人間を笑顔にさせる事もできる。不思議だよね」
柊の目はどこか遠くを見るように視線はまっすぐにあった。
「柊君は人間が好きなの?」
柊は頷く。
「僕は吸血するために今まで一度も人間を殺したことがないんだ」
「え?」
楓は虚を突かれたように柊の顔を二度見して振り返る。
「意外かな?」
「だって、ヴァンパイアは人の生き血を吸うから…」
柊は楓の発言を途中で遮るようにゆっくりと首を横に振った。
「僕は生まれてからずっとモラドにいるんだ。だから、小さい頃から人間の子供と遊んできたし人間の儚く終わってしまう命の瞬間や命を大切にする人間の美しさを目の前で見てきた。それに、大垣さんは医者だから色々と人間の命について教えてくれたんだ」
柊は微笑みながら楓の方へ向く。
「僕はそんな美しい人間の心が好きなんだ」
「人間が好き…」
楓がそうつぶやくと柊は頷いた。
「人間は優しい人が多い。僕がヴァンパイアなのに怪我をした僕を見て心配してくれる人もいた。すぐに治るのに腕に怪我の部分を覆うような物を貼ってくれた人もいた。きっと、人間が優しいのは人間の短い命や虚弱な体質から命の大切さを僕らヴァンパイアよりも深く理解してるからなんだと思う」
そして、真剣な顔つきで正面を見つめた。
「だから、この世界はいずれ平和になるべきだと思ってる。人間のためにもヴァンパイアのためにもね。だから、平和を取り戻すために僕らは戦わないといけない」
二人だけの空間になった訓練室でお互い少しの沈黙があってから楓は言った。
「…僕もそうあるべきだと思う。友達を危険な目に合わせてしまったし…」
「君の友達は医務室のいるんだっけ?」
楓が頷いてから「なんで知ってるの?」と聞き返す。
「さっき工藤さんに会ったときに訊いたんだ」
楓は何か思い出したように柊の方を向いた。
「この建物で連堂さんと柊君以外にヴァンパイアに会わなかったんだけどモラドのヴァンパイアって普段はどこに居るの?」
「夜は地上の任務に行ってることがあるけど太陽が出てるときは殆ど地下にいるからたまたま楓くんと会わなかったのかもね」
「地下ってここと下の階の事?」と言って楓は床を指差しながら言った。
柊は一度驚いたような表情を浮かべたがすぐに何か思い出したように「あーそっか」と拳を額に当てて目をつぶった。
「連堂さん大事なこと言ってなかったんだね」
「大事なこと?」