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第2話「悲劇」

 部屋のカーテンの隙間から朝の太陽の光が溢れ出し、スマホからアラーム音が部屋中に鳴り響く。
 楓はハッとして目を覚まし、枕元のスマホで時刻を確認してみると朝の7時。
 自分の口元に手を添えて八重歯を触り大きさを確認する。
 八重歯は元の大きさに戻っているようだった。
 続いて姿見の前に移動しして、深夜には赤く染まった緋色の瞳を確認してみると瞳の色も元に戻っており、楓は元の人間の姿に戻っていた。
 瞳以外にもパジャマを脱いで背中など自分で確認できない箇所をくまなく確認して、昨日の眠る前の状態に戻っていることを自分の目で確かめた。
 楓はようやく朝の支度に取り掛かる。朝食の食パンにバターを塗ってオーブンで焼いただけの簡単な朝食を食べながらテレビを付けて朝のニュース番組にチャンネルを合わせた。

 ニュースで取り沙汰されてるのは昨日の夜にまた発生したというヴァンパイアによって行われた殺人事件だ。そして、その人を殺したヴァンパイアは未だ逃走中だという。
 そのニュース番組ではまたヴァンパイアの専門家と名乗る人物がヴァンパイアの驚異について語っていた。
「一般市民が武器もなしにヴァンパイアと1対1で戦って勝つことは人間の身体能力から考えて極めて難しいです。そのため、私達に出来ることは夜中に出歩かないようにすることと政府の対吸血鬼部隊『ゼロ』の方々が救助に来てくれくまで安全な場所に避難することです」
 専門家の話を真剣な表情で訊いていたアナウンサーは深く頷いた後、カメラに視線を合わせた。
「人類の敵であるヴァンパイア。1日でも早く殲滅してくれることを私達は願うばかりです」

 アナウンサーが「では、続いてのニュースは…」と言いかけた時、楓はテレビを消して制服に着替え、学校指定のスクールバッグを手に持ち、部屋の鍵を締めていつも通りに学校へ向かっている途中。

「楓!おっはよー!」
 後ろから竜太が楓の背中を叩いて楓は一瞬前のめりになる。
「あ、竜太。おはよう」
「うわ! 楓なんか顔色悪くね? 風邪でも引いた?」
「そうかな? いつも通りだと思うけど」
「そうなの? 顔色真っ青だぞ」
 楓は何か言おうとしたが一度ためらって、頭で自分の発言に昨夜の事がバレないかどうか確認してから考えて言った。
「いや、実は変な夢見ちゃって…」
「なになに? どんな夢見たの?」
 興味深そうに楓の顔を覗き込む竜太から楓は視線をそらし、ややあってから答えた。
「…あれ、何だったっけ。ごめん忘れちゃったかも」
「なんだよー。でも、今朝見た夢ってすぐ忘れるよな。俺もよくある」と竜太が笑いながらそう言った。今度は竜太が今朝見た夢の話を始めたが楓は視線を下げて考え込んでいる様子で竜太の話は訊いていなかった。それから、楓は竜太の話を遮ってから話を切り出した。

「竜太、もし目の前にヴァンパイアが現れたらどうする?」
 竜太は「どうした? 急に」と様子がおかしい楓に驚いたが、それでも「うーん」と顎に指をあてて遠いところを見るような目で考え込んでいた。
「俺だったら武器持って戦うかな」と2人が歩く道の前方の工事現場に束ねるようにしておいてある金属バッドほどの長さの鉄パイプを指差した。
「あれでぶっ殺せるかわかんないけど助けが来るまでなんとか時間稼げるだろ。ま、ヴァンパイア戦ったことはないけどさ俺、運動は自信あるからそこそこ戦えると思うんだよね」
 楓は竜太のことをしばらく見つめていると楓の視線に気づいた竜太が「どうしたんだよ?」と言われて視線を逸らした。
「いや、なんでもない。竜太ならきっとヴァンパイアに勝てるよ」



 楓はバッグのポケットから部屋の鍵を取り出して鍵を差し込み、アルミで出来たドアノブを回して部屋の中に入った。部屋に置いている掛け時計を確認してみると時刻は午後3時をまわったばかりで部活がある人や教室で駄弁って帰りが遅い人など周辺住民はまだ帰宅していない人が多く、部屋の中はシンと静まり返っていた。

 手に持っていたスクールバッグを勉強机の椅子の上に起き、楓はそのままベッドにうつ伏せで倒れ込むようにして眠り、楓の瞳からは一粒の雫が頬を伝っていた。

 帰宅した時間では日が差し込んで明るかった部屋は時間が経つに連れ日が落ちて暗くなり、寮の周辺も静まり返るころに楓は目を覚ました。枕元に置いておいたスマホで時刻を確認してみると夜9時を過ぎていた。

 スマホの近くに置いていたリモコンで部屋の明かりを付けて、恐る恐る姿見の前に行き自分の顔を確認する。

 どうなってんだよ…これ。

 夢だと思っていた。夢だと思いたかったあのときの出来事は当然のように再現され、この残酷な現実に直面する楓の気持ちは一切汲み取ってはくれなかった。
 その姿は昨日の深夜に見た姿と全く同じだった。緋色の双眸、牙のように伸びた八重歯。それは人間ではありえない容姿。また、ヴァンパイアの姿になっていた。
 しかし、あの日から二度目のヴァンパイアの姿になったが焼けるような熱さは感じていなかった。

「どうして僕だけこんな目に合わなくちゃいけないんだよ!」
 楓はベッドの上にある枕をつかみ取り、布団の上に叩きつけた。
「クソ! クソ! クソ!」
 ヴァンパイアになり人間よりも身体能力が向上したせいか、何度も何度も叩きつけて破れた枕からは、大量の羽毛が雪のように舞い散る。
 楓がヴァンパイアになった原因も誰がやったことなのか何もわからない。ある日突然人間からヴァンパイアに変貌した悲劇の少年は誰にもぶつけることができない怒りをただただ自分の中で抑え込むことしか楓に出来ることはなかった。

 そして、肩で息をするまで体力を使い、ベッドに力なく座り込む。
「何がどうなってんだよ…もう…」と白髪の頭を掻きむしっていると足元に落ちていたスマホのバイブ音が鳴り、着信画面を見てみると相手は竜太からだった。

「よお楓、今さ喜崎マートで買い物してて楓の寮の近くまで着てるんだけどそっち寄って良い?」
 楓は電話に音が入らないように涙と鼻水をゆっくりと拭き取り、一度深呼吸してから口を開いた。
「ごめん良太。僕、今風邪引いてて移しちゃうと悪いから今日は来ないほうが良いかも」
 必死に作った笑顔。そして、楓は沸き上がる感情を押し殺して平静を装っていた。
「大丈夫大丈夫、俺風邪引いてもすぐ治るし。風邪なんて栄養あるもの食えば治るよ。果物でも買っていってやろうか?」
「いや、でも早く帰ったほうが良いよ。この時間だとヴァンパイアいるかもしれないよ?」
「あー確かにそれもあるなー。じゃあ、明日…」
 電話口の竜太の声が途中で途切れて数秒後ガタンという大きな音を立てて電話が切れた。
「竜太? 竜太! 何があったの? 竜太!」
 返事がない。竜太どうしたんだろう? 嫌な予感がする。ニュースで人を殺したヴァンパイアがまだ捕まってないって言ってたし、この時間じゃ一人で出歩くのは危険だ。

 楓は起こりうる最悪のシナリオにならないことを祈りながらベッドから立ち上がりスマホを持って制服のままで寮を飛び出た。走っている途中何度か転んで足を擦りむいたが、その後も速度を落とすこと無く楓は全力で走り、竜太が電話で言っていた喜崎マートの近くまで来ると暗闇の中で光を放つ物が落ちていた。

 その光に近づいて拾い上げるとそれは竜太のスマホだった。楓は辺りを見回して、今朝通学途中通りかかった工事現場に置いてあった金属バットサイズの鉄パイプを1つ手にとった。

 すると、近くで木材が崩れ落ちるような乾いた音が聞こえ、楓は静かに音の元へ近づいて行く。
 音が聞こえた場所は近くの工事現場の廃材置き場として使われている空き地で、入口のあたりで空き地を囲う塀に身を隠しながら息を殺して中を覗いていると竜太とヴァンパイアが対峙していた。

 楓から見るとヴァンパイアの後ろ姿しか見えないが、そこから察するに人間の年齢でい言うと20代後半くらいの男性で背丈は竜太と同じくらいかそれよりも上で170センチ以上はありそうだった。そのヴァンパイアはガタイがよく、白い隊服のような物を着ていて筋肉質な体からは白い隊服が今にもはちきれそうな程だった。

 楓は手に持っている鉄パイプを音を立てないように胸の位置まで持ち上げて両手で強く握りしめる。
 そして、意を決して一気に助走を付けてヴァンパイアの頭を鉄パイプで力いっぱい殴るとそのヴァンパイアの体が2,3歩よろついた。恐らく人間だったら気を失っているはずだろう。

「…全然効いてない」
 楓はすぐに竜太に向かって叫んだ。
「竜太!大丈夫?」
「楓!来るな!こいつ普通のヴァンパイアじゃない。刀持ってる」

 「刀?」と言った時に相手のヴァンパイアがこちらに振り返った。楓はこの時、初めてヴァンパイアを目の当たりにした。牙は無いが赤い瞳でそれ以外は普通の人間の成人男性という感じだった。しかし、楓と違うのは黄色く光る刀を持っていることだった。

 そして、ヴァンパイアは楓に向かっては話しかけた。
「白髪のヴァンパイア。お前があの御方が言っていたやつか」
「なんのことだ」
「お前、自分が何者かも知らないのか。まあ、いいか。飛んだ火に居る夏の虫ってか」
「おい、そこの怪物。楓はヴァンパイアなんかじゃねえぞ。寝言は寝てから言えよ」

「ほう」とヴァンパイアがあざ笑うように言ったヴァンパイアは風のように走り楓の目の前に一瞬で現れて首をつかみ、そこから竜太の目の前に一瞬で移動した。
 その間、竜太も楓の一歩も動くことはできなかった。

「人間のガキ。こいつのこの顔を見てもヴァンパイアじゃないと言えるか?」
 そう言ってヴァンパイアは楓の口をこじ開けて、夜の街灯に照らされる楓の顔には緋色の双眸と白い牙が顕になった。
「楓…どういうことだよ。お前、本当に楓なのか?」
 竜太は楓の姿を見ると体が固まったようで、かろうじて言葉を発したような状態だった。
「…竜太…ごめん」

「良いもん見せてやるよ」と言ってヴァンパイアは刀で竜太の腕を突き刺し貫通して杭のように地面に刺さる。
「あぁぁぁ! 腕が! 腕が!」
 竜太の苦しむ叫び声とともに腕からは血が吹き出ていた。
「人間のガキ、こいつの顔をよく見てみろ。これがヴァンパイアだ」
 楓は食料に飢えた動物のように呼吸を荒くして口元からは大量に唾液が出ていた。

「…楓」
「違う、違うんだ。竜太、僕は…」
 楓は大粒の涙を流し、自分の腕を流血するほど力強く噛み付いた。
「俺たちヴァンパイアにとってお前ら人間は食料でしかない。なあ?」
 そのヴァンパイアは楓に同意を求めるように問いかけるが、楓はその問いかけへ答えなかった。その代わり、首を掴まれたまま体を前に動かし反動を付けてヴァンパイアを後ろ足で蹴った。

 しかし、ヴァンパイアは微動だにせずダメージにはなっていない様子だった。
「僕は竜太の味方だ。お前なんかと一緒にするな」
「お前なんかと? 俺とお前は同じヴァンパイアでこれからお前は俺達のために働くんだぞ。つまり、俺はお前の先輩なんだ」
 白い隊服を着たヴァンパイアは楓の耳元で言い聞かせるように囁いた。
「生意気な後輩にはお仕置きしてやらないとな」
 そのヴァンパイアは楓を木材が積まれた山に片手で投げ飛ばして砂埃が舞い上がる。体を強く打ち付けた楓の額からは血が流れる。
「人間を殺してからお前を連れていくつもりだったけど気が変わった。まずはお前をボコボコにする。そこで寝てろよ人間」
 ヴァンパイアは竜太の腕に刺した刀を引き抜き楓の方へ向かう。
「まずは、逃げられないように手足を削いでやるか。安心しろヴァンパイアなら痛みは感じるがまた生えてくるからな。ま、生えてもまた切り落とすけどな」
 ヴァンパイアがそう言った時、街灯に照らされていた楓は一瞬竜太がジャンプしたときの影で覆われ竜太はヴァンパイアを殴りつける。そして、木材の破片が飛び散る。

「楓は俺の友達だ!お前にはやらねぇよ」
 竜太は真っ赤に染まった片腕をぶら下げるようにしながら白い歯を見せた。
「もしかして気が変わったとか言って本当は俺にビビってるから楓からやろうとしてんのか?」
 ヴァンパイアは頭に乗った木材を振り払い首を鳴らした。
「おい! てめぇら、俺のこと舐めてんじゃねぇだろうな」
 そして、ヴァンパイアは竜太の方へ振り返る。
「人間のくせにいい度胸してんじゃねぇか。そんな大口叩くんだ、せいぜい楽しまてくれんだろうな」
「上等じゃねぇか。かかってこいよ怪物」
 竜太は楓が持ってきた鉄パイプを手に取り片手で掴んで構えた。
「今のうちに逃げろ! 楓」 
 竜太が鉄パイプを持つ手は小刻みに震えていた。鉄パイプを持っていないもう片方の腕は飾りのように方からぶら下がっているだけで、片手だけではヴァンパイアの腕力には到底かなわない。
「お前らみたいな怪物共がいなければ俺の弟は今も生きてんだ。クソ悪党が! ぶっ殺してやるよ」
「人間の分際で調子に乗るなよ。生きたままお前の血を全部もらってやる」とヴァンパイアが不敵な笑みを浮かべて刀を振りかぶる。

 一撃はなんとか受け止めることが出来たが二撃目で鉄パイプは真っ二つにされ竜太は体勢を崩して倒れる。
「来いよ化け物。俺は蚊に刺されにくいから血はうまくないかもしれないけどよ」
 丸腰の竜太に一歩ずつ着実に近づいていくヴァンパイアが三撃目の攻撃を振りかぶった時、今度は竜太の目の前が影で覆われた。 

「…竜太…大丈夫?」
 楓の緋色の双眸が一直線に竜太の黒い瞳を見つめる。
「楓、お前…逃げろって…」
 楓は竜太のことを庇うようにヴァンパイアに背を向け、胸からは黄色く光る刀が貫通していた。
 刀を伝って流れる楓の血が竜太の頬に落ちる。

「竜太は僕の大事な友達だ。絶対に死なせない」
「もういい楓…もう…いいから…」
「愚かなガキだな」とヴァンパイアは楓に指した刀を抜き、楓のこと蹴り飛ばし、体が飛ばされた後、砂埃を立てながら転がり仰向けになり、目を開けると楓を跨ぐようにして目の前にヴァンパイアが立っていた。

 ヴァンパイアは刀を振りかぶり向かって楓の右の脇腹から刀を入れ、左の脇腹に抜けた。
「がぁあぁぁぁぁぁぁぁ!」
 人気のない廃材置き場で楓の悲鳴が虚しく取り残される。
「楓! 楓! おい!」

 楓のぐったりと意識を失い、ヴァンパイアは竜太の方を振り向く。
 竜太は近づいてくるヴァンパイアに後付さりながら壁際に追いやられ、またヴァンパイアは刀を構えてすぐに竜太の悲鳴と血潮が飛び散った。

しおり