第17話 沈黙が金なのか言った者が勝つのか例によって臨機応変に対応要なのか
「ん。どしたあ」鹿島がPCから顔を上げ、部屋の隅に設えられてある池の方を見た。「鯰?」
「べっつにー。大したことじゃない」鯰はゆらりと水中で身をよじりながら嘯く。
「そ」鹿島はまたPCに向き、資料や報告書の確認を続ける。「邪魔すんなよ」一言だけ、そういう。
鯰は、何も答えなかった。もしかすると、答え“られ”なかった、のかも知れない。恵比寿はそっと肩を竦めた。
声や言葉は穏やかだが、結局鯰は鹿島に“抑え”られている立場だ。その事を忘れるなよ、という戒めが、鹿島の問いかけ、語りかけには込められているのだ。そして「邪魔すんなよ」の「邪魔」とはつまり、新人研修の邪魔、という意味であることは疑いがなかった。
恵比寿はそっと、首を振る。鹿島と自分とでは、確かに明らかに“重さ”が、違う――それは要石(かなめいし)と瓢箪という、鯰抑えの道具の重さだけに限った話ではないということだ。
しばらく様子を見ていた天津は、ふう、と短く溜息をつき「大丈夫です」と告げた。「もう一回、やってみて下さい」
「――」時中は少しの間身じろぎもせず目の前の“眼”を見ていたが、指示通り再び小型のドリルを持ち上げ、電源を入れて近づけた。
きしぃぃぃぃ
岩の削れる音が響く。が、それは意外なほどに低レベルの音量だった。そして不思議な事に、削れたはずの岩の破片や石粒が飛び散るという現象も、起きなかった。ゴーグルだけ装着という“軽装”ではあるが、そのゴーグルさえも必要ないものかも知れないと思わせる程に、それは現実離れした穏やかさを持つ作業だった。
きしぃぃぃぃ
その音はしばらく続いた。やがて、「よし、もういいです。止めて下さい」天津が停止の指示を出した。
時中が言われた通りドリルの電源を切り岩からそれを離すと、そこには直径二センチほどの綺麗な丸穴が穿たれていた。
「これは」時中が眉をひそめる。
「へえー、上手いね時中君」結城が時中の横から顔を覗けて感心する。「何、こういうの経験あるんだ?」
「――ない」時中は短く答え、さっさとドリルをウエストベルトのポケットに差し込んだ。
「ないの? ないのにこのクオリティ? 素晴らしい」結城は眼をまん丸く見開き称賛した。
「天津さんだ」時中は面倒臭そうに眉をしかめ、ぷいと横を向く。「神力というやつだ」
「へえー。 人力?」結城は天津の方を見てさらに感心した。「すごいですね」
「いえいえ」天津は謙遜笑いをし「では皆さん、覚えていただいたワードをここから唱えていって下さい。まず時中さんから」手で時中を示す。
時中はもう一度自分の穿った穴の方に向き直り、すう、とひと呼吸おいて「閃け、我が雷よ」と唱えた。
「迸れ、我が涙よ」続いて本原が唱える。
す――――
結城が大きく息を吸い込む音が聞こえた瞬間、他の三人は一斉に耳を両手で塞いだ。
「開け、我がゴマよ」結城の声は周囲すべての岩にぶち当たり、馬鹿げたレベルで反響した。
耳を塞いだ三人は、耳を塞いだまま苦痛に顔を歪め悶絶した。
「行け、ローター」結城は続けざまに叫び、先程天津から手渡された古木の枝を時中の穿った穴に突っ込んだ。
穴の直径は見たところでは枝の太さよりも若干小さく思えたのだが、にも関わらずそれはまるで吸い込まれるかのように穴の中に――というよりも岩の中に入って行き、結城の手からすんなりと離れたのだった。それは天津が、耳を塞ぎ顔をしかめながらも力を添えたことによる作用であった。
そして静寂が戻って来た。だがそれはほんの二、三秒の間のことだった。
かっ
岩が、光った。
「うわっ」結城が叫び、他の新入社員二人は無言ながら眼を強く閉じ顔の前に手をかざした。
一瞬後、その光は嘘のように消え、元の姿のまま岩壁がそこに存在していた。
「な、何今の」結城が瞬きも忘れ自分の差し込んだローターを見る――が、もうそこに古木も、それを差し込んだ穴ぼこも、存在していなかった。
「これで、終了です」天津は微笑んで新入社員たちに頷いた。「お疲れ様」
「終わり? 今ので?」結城はやたらきょろきょろと周囲を見回した。「あれ、ローターは? 何が起こったんですか今? なんか岩がカーッて光りましたけど」
「あれが、まあいわば、OKサインです」天津は過去を指差すかのように人差し指を岩天井に向けた。「我々の申請に対して、岩から許しが出たという」
「あんなにあっさりと?」時中が訊く。「こんなスムーズに行く感じなんですか、いつも」
「――まあ、基本はこんな感じです」天津はほんの少し間を置いて肯定した。「この流れを覚えておいていただければ、大丈夫です」
「地球さまは、何も仰らないのですか」本原がどこか残念そうな声で訊く。「私たちの行うイベントに対して」
「OKの時には、特に何も言って来ないです」天津は頷いた。「まあ言ってくるとしても、鯰を通して言って来るわけですが」
「さっきの『あいたっ』と言ったのは、あれは鯰ですか」時中が質問する。「私がドリルで岩に触れた時」
「ああ……でしょうね」天津は苦虫を噛み潰したような顔で答えた。「でもまあ、すぐに黙ったから、規制が入ったんでしょう。悪ふざけが好きな奴で、すみません」
「規制というと」
「鯰を抑えている担当からの規制です」天津はまたにこりと笑った。「じゃあ、ここまでで上に戻りましょう。お疲れ様です」
◇◆◇
鯰はむくれて池の中に漂っていた。確かに、ちょっと油断してふざけ過ぎたかも知れない。
ただちょっと、新人どもに教えておいてやりたかったのだ。『穢れの本質』とは、何も生きている人間の分泌物だけではないのだと。それであれば“死”が穢れとされる謂れはないはずだ。人間は死んでいてさえも――というより死んでいる方が更に、穢れと見做されるのだ。そう、生きていても、死んでいても人間というものは、ただそれだけで“穢れ”なのだ。
つまり人間そのものが、まさに“穢れ”なのだ、と。