第18話 あなたの言ってることのタイトルがわかりません
天津の説明によると、研修内容としての後半部分「開いた岩の中に入り、その中でしかるべき動作を行い、岩から出てそれを閉じる」というところは午後以降、場合によっては明日行うとのことだった。
「岩が開くのに、そんなに時間がかかるという事ですか」時中の問いに天津は、
「それはその時その時、ケースバイケースで違うんですが、まあ研修期間中は一つ一つの作業をゆっくりと行っていきましょう。上でお昼を食べてから、また降ります」と説明した。
「いやあー、午前中だけでも相当色んなことあったねえ」結城は今日も、コンビニ弁当を頬張りながら賑やかにコメントを述べた。「皆、大丈夫?」
後の二人は黙々と食事をしていた。
「俺、何がいちばんビックリしたかって、あの土偶! いきなり眼から光線出してくるとか、あれは魂消(たまげ)たよねえ」結城もまた猪突猛進的にコメントを続行する。
他の二人は、或いは脳裡に結城の言う土偶の、岩影から斜めに覗いた上半身姿を浮かべたかも知れないが、相変わらず無言の反応であった。
「もし」結城は箸を持つ手の人差し指を立てた。「もしだよ、あの光線がまともに当たって万一俺あそこで死んでたら、それこそ労災保険と慰謝料の話になるよね」
「――」時中の箸が、ぴたりと止まる。
「でしょ?」結城が眼を輝かせて時中の箸を見る。「実技研修一日目で早速ですかあんたって話だよね?」
「――」時中はすっと眉を寄せ、再び箸を動かし始めた。
「ああでも、もしあそこで死んでたら俺、最後の言葉が『まさか眼から光線とか出るわけじゃないでしょう』みたいなふざけたもんになってたんだよなあ」結城の回想は続く。
他の二人はやはり反応しない。
「それはやだよね、流石にさ」結城は明るい苦笑を浮かべる。「最後の言葉はもっと、カッコよく決めたいよね。てか、後で人びとが思い出してさ、あれが最後の……! つって、グゥッ! と来るような一言を残して、逝きたいよね」箸を持たないほうの手で拳を握り締める。
時中は弁当の蓋を閉め、殻をコンビニの袋に入れて持ち手を結びつける。本原は両手に持つサンドイッチを兎のように少しずつ齧り、未だ食事中である。
「うーん、何て言って死にゆくのかなあ、俺」結城は最後のから揚げを頬張りつつ眼を閉じる。「本原さん、俺死ぬ間際、何て言って死ぬと思う?」
「ぇびぐばぅらぼふごゐらげぶぃごびぁ」本原が手にサンドイッチを持ったまま答える。
「何それ」結城は咀嚼も忘れ本原を見る。
「結城さんが死ぬ間際に言いそうな言葉です」本原は答え、またサンドイッチを少量齧る。
「そうだな。何かそんな事を言いそうだ」時中が食後の烏龍茶を飲みつつ同意する。
「どんな死に方するんだ俺」
「皆さん、食事中に失礼します」その時天津がドアを開け入って来た。
「あ、お疲れーっす」結城が元気良く迎える。
「実は皆さんに、ご提案したい事がありまして」天津はにこにこしながら告げる。「今日か明日あたり、皆さん夜時間ありますか?」
「お」結城が眼と口を丸くする。「俺は大丈夫っすよ。なんすか、歓迎会とかっすか?」
「はい」天津はにこにこと頷く。「うちの会社の、まあ行きつけみたいなとこがありまして、そこの経営者が貸切りにしてくれるっていうんで、折角ですから一度会社の者たちと顔合わせしたいかなと」
「おお」結城は眼と口をさらに丸く開く。「いいっすね。有難いっすね。どう皆、今日か明日って」
「急ですね」時中は冷静に回答する。「ですが、時間は取れます」
「おお、いいね」天津を差し置いて結城がぽんと手を叩く。「本原さんは? 急だけど」
「わかりました」本原はサンドイッチを両手に持ったまま頷いた。「どちらでも大丈夫です」
「はい決まり」結城は再度ぽんと手を打ち、天津に向かって言った。「じゃあ急ですが、今日という事でひとつ」
「あ、はい」天津はたじろぎつつ頷いた。「じゃあ、そういう事で伝えておきま……すいません急で」声がしぼんで行く。
そして研修担当は部屋を出て行った。
「やったねえ、歓迎会かあ」結城は更に手を叩き喜んだ。「会社の皆さんにお会いできるわけだ」
「何人いるんだ」時中は独り言のように呟く。「会社の人間――いや」首を振る。
「ん?」結城が素早く反応する。「何?」
「――人間、ではないのか」時中は特に結城を見るでもなく、独り言の続きのように呟く。「ここの“会社の者”というのは」
「神さまではないのですか」本原がオレンジジュースを飲みながら言葉を挟む。「神力をお使いになるのですから」
「でも天津さん自分で“岩鋸”って言ってたよね」結城も過去を振り返りつつ答える。「実際岩も切ってくれたし」
「――」時中は机の上をじっと見つめた。「まあいい。今夜の飲み会で何か明らかになるだろう」
「お、呑む気満々だね時中君ー」結城が親指を立てて言葉に力を込める。「いける口? ガンガンいこうぜ千鳥足?」
「――」時中は一切答えなかった。
「あ、今日ね。オッケー準備しとくわ」スマホの向こうで男は明るく承諾した。
「よろしくっすー、サカさん」天津は礼を言い通話を切った。「さてと。じゃあ、もう一回降りるか」両腕を上に伸ばし、気合を入れ直す。
「本社は全員参加するの? 歓迎会」木之花がPCから顔を挙げて訊く。
「うん、全員」天津は立ち上がりながら頷く。「エビッさんの嬉しそうな顔!」思い出して笑う。
「酒林さん、何か余計なこととか言ってなかった?」木之花は眼を細める。
「ん、余計なことって?」
「今度入った女の子はどんな子か、とか」
「ああ……はは」天津は笑って濁す。
「絶対死守しなさいよ」木之花は人差し指をぶんと振る。「クシナダを」
「それはさあ」天津は苦笑する。「スサノオに言ってよ」
「――」木之花は眼をさらに細める。「まだ、はっきり分かってないし」
「まあ、そうだけど」天津はそそくさと室を出ようとするが、「でも案外、本原さん自身があれだったりしてね」肩越しにもう一度振り返る。
「何?」木之花は眉を上げる。
「スサノオ」
「まさか」木之花は眉をぎゅっと寄せる。
「ばりの、豪傑」
「え?」
「何しろ、クーたんを信じていらっしゃるからね、彼女」
「はい?」木之花は眼を見開く。「クーたん? 何それ?」
「我々には未知の、何かスピリチュアルな存在らしい」
「――何それ」
「まあ少なくとも、魚ではないらしい」天津は肩をすくめる。「特にくさやではないらしい」そして首を振る。
「――ええと?」木之花は混乱しているようだった。
「じゃ、そういうことで」天津はそこで話を打ち切り、研修室へと向かった。
「――」木之花は閉じられたドアをしばらく見つめ続け、それから短く溜息をついた。「なんか、研修担当もだんだんおかしな事になってきてるかもだわ……いったい何の影響? 誰の?」
天津の言葉通り、恵比寿は顔が緩みっぱなしだった。
――ああ、天にも昇る気持ちって、こういうのを言うんだろうなあ。俺、頑張ったもん。酒、呑まなかったもん。鹿島さん帰って来るまで。呑まなかったもん!
ふふふ、と忍びやかに笑う。鹿島は気づかない。ずっとPCに向かい作業中だ。時たま、どこかに電話をかけたりする。恵比寿には、一切振り向かない。増してや言葉など、一切かけてはこない。だがそれでも、よかった。恵比寿は独り、にやにやしていた。
「あー、歓迎会かあ」出し抜けに鹿島が伸びをする。「また急に決めてくれるよなあ!」
「ほんとですね」恵比寿はそっと答えてみた。
「まあいいか、こういうのは勢いでやっとかないと、機を逸するからな、なんやかんやで紛れてさ」鹿島は言いながら首を回す。
「そうですね」恵比寿はまたそっと答えてみた。
「なあ、鯰」鹿島は恵比寿に後頭部を向け、池の鯰に向かって声をかけた。
「あたしにゃ関係ない」鯰はむすくれた声で答えた。「酒とか歓迎会とか、どうでもいい」
「まあまあ、呑めないからってむくれるな」鹿島はからからと笑った。「少しの間だけ、楽にしてていいぞ」
「本当?」鯰の声がぱっと明るくなる。「出てもいいの? 池から」
「それは駄目」鹿島は池に向かって両腕でバツ印を作った。「精々呼吸が楽になる程度ね」
「――ふん」またむすくれた声になる。
恵比寿は、何も言わずにいた。だが、いいのだ。今日は、いいのだ。今日まで自分は、大好物の酒を呑まずにいた。一日半だったが。だがその努力が、報われたのだ。それはご褒美といってもよかった。誰からの? いや、そんなことはどうでもいい。自分の頑張りに対する、これは報酬なのだ。今宵は、呑もう。ふふふ。また、密やかな笑いが漏れる。
「あ、恵比寿君」出し抜けに鹿島が呼んだ。
はっと、恵比寿は笑いを消して姿勢を正した。鹿島が、こっちを見ていた。
――認識モード、オン。
「今日の夜さ、新入社員の歓迎会やるんだって。空いてる? 急だけど」
「――は、はい」恵比寿は慌てて頷き、その拍子に首がこき、と鳴った。
「あそう、そんなら良かった。例のさ、『酒林』でやるらしいから、業務終了後に現地に行ってて。俺ちょっと遅れるかも知んないから」鹿島はウインクする。
「はい、はいっ」恵比寿は二度三度と頷き、三度目にもう一度首がこき、と鳴った。
なんという、日だろう。認識モード、オンの電子音声を、一日のうちに二度も聞くなんて!
「た、楽しみですね」恵比寿ははちきれんばかりの笑顔でそう言った。
だが鹿島はその時すでにPCに向かっており、返答の言葉は皆無だった。
「――」
――認識モード、オフ。
恵比寿は俯き、もう一度ひっそりと、笑った。今日は、良い日だ。そう思う。
たとえ、今夜歓迎会がある事、空いているかどうかという事、場所が『酒林』である事――それらすべて、さっきここに来た天津から鹿島と一緒に聞かされ、一緒に答えた内容であったとしても。