フェアリーテイルとフェアリーホーン
冒険者登録を済ませた後、僕とシルバーはフェアリーテイルの向かいの酒場、フェアリーホーンにやってきていた。
わいわいと騒がしい店内になんとなく嬉しくなる。
「いらっしゃい! あらぁ! オオカミの使い魔、かっこいいわねお兄さん!」
「ありがとうございます。もしかして、フェアリーテイルの女将さんですか?」
「そうよぉ、もしかして泊まってくれた?」
「はい、今日から二泊。門番さんからご飯が美味しくて安いって聞いて」
「嬉しいわ〜! 私がご飯作ってるのよぉ! 一人と一匹? ご注文は?」
「あ、ハイボー……じゃないな。ウィスキーアンドソーダあります?」
「あるわよぉ、それ一杯? オオカミの方は?」
「シルバーって言います。シルバーは……とりあえず、なんか肉料理と水を」
「はぁい! 待っててねぇ!」
勢いがすごい女将さんに注文をして、席につく。隣で座るシルバーを撫でていると、注文したお酒はすぐに運ばれてきた。
「ありがとう女将さん」
「仕事だからいいのよぉ、お礼なんて! あんたいい子ねぇ」
「いやいやそんな……」
おそらく同い年かそれ以上だと思いますよ、とは言わないでおいた。
一口飲むと、ウイスキー特有の苦さの中に甘さのある味が、炭酸水の爽快感と共に喉を通る。
「美味い……意外とハイボールが美味しい店って少ないんだよ、シルバー」
「アルコールはあまり好かない匂いのようです……ただ、料理は美味そうではありますね」
「美味いって評判だからね」
こそこそと話をしていると、あっという間に肉料理が運ばれてきた。
「はいお待ちどうさま!」
「早いですね」
「早い! 美味い! 安い! がうちの店だからね」
どの世界にもあるんだなぁ、これ。
「調味料は少なめにしといたわよぉ。シルバーだっけ? 唸りもしないで良い子だねぇ」
「撫でても噛まないですよ」
「あら、本当! 可愛いねぇ。こうしてるとただ大きいだけのペットだねぇ!」
「僕もシルバーにはあまり戦ってほしく無いんです。傷つくところを見るのは嫌ですから」
「種族はべロウウルフかい?」
「はい」
「だったら好戦的な性格だろうに……落ち着いてるねぇ」
「女将さーん! 注文! 新入りにばっか構ってねえでさぁ!」
「はいはーい! ごめんねぇ、うるさくて」
「いえいえ、こういう雰囲気大好きですよ」
「お、兄ちゃんも一緒に飲むかい!」
ビール片手に酔っ払った同い年くらいのおじさんが肩に寄りかかってくる。僕は久しぶりに大口を開けて笑った。
「兄ちゃん名前は!」
「シンヤ。シンヤ・タチカワって言います」
「シンヤ、いい名前じゃねえか!」
「東の国の出か? そんな感じの名前聞いたことあんなぁ」
「そんな感じです……」
肉料理を嬉しそうに貪るシルバーを尻目に、酒はどんどん進んでいく。
「俺はトーマス・デイビス。こっちはリル・オーウェンズってーんだ」
「俺たちは今日は非番だが、いつもは西門守ってんのさ」
「実は今日、この町にやってきたんです。南門からですけど……」
「ありゃ森しかねえだろ! 不思議な兄ちゃんだなー」
「この町に外から来る奴なんておかしな奴ばっかさ。お前もそうだろ、ウォルト!」
新しい名前だ、と思って、リルさんが向けた視線の方に目をやる。そこには周囲をものともせず、ただ独りで飲む男がいた。
「私はウォルトンだ。何度言ったら分かるのかね、オーウェンズ」
――確かに僕の雰囲気は、この世界の人たちからすれば不思議かもしれない。けれど僕は一目見たその時……この人に、痺れるほどの畏怖を感じた。
突如始まった宴会は数時間にも及んだ。
カーン、カーンと二回鐘がなり、外の暗さから、もう六時になったことを知った。
「そろそろ宿に戻らないと。娘さんにその頃戻るって言ってあるんです」
「娘ってーと、アリスちゃんか?」
「アリスって言うんですね、あの子」
そういえば名前を聞くのを忘れていたなぁ。
「なんだ知らなかったのか。あの子はああ見えて、女将さんの若い頃にそっくりなんだぞ」
「私はまだ若いよ! ほらフェアリーテイルに行った行った! 約束してるんだろう? お金はこいつらから取っとくよ」
「えっ、そんな、悪いです」
「あーあー気にすんな! 俺ら昨日給料日なんだよ」
「金に余裕があるうちに色々な奴らに奢って媚び売ろうって魂胆だよ。シンヤ、俺たちが困った時は頼んだぜ」
「あはは……そう言うこと」
苦笑しつつ、ご厚意に甘えることにしようと思って、僕は頭を下げた。
「ありがとう、奢られます」
「畏まるなよ、丁寧な奴だなー」
「どうせなら明日も飲もうぜ。二連休だから明日も暇なんだ」
「そんなことやってるからすぐに金が無くなんのよ!」
他の客の注文を取っていた女将さんがそう叫んで、ドッと店内に笑いがあふれる。
温かい街だなあとそう思って、僕はもう一度ありがとうと言って、騒がしいフェアリーホーンを背に、シルバーと共にフェアリーテイルに戻った。
「お帰りなさい!」
ニコニコと出迎えてくれた小さな店員さん、アリスちゃんに微笑んで手を振る。
「お酒、いっぱい飲まれたんですか?」
「まぁね……これでも酒は好きなんだ」
「お酒は美味しいですか?」
「うん。でもアリスちゃんにはまだ早いかな」
「もー! そんなことわかってますよ……って、名前! なんでですか!?」
「あ、トーマスさんに教えてもらって」
フラフラする足取りをシルバーに支えてもらいながら、アリスちゃんの隣を歩く。部屋は割と奥の方らしい。
「もうそんなに仲良くなったんですねぇ」
「大人は一緒に酒飲めば仲良くなれるんだよ」
「みんなそう言います! あ、お風呂は部屋に入って左、トイレは右です」
「別なんだ」
それに、扉が大きい。まぁ、シルバーが入れるくらいなんだから当然だけれど。
「二人がフェアリーホーンでかなり稼いでるから、こっちは余裕たっぷりなんです」
慣れたように言うアリスちゃんに、ほんの少し――物悲しさを感じて。
「アリスちゃ……」
「朝ご飯は鐘が二回鳴ったらです。鐘が四回鳴った頃に終わっちゃうので、早めに起きてくださいね!」
「あ、ああ……うん……」
パタン、と扉を閉められて、思わず伸ばしていた右手でそのまま頭の裏をかく。
「……まいったな、酔いが覚めてしまった」
僕は困ってしまって、ため息を吐いた。
朝、二回鳴った鐘の音で起きる。あんなに飲んだのに気持ちの良い目覚めだ。
「あ、夜食べないまま寝ちゃったよ」
「今気付かれたんですか……」
「考えてる間にすっかり忘れてた」
アリスちゃんが行った後、少しだけ考え事をしていた。
明日何しようかな、とか、今日の宴会は楽しかったな、とか、ウォルトンさんは不思議だった、とか……あとは、アリスちゃんのこととか。
あの様子、あの顔、知ってる。
僕の友人の息子が、たまにしていた顔だ。
僕の友人は出張の多い人間だった。友人の妻は大人だから納得して割り切っていたようではあるけれど、甘え盛りだった息子は寂しさを我慢して、一度三番目に信頼してくれているらしい僕のもとへやって来たのだ。
父が自分と遊ばないことに対して腹が立つこと。
父が夕飯時にいないことに対して腹が立つこと。
父が就寝時に寝かしつけてくれないことに対して腹が立つこと。
父が、家にいなくて、途方もなく寂しいということ。
僕は知っている。あのアリスちゃんの顔は、あの時の友人の息子の顔にそっくりだった。
「……とはいえ、僕に何ができるかな」
昨日会ったのは女将さんだけ。店主の方には会ってないけど……アリスちゃんの寂しがり方をみるに、あの家族はかなりの仲良しなんだろう。
店主と女将さんに「アリスちゃんが寂しがってました」と伝える? それで解決するとは思えない。
店主と女将さんが忙しいのは、フェアリーホーンが人気の酒場だからだ。人気がなくなれば客は入らず、アリスちゃんも寂しい思いをすることがなくなるかもだけど。
ただ、それでアリスちゃんがなんの心のつかえもなく、両親に甘えられるとは思えない。
「あ〜……僕こういうの考えるの苦手なんだよな〜」
「では、なぜ考えているのですか? 会ってまだ数時間ほどしか経っていないのに」
「それは……ほっとけないからね。寂しそうな顔をする子どもってほっとけないよ」
「主はお人好しという奴ですね」
お人好しか……確かに、そうかもしれない。
「フェアリーホーンの方で人を雇うのを提案してみればいかがでしょう」
「そううまくいくかな……あの忙しさだったら、募集なんかは普通にかけてると思うんだよね。でも、あの店はあの忙しさで二人きりで回してる」
「……裏があるとお考えで?」
「そこまで深いこと考えてるわけじゃないよ。まぁ……確かに、気になる人は、いるけど……」
ウォルトンさんが何かしてる、っていう訳ではないと思うんだよなぁ。