第201世界アザールス
突然体が動くようになって、それと同時に少し体が軽くなっているのを自覚した。
そうか、本当に体が若くなったんだな……。仕事でやった傷痕がない腕を見つめて、拳を握る。
「ああ、そうだ。『マニュアル』」
着いたら口に出せと言われていたことを思い出して、脳裏に眩い少年を思い浮かべながら呟く。
その言葉は不思議と辺りに染み渡っていくような感じがして、なんだかくすぐったかった。
『――……っと、聞こえるかな、慎也?』
「あ、聞こえるよアレク」
『よし、繋がった。じゃあまずは、新たな旅立ちおめでとう。体に違和感はない?』
「違和感はあるけど。悪い意味じゃないから大丈夫」
声もしゃがれたものじゃなく、若い男の声だ。頭を触ると頭髪もしっかりあって、胸の奥がじーんと暖かくなった。
「ありがとうアレク、なんだかワクワクしてきたんだ」
『それなら良かった。じゃあ、さっそく創造魔法の使い方を説明するよ』
こくりと頷く。
『使い方は簡単、魔力を込めて、口に出すだけ。まあ、魔力の使い方がちょっと難しいんだけど……とにかく、やってみよう』
「わかった。どうすればいい?」
『まず、魔力を動かしてみようか。丹田、へその下の方に集中して』
目を閉じ、呼吸で膨らむお腹に集中する。じわっと暖かいものが滲んだ気がして、僕は驚いて集中を緩めた。
「今のが魔力……」
『あ、わかった? じゃあ次の段階に移ろう。その魔力を、そこから動かす感じ』
動かす……。
さっきと同じように、へその下に集中する。またじわじわと暖かくなってきて、僕はそれにさらに集中して、動け、動け、と心の中でつぶやいた。
ゆっくり、ゆっくり動き始める。ジリジリとお腹の右側にきた時点で、僕は目を開けてもそれができるようになったことに気づいた。
『熟れてきたね。それを全身に巡らせるイメージをして』
全身、全身……。
暖かいものを動かす。けど、塊のままじゃあ動かしづらい。ふと、糸を思い浮かべた。
そうだ、糸だ。糸のように動かせば、もっと早いんじゃないか?
糸、糸……糸にするイメージ……。
じわじわ暖かかったそれはするする動き始め、細くなっていく。
そうして僕は、魔力を全身に巡らせることに成功した。
「できた」
『いいね、覚えが早い。じゃあ次だ。魔力を全身に巡らせたまま、何か欲しいものをイメージして。無機物、有機物でもなんでもいいよ。これからの生活に役に立つものがいいね。今なら失敗しても、僕の力で消せるから』
役に立つもの……直近で困ることってなんだろう。
衣食住……服ならまあ、失敗しても布切れとして売れるし。住処?……森から出たら村とかあるかもだし。そもそも住処だけあっても困る。
じゃあ、食。
けれどそれは、ジャガイモとか肉を出すんじゃダメだ。それだけじゃ、その都度創造魔法を使うことになる。それに、あんまり魔法で作った食べ物とかは口にしたくない……。
……無機物から有機物って言ってたな、そういえば。じゃあ多分、生き物も大丈夫だ……ろうけど、一応聞こう。
「生き物でもいいかな」
『うーん……人間以外ならいいよ。人間だとちょっと不都合がね。心臓代わりのモノを探し、いや、今回は送ろうか。魔力の球体なんだけどね』
その言葉と同時に、足元にサッカーボールくらいの真っ黒な球体が現れた。
「これが心臓?」
『そう。それを媒体にガワを作れば、後はその球体が勝手に中身を作ってくれるよ』
「へぇ……ちなみにこれを作ることはできるの?」
『魔力の制御がかなり上達しないとできないかな』
上達すれば出来るわけか。
まぁとにかく、早いとこ僕の相棒を生み出そう。
狩りができて、僕を守ってくれる強い存在……小さいのじゃダメだなあ。僕を乗せれるほど大きく。けど、大きさがある程度調整できるやつがいい。なんでもできるとなおいいな。
僕に噛み付かず、従順で。
ペットのように対等な信頼関係が築けるような。
僕と同じ言語が話せるといい。
もふもふで……かっこよくて……牙と爪があって……そう、オオカミ!
『今だよ!』
「創造魔法執行、オオカミ」
何をすべきかわかっているかのように、口が勝手に動き、手のひらを前に出した。
黒い球体に粒子が集まる。それは段々と糸を紡ぎ出し、今度はその糸で、形を作り始めた。
細部まで意識する。咆哮は僕に届くように。その牙は僕を守るように。その爪はどんな敵をも切り裂くように。
「……出来た……」
『凄い! さすが僕の見込んだ人だ! 一発でこんなに精密な生き物の創造を成功させるなんて……!』
感激する声が頭に響く。目の前の綺麗な顔をしたオオカミを少し見つめて、僕はハッと我に帰った。
「な、名前、名前をつけよう。何か、希望はある?」
「……ありません」
大きなオオカミが首を振る。声めちゃくちゃカッコいい! そのくせ尻尾はブンブン振って、最初から僕に懐いているようだ。
かわいいな、かわいいな、と口元を緩めた。
「綺麗な銀色の毛並みだね……よし、決めた。君の名前はシルバー。……安直かな」
「良い名です。……我が名はシルバー。主を守護し、敵を噛み砕き切り裂くモノ」
ふわっと風が吹く。森がキラキラと輝いて、僕はわぁ、と思わず漏らした。
『凄いよ、本当に凄い。慎也、まさかここまでしてくれるなんて……』
「? どうしたんだアレク?」
『今、そのオオカミに名をつけた事で、世界の運命が変わった。良い方向にね。やっぱり君のような綺麗な魂を持つ人物を選んでよかった……』
切実な声にくすぐったくなる。こんなに褒められるのは初めてだ。
「……アレク、ありがとう。僕を選んでくれて」
『僕の方こそだ。……慎也、その世界では辛いこともあるだろう。悲しいこともあるだろう。けど、きっと乗り越えて。君ならできるよ』
悲しそうな、寂しそうな声色。ああ、しばらくお別れなんだな、と悟る。
「ありがとう、アレク!」
『good luck! 人生を楽しみたまえ!』
その言葉を最後に、ぷつっと何か通じていたものが切れたような感覚がした。
「……ありがとう」
もう一度呟く。
擦り寄ってきたシルバーの頭を優しく抱きしめて、僕は少しだけ、暖かく、優しい気持ちで、涙をこぼした。
空を見上げる。あっちよりも青くて、キラキラした綺麗な空だ。太陽の位置的に、ちょうどお昼頃かな。
「アレクは無機物も有機物も作れると言っていたから、割と自由なんだろうなあ」
「主からは底知れない力を感じます。上限がないからでしょう」
「魔力量の概念がないらしいから……あっ、そうだ。創造しといてなんだけど、シルバーは何を知ってるの? 僕と同じくらい?」
「主と同じかはわかりませんが……主のことと、世界の常識くらいでしょうか。主が『なんでもできる』と望まれたので、そのようになっております」
「それは助かる! 僕はこの世界の常識を知らないんだ。そこまで頭が回らなかったから。まあ兎にも角にも、お腹が空いたね。果物とかで、食べれる物を教えてくれるかい?」
肉は処理が面倒だから、また後でがいい。
オオカミをイメージしたから、きっと鼻は利くはず。
「案内いたします。主、私の背中に」
「乗せてくれるの?」
「主が『乗れるくらい』の大きさを望みましたので、今はこの大きさをとっております。……もう少し大きくなりましょうか?」
「ううん、このくらいで大丈夫。でもちょっと待ってね……」
乗るならそのままよりも、鞍とかがあった方が便利だ。ただ、オオカミにつける鞍なんて知らないし……手綱なんかも難しそうだ。
まあ、乗馬ができるわけじゃないから、馬を創造するかっていうと、しないけれど。
考え込みながら、シルバーの体を観察する。頭や背中を撫でて、どんな形状がいいか考えた。
とりあえず、シルバーは大きさが変わるから、大きくなっても締め付けられないようなファンタジー設定にしなければ。
僕が大きくなるわけじゃないから、鞍の大きさは変えないように、そしてシルバーが大きくなっても、フィットするようにイメージして……。
鞍か……うん、ハーネス見たいな形状にして、そこに手綱と鞍をくっつける感じかな。痛くないように、クッションみたいなのもないとね。
あとは……アブミかな。足をかけるところは絶対あった方がいい。
「よし、なんとなくイメージはできた。シルバー、少しだけ大人しくしていてね」
「かしこまりました」
頭を下げるシルバーをわしゃわしゃ撫でて、そのまま左手は背中の方に滑らせ、右手は地面に向けた。
ハーネス、手綱、鞍、アブミ……鞍と体の間のゼッケンとパッド、腹帯も忘れずに。
魔力を全身に巡らせる。
「創造魔法執行、乗具」
さっきと同じ粒子が糸を紡ぎ、形を作る。
あっという間にイメージ通りのものができて、僕は思わずニヤニヤした。
「便利すぎる……これなら働かなくても良さそう」
「私に着ける物ですか?」
「うん。ちょっとだけ待ってね」
乗具を手に取り、前後を確認する。
「はい、右前足あげて。……次、左あげてね」
背中で固定し、次はお腹の方だ。取り付ける前にゼッケンを敷いて、その上に鞍を置いた。
「重くない?」
「軽いです」
僕が持った感じもそうだった。もしかしたら、重さについてイメージしなかったからかも知れない。
「じゃあ腹帯着けるから。息苦しかったらすぐに言ってね」
まずは緩めに。余裕がありそうだから、もう少し。
多分、指が一本か二本入るくらいでいいかな。
きゅっと閉める。反応を見るに大丈夫そうだ。
オオカミに鞍なんて普通つけないし、あとは走ってみてからかなあ……お尻、痛くならないといいけど。
シルバーに屈んでもらって、アブミに足をかける。ニーパッドに膝を当ててアブミの長さを調整して……よし、これでオッケー。
「じゃあ行こう。歩いてみて違和感あったらすぐに言ってね」
「かしこまりました。手綱をしっかりと握っていてください」
「うん」
ぎゅっと手綱を握る。目線の高さは、昔乗馬した時のもの。なのに乗っているのは大きいオオカミ。
人生何があるかわからないもんだ。シルバーに揺られながら、僕は微笑んだ。