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Ⅲ 存在の証明

  
 ポンっ。

 私が火のマークを軽く叩くと水がお湯に変わった。お風呂の時はちょっとだけ調整が必要で。水に手を入れながらぽんぽん叩いて調整していくと。ちょうどいい湯加減になる。これが難しくて。最初は大変だったんだから。
「す、すげぇ……火起こしいらないじゃん」
「ふふん。すごいでしょ」
「アイリスが造ったのか」
「お母さんがつくったんだよ! えへん!」
「……なんでお前が自慢げなんだよ」
「え? お母さんが褒められたらうれしいもん」
「ん……まぁな」
「へんなめるちゃん」
「しかし……これどうなってるんだ。機械でもなさそうだし」
「キカイってなに」
「電気で動くんだ。昔の本に書いてあった」
「へぇ」
「でも違うな……発熱する理由がない……」
「これはねぇ。火の錬金術師さんに手伝ってもらったんだよぅ」
「火のれ……なんだって?」
「錬金術師。ここをポンって叩くとその強さでカマの中が振動してうんちゃらかんちゃら、ボッて火がつくの。よく分かんないけど。ご飯をつくるときの台とかにもつかってる」
「待て待て待て……なんだそれ。錬金術なんてただの科学者の代名詞だろ」
「めるちゃんむずかしいことばっかり。ほら入ろー」
 私はメルちゃんの目の前でバンザイをする。一瞬固まったメルちゃんはため息をつきながら私のワンピースを脱がしてくれた。
「パンツは?」
「自分でやれ」
「むぅ……ほら、めるちゃんも」
 そう言って服を脱がせてあげると、ぬのがちぎれてしまった。やっちゃったぁ。と思っていたら、あんまり気にしていないみたいだった。
「もともと、古い布を縫い合わせてるだけだからな」
「じゃあ、私のお下がりあげる」
「……うん。もらおうかな」
「にひひ。体型がいっしょで良かったねぇ」
「う、うん……でも、お代払わないと」
「どうして? 困ってたら助けるのは当たり前ってお母さんいつも言ってるよ」
「そう、だったな……あはは。みんな、そうならきっと生きやすいんだろうね」
「うん。えいっ」
「は?」
「あ」
 なんだか、しんみりしてしまったからモヤモヤして、私はメルちゃんのパンツを脱がせた。すぽーんて脱げると、そこには……ぞう……。
「きゃっ……」
「め、めるちゃん……男の子……?」
「ちが……アタシは……ちがう……」
「ご、ごめんね……私が脱がせちゃったから……」
「ちがう……ちがう……アタシは女の子……女の子だから……アタシは……」
 ふたりで、困っているとお母さんがメルちゃんの後ろに。しーっと私に合図をして、メルちゃんを抱きしめる。メルちゃんは少し驚いて。でも、安心したみたいだった。
「メルちゃん、大丈夫よ。恐れないで。あなたがなんであろうと、私たちはあなたの味方だから」
「うそ……だ……」
「アイリス。ちょっとだけ、お母さんが代わるわね。聞かせてくれる? メルちゃん」
「マリア……ねぇ。アタシのこときらいにならない? 気持ち悪がらない?」
「えぇ。嫌いになんてなるもんですか」
「うん。そうだねー。私もホムンクルスだから人間じゃないよー」
「え?」
「そんなこと言ったら私だって精霊体だから、もう人間じゃないわね」
「ほ?」
「えっとね、めるちゃん。私も、お母さんも人間じゃないの。だけどね、お母さんはお母さんだし、私は私。だったら、めるちゃんはめるちゃん。きっと大丈夫だよ」
「う……うん……」
「ほら、お話しして。いつ頃からこうなったの?」
「家を……出てから」
「……そう。言い換えると、お母様が『液体の銀』になってからね」
「そ、そうだな」
「なら、それは証。消したり治したりするのは無理だわ」
「そんな……」
「だから、受けいれていくしかないの。でも、嘆かないで。それはあなたのお母様を元に戻せるという証」
「どういう、こと?」
「存在としての証明よ。ちょっとごめんね。メルちゃん」
「ひ、なにするんだ」
「ちょっと見せてもらうだけよ。アイリス、細かいところまで。きちんと見て」
「ん……」
「おぉ……こっちは女の子といっしょだぁ」
「そうなの、男の子でも女の子でもない。というと語弊があって。男の子であり、女の子であり。とどのつまり両性なの」
「ふぅん」
「ふぅんって……気持ち悪くないのか」
「どうして?」
「え」
「関係ないよー。お花だって、おすめすのやつがいるもん。神様もだよー。ほらお風呂はいろ! お母さんも」
「えぇ」
「はぁ……こんなんでいいのか……」
「ふふ。観念しなさい。メルちゃん。性別がどうのこうのと悩むのは、性別という概念がある存在のみ。あの子はあの子、私たちは私たち。やわらかな発想という面で、だぁれもアイリスには敵わないわ」
「あはは。ほんとにな」
 三人で入るには狭いけれど。だからこうやってぎゅってくっつくの。柔らかいお母さんの身体。ふわふわで、もちもちで。気持ちが良くて。メルちゃんも同じ気持ちみたい。すっかり目がとろんとしてる。
「お母様……」
「今までずっとひとりだったのね」
「うん……」
「あなたのお母様は瓶の中にあるわ。ただ、具現化は恐らくできない。魂の器である肉体は元素変換時に使い果たしてしまったの」
「そんな……」
「あなたが今どんな存在か。理解しているかしら」
「ううん。普通の人間じゃないってことだけ」
「正解で、不正解よ。もう少しだけ、理解を深めましょう。もう、偽る必要はないわ。私はあなたを解く者よ。開きなさい。その心を」
「……フッド家長女として、私は訊ねます。あなたは、何者ですか? マリア」
「私は花の錬金術師。マリア・フローレンス」
「錬金術師。あぁ……そう言えば……」
「うん?」
「お母様が生前懇意にしていた方も。そう名乗ってた。名前は覚えてないけど『夜の』って呼ばれてた。行商人とはまた別の……」
 突然、お母さんの雰囲気が変わった。メルちゃんは不思議そうに眺めている。私にはわかる。お母さんの中で生まれて、いっしょに育ったからこそ、わかる。今、とても大切なことを、メルちゃんは言った。
「その名前を、どこで」
「えっと、お母様の寝室、まどろんでる私の傍らで」
「いつかしら」
「夕刻。日が落ちると同時に、すぅっと出てきた」
「なにを、話していたの」
「えっと……『資格』『神』『契約』とか、かな。あんまり覚えてなくて……」
 
「思い出しなさい、メル」
 
 私もメルちゃんも、お母さんの氷のような冷たい声に固まった。
 すると、ばつが悪そうにお母さんはほほえんだ。いつもの、笑顔だった。
「あ……ごめんなさい……」
「い、いいよ……うん。また思い出したら言うから」
「お母さん……大丈夫?」
「ごめんね、ふたりとも」
「ん……なにか、関係あるのか? マリアにも、取り戻したい人とかいるのか?」
「……そんなところかしらね。さぁ、明日は『液体の銀』について調べないと。忙しくなるわよ。のぼせるまえに出ましょうか」
「うん……」
 お母さんは、私たちをおいてひとり先に、お風呂を出た。
 ぽつんと置き去りにされた私たち。お母さんのあの表情、背中。それはどこか、遠い。遠い、ところに行ってしまったみたいで。胸がチクリと痛んだ。

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