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第三話 人命は祭りの金魚以下

 ひと時の祝福の後、ファミレス内は日常を取り戻していた。
 拍手と賞賛の声をあげていた客たちは、各々が何事もなかったかのように食事を始めている。
 殺人を犯した田中一家は、床に倒れた死体の前で記念撮影を始めていた。
「タカシちゃん、コックさんと一緒に映って! はい、ピース!」
 四歳のタカシは、死に顔の前で無邪気にポーズをキメている。田中母がそれをスマホのカメラで撮影していた。
 死刑囚の街における殺人は善行――回天座一行は、異次元の倫理観に支配された世界に閉じ込められている。
「じゃあ看守棟に報告しましょう」
 田中母が撮影を終えたスマホの画面を操作し始めた。田中父がそれに不安そうな顔で尋ねる。
「ママ、死体の写真は今回必ずパパのアカウントで送ってくれよ」
「あら、切り替えるの忘れていたわ」
「おいおい、間違えたら僕は釈放されないんだぞ! この島に置いてけぼりは勘弁してくれよ!」
 泣きそうな顔をする田中父の前で、田中母はスマホを慎重な手つきで操作した。
「報告完了、これで文句ないでしょ? あんまりみっともない顔しないで」
「よしよし、あとは検死待ちだな」
「けんしまちー」
 スマホ画面を眺めて微笑み合う一家。ステーキを食いつつそれを見物していた龍登が、彼に尋ねる。
「おめでとさん、旦那はこれで何人目だ」
 田中父は、照れたように笑う。
「えへへ、実は三人目なんです」
 生まれた子どもの人数を上司に報告するサラリーマンのような口調だが、実際にしたのは殺人である。
「とうとう釈放されるのか、実のところ旦那は気が弱いから人殺しは無理だと思っていたんだ。ここへ入ったお陰で度胸がついたな!」
 龍登に誉められると、田中父は気まずそうな笑いをあげた。
「いや、それが……実は今までも全部、妻に殺ってもらったんです」
「何だよ、だらしねえな」
「この人ねー、本当に度胸がないんですよ。ここに来たのもセコい振り込め詐欺のせいですもの」
 田中父は肩身が狭そうにしょぼくれている。
「でもね、それでいいと思うんですよ。互いの弱い部分を補うのもパートナーの役目です。
私はすぐキレる性格で、態度の悪い後輩を弄り殺しにしてここに入れられましたから。そういう自分の欠点を活かして、この人にしてあげられることがあるんだって思うと、安心できるんです」
 愛情の籠った妻の言葉に、田中父は目を潤ませた。
「お前たち……本土に帰っても必ず幸せにしてやるからな」
「あなた……!」
「パパ……!」
 抱きしめ合う田中一家。その姿に龍登がテーブルナプキンで目頭を覆う。
「いい話じゃねえか……」
「どんな美談だよ」
 玄太がぼやいている間に作業服を着た男たちが来て、検死らしき作業を始めた。
「検死終了しました、報告通りです」
 検死係たちはコックの死体を棺桶の中にしまい、運び去ってゆく。
 田中一家も自分たちの席に戻って、誕生会を再開した。
 対して姫麟、祈里、玄太はもはやドリンクすら飲めていない。
「食わないのか? ならオレが全部食っちまうぞ?」
 龍登はご機嫌にハンバーグを食べている。
 回天座できっちりと食事をしたのは義月だけだった。
「嫌……こんな島、一日だっていられません」
 姫麟が涙を零し始めた。
 進学校の学級委員長にとっては、あまりにかけ離れた倫理感の世界。
 わずか一日のうちに死刑宣告を受け、二度レイプをされかけ、三度殺人を見せらつけられている。
 龍登はデザートのお汁粉パフェを食べる手を止め、少しだけ困った顔をした。
「泣かれてもなあ……まあ、どうしても合わなきゃ島を出て行くしかないぜ」
「出る方法、あるんですか?」
「ある」
「教えてください!」
「三人殺せ」
「無理です! 狂ってます!」
 姫麟のすすり泣きは号泣に変わった。
 玄太が慰めの言葉をかける。
「だよなあ……姫麟ちゃんは優しいから、おれと同じで」
 それは事実だと義月は心の中で同意した。玄太は見た目こそチャラっぽく、マイルドヤンキー気味だが、人を傷つけることなどできない男だ。
 むろん、姫麟と祈里も同じだ。
 今まで優しい世界で生きていた彼女らには、見えていない部分がある。
 義月は言葉にしてそれを指摘せねばならなかった。
「もっと差し迫った問題がある」
「義月、ここを出る以上に重要なことなんかあるのか?」
 疲れた顔の玄太に義月は淡々とした口調で述べた。
「俺たちも、いつ誰に殺されるか分からないことだ」
 回天座の四人は死刑宣告を受けた死刑囚である。
 そしてここは、死刑囚同士の手による処刑が推奨されている刑務所なのだ。
「そうだった! おれたちが出ることばかり考えていたけど、他の奴らだって……」
 三人殺せば釈放。そのルールは当然、他の島民にも適用される。回天座一行が生贄にされる可能性も多分にあるのだ。
「帰りたいよぉ……お母さぁん」
 今春、中学をでたばかりで多感な少女は恐怖に晒され続け、情緒が不安定になっている。
「どんな理由で人権党はこんな島を作ったんだよ? もう訳がわからねえ!」
 頭を抱え悶える玄太。
「昔は死刑執行を刑務官がしていて、大きな心理的な負担になっていたらしいの。だから囚人同士でさせる――みたいな考えだと思うのだけれど」
 祈里が口にした推論に一つの理を義月は感じた。
 だが、それだけだろうか?
 確かに囚人同士で処刑を為せば確かに国家の負担軽減になるかもしれない。
 しかし、三人殺せば釈放されるのは何故だ? 凶悪犯を本土に戻すのは危険ではないか?
 何より義月は、元死刑囚が本土に戻ってきたという報道を聞いたことがない――。
 考えれば考えるほど疑問は深まってゆく。
「まず今夜、どうすればいいの? 泊まる場所もない……」
 不安そうに窓の外を眺める祈里。日の長い夏とはいえ、外はすでに薄暗くなりかけている。ファミレスはこれから混む時間、長居はできないだろう
 殺人が推奨される掟の街で無防備な新入りが一夜を過ごせば、次の朝日を見られる保障すらなかった。
「だったら、好漢団に入るか?」
 龍登がパフェの上に乗ったミニたい焼きを齧りながら尋ねてきた。
「好漢団?」
 さきほど田中一家も口にしていた単語だ。妙に耳に残るので義月は覚えていた。
「オレが作った組織さ。この島では囚人同士が、殺されないようにグループを作って守り合っている。好漢団はその中でも指折りの大所帯だぜ」
「死刑囚たちで互助組織を作っているのか」
「なるほど道理で……」
 合点がいったかのように祈里が頷く。
「何がだよ、姉貴?」
「気になっていたのよ。この街、穏やかだなって」
「穏やか? さっきから殺されまくっているじゃないか!」
「むろん、外の世界に比べればね。でも殺人が推奨され、釈放の条件にもなっているのなら、住人同士がもっと殺し合っていてもおかしくない――そう思わない?」
「言われてみれば……街中が死体だらけでもおかしくないんだよな」
 玄太が姉の言葉に納得を示す。
 事実、罪紋市は綺麗な街だ。死体はおろかゴミもほとんど落ちていない。
「だから何らかの抑止力があるんじゃないかと思っていたの」
「そういうこった、うちに入団すれば少しは安全だぜ。寝泊まりにはアジトの空き部屋を使ってもいい」
「いい話ね、お願いしようかしら」
 祈里は顔を明るくしたが、玄太は胡散臭げに鼻を鳴らした。
「格好のいいこと言っているが、さっきのコックは殺されてたじゃねえか? あんたの目の前でさ」
「あいつは好漢団員じゃない、何度も誘ったのに会費が高いって断られたんだ」
「金を取るってことか?」
「もちろんだ」
 玄太と龍登が会話をしている間に、祈里は自分の財布を取り出して、中を確認し始めた。
「払える額ならお願いしたいけど……実はあまり持ってきてないのよ」
「うちの会費はひとり月額九万八千円、安いだろ?」
「高っ!」
 酒と煙草とパチンコで給料を使いこみ、常にスカピンの玄太にはあまりにもハードルの高い値段だ。
 だが、他の三人にも即支払いをする能力が今はない。
 犯罪者だらけの環境とは知っていたので義月も姫麟も玄太も、万が一の盗難などを警戒し、金銭含め貴重品は最低限しか持ってきていない。
 持ち金を合わせても、一人分の金額にすら満たなかった。
「命の値段だぞ? 守ってやるし、仕事も世話する。 このサービスで十万円切っている組織は島内でうちくらいだ」
 龍登の言う相場はともかく、払えないという事実に変わりはない。
 店内にエーティエムはあったがネットワークは島内独自の銀行としか繋がっておらず、預金は下せない。外部に連絡ができない以上、実家からの仕送りなども期待できなかった。
「先にお仕事を紹介してもらえませんか? 支払いはお給料をいただくまで待っていただくという形に……」
「悪いがだめだ、組織内での公平性が崩れる。オレは好漢団のリーダーだが、だからこそ平等にやらなきゃならない。 団の役に立つやつなら会費を免除することもあるが……」
 諦めのため息をつく祈里。
「そうですか……。けど、私たちでは役に立てそうななことは何も……」
 物憂げに思い悩む祈里の横顔を龍登はじっと見つめた。
「やっぱいいな、すげえいい」
「はい?」
 続いて義月、姫麟の顔をジロジロと覗き込んでくる。
「お前らもいい! 抜群に満点だ!」
「何ですか?」
 祈里が尋ねたとたん、龍登はついさっきの発言を覆す発言をした。
「決めた! お前ら会費はタダにしてやる!」
「組織内の平等とやらはどうしたんだよ?」
 困惑する玄太を無視し、龍登は嬉しそうに彼以外の三人を指す。
「お前と、お前と、お前! オレのセフレになれ! そしたら会費は無料だ!」
「兄さん……セフレというのは何でしょう?」
 姫麟はキョトンとして兄に尋ねた。
「セックスフレンドのことだ」
 ストレートな答えに、姫麟は湯気があがりそうなほど顔を赤くする。
「え、ええ!?」
 姫麟は義月の知る限りでは恋人さえ持ったことがない。動揺するのは当然だろう。
「こう見えて面食いなんだ! 団の役に立つ奴は会費を免除するってのが規定だが、オレのセフレってのはそれに当てはまる! オレは性欲が強いからな!」
 当の龍登はドヤ顔だった。
「念のため確認するが、俺は男だぞ」
 義月は女顔であり、シルエットもスリムだ。演目によっては女役をすることもある。
 だが百八十センチの筋肉質。衣装や化粧で工夫をしなければ、性別は間違えられないだろう。
「構わねえ、問題は顔だ! 顔が綺麗なら性別無関係に愛せるぜ!」
「性差別意識がないのは結構だが……」
義月に男色の趣味はない。つい眉をしかめてしまう。
「待て、おれは?」
 唯一、指名されなかった玄太が不安そうな顔をする。
「ケチ臭い顔は好みじゃねえ、勝手に野垂れ死ね!」
 突き放され、玄太は目を潤ませた。彼にも玄太にも男色の気はないが、一人だけ排除されてはこなって当然だろう。
「そんな……殺されるくらいならケツの穴くらい……」
 絶望の愚痴をこぼし始めたこのとき、芯の通った透明感ある声が響いた。
「お断りします!」
 祈里である。美しい形の眉が凛然と吊り上がっていた。
「私は死んだ夫以外に操を捧げるつもりはありません! 何より、弟を見捨てるくらいなら、この島で死ぬわ!」
 美女の迫力に気おされたかのように、龍登は言葉を出せずにいる。
「それに龍登さんは言ってましたよね? イジメは許さないって! 追い詰められている人間にそんな取引を持ち掛けるのは、イジメじゃないんですか?」
「いや、そういうつもりじゃ、無理やりってわけじゃねえんだ。マリサも、死んだセフレたちも皆、オレのこと好きだって言ってくれたし……」
 しどろもどろだ。厳しい母性の眼差しの前に、巨人は叱られた幼子同然だった。
「すまねえ、今のは撤回させてくれ。 まいった……あんたみたいな美人が怒ると怖いな」
 サブマシンガンを装備した看守たちを相手にまったく億さなかった男が、冷や汗を流していた。
「義月くん、姫麟ちゃん、玄太、そろそろ行きましょう、お店も混んできたわ」
 テーブルの上の料理は宣言通り龍登が平らげている。
 この席にいられるのも限界だろう。
「龍登さん、ごちそうさまでした。そして、私たちを救っていただきありがとうございます。機会がありましたら、今度はこちらからお礼をさせてください」
 祈里が礼節を守った上で席を立とうとすると、龍登は制止をかけた。
「待った! 今、思いついた! あんたがさっき望んだように別の仕事を紹介しよう」
 振り向いた義月の目に、龍登の真剣な顔が映る。
「一回きりの仕事だ。だが、これに成功したらあんたたちを好漢団のメンバーとして迎え入れよう。そこのケチ臭い顔も含め四人ともだ」
「マジか!?」
 玄太は顔を輝かせたが、すぐにそれを曇らせる。
「成功したら、ってことは? 失敗することもあるってことだよな?」
「もちろんだ、だがオレがやるよりもあんたたちのほうが成功確率は高い」
 訝しむ義月たちの前で、龍登はスマホを取り出して操作し、テーブルの上に置いた。
 画面に映し出された女性の画像について義月が尋ねる。
「この女は誰だ?」
「高崎人美、俺たち好漢団と敵対しているヨミ教団の幹部だ」
「ヨミ?」
「そうだ、刑務所長のな。あいつを神として崇める囚人組織がヨミ教団だ」
「刑務所長を崇めるってどういう宗教だよ?」
 玄太はピンとこない顔をしている。確かにカリスマ性は感じる女だったが……。
「さあな、権力者に媚びを売って甘い汁を吸おうとしているんだろうぜ、下らねえ連中だ」
 どうでも良さそうに龍登は吐き捨てた。
「それで仕事というのは?」
「高崎人美を殺すことだ」
 回天座の空気が凍る。殺人依頼。龍登の目は冗談を言っていない。
 スマホに映し出された高崎人美は。白衣を羽織り、明るく気さくそうな魅力に満ちている。年齢は二十代後半くらいだろう。
「こんな美人を殺せって!?」
 玄太の声は震えていた。
「人は見かけによらねえって見本だな、少し前に好漢団のアジトの水槽にペスト菌を流し、百人以上を殺したのはこいつだ」
 回天座はペストをテーマとした芝居を公演したことがあった。
 中世に猛威を振るった感染病ペスト。皮膚が黒色化し、発熱、頭痛などに見舞われる。治療をしなければその致死率は六割から九割にも及ぶ。
「カタキを討ちたがっているやつはたくさんいる、オレだってそうだ。セフレたちはみんな殺された。今、残っているセフレはマリサって女だけだ」
 悔し気な顔でスマホの画像を睨む龍登。
「好漢団の人間は顔を知られちまっている。だが、顔を知られていない新入りのお前たちなら、ヨミ教団のナワバリを通って人美に近づけるだろう。 やってくれないか?」
 依頼を聞き終えた祈里は、悲し気な顔で首を横に振った。
「お気遣いありがとうございます。けれど無理です……私たちに人殺しなんて……」
 義月は祈里の言葉を鋭く遮った。
「この依頼、俺が請け負おう」
「義月くん!?」
 周囲の視線が一斉に義月へ向けられる。
「この女を殺せば、みんなを守ってくれるんだな?」
「ああ、約束しよう、必要なら契約書も用意する」
 祈里が慌てて義月の肩を掴んだ。
「何を言っているの? ダメよ人殺しなんて!」
 姫麟も上質なコーヒー色の瞳を潤ませながら、義月の手を掴んでいる。
「兄さん、そんなことやめてください……どんな理由があっても」
 姫麟の言葉を龍登が遮った。
「殺人なんて絶対にいけないこと――本気でそう思うのか?」
「当たり前です」
「どうしていけないと思うんだ?」
「それは……人命は貴重で、かけがえのないものだからです」
 正論に思える姫麟の言葉に、龍登は揺るがなかった。
「確かに平和なときは人命こそ至上のものと言われるな。だが、戦争のときは敵を殺せば殺すほど褒め称えられる……命の価値なんて状況によって変動するもんだ」
「戦争と今とは違います」
「違わない、この島では殺人が合法。生きるために皆、戦っている」
 龍登は姫麟に堂々とした口調で反論した。
 それを覆す言葉は誰の口からも出てこない。この島では正論が日本本土とは異なるのだ。
「人命なんてそんなもんだ。そして知らない奴の命に人は価値を感じない。海外で災害が起き数万人が死んだというニュースよりも、縁日で採ってきた金魚が死んだことのほうが悲しい、お前らだってそうだろう?」
 龍登に突きつけられた価値観に姫麟も、祈里も、玄太も押し黙っている。
 ただ、義月だけが仲間に言葉をかけられた。
「俺にとって価値のあるのは仲間の命だ。お前たち三人を守るためなら殺人さえ犯す。例えそれが何人でもな」
 己の覚悟を示した義月に、龍登が応える。
「いい顔だ! ならまずはアジトに来い。 そこで契約をしたら、早速仕事に入ってもらう」

 夏空に満天の星が瞬く夜。義月はひとりで酒場に入った。
 ファミリーレストラングランラークを出た後、好漢団のアジトに立ち寄り契約の手続きと仕事の準備をし、夜の繁華街まで歩いてきた。
 『メラン』という名のそのバーは黒を基調とした内装で固められ、落ち着いた雰囲気を漂わせている。
 時刻は午後十一時過ぎ。
 依頼の対象である高崎人美は、そのバーのカウンターに座っていた。
「あの……隣、いいですか?」
 義月が声をかけると、人美は人好する笑顔を浮かべた。
「どうぞ」
「ありがとうございます、良かった……」
 極度の緊張の中で、初々しい青年の声が出せたことに義月は安堵する。
 人美に関する情報は龍登のアジトで調べておいた。彼女は年下で可愛らしいタイプの異性が好みらしい。
 義月は年下という点はクリアしているものの、愛嬌不足は自覚している。素の自分が彼女の興味を惹く可能性は低いと判断していた。
 そこで思いついたのが以前に舞台で演じたカサノバだ。十八世紀に実在した稀代の色事師のまだ初々し青年時代を演じることで人美への接近を図ったのだ。
「僕、この島には今日来たばかりで誰も知り合いがいないんです」
「あら、それじゃあ不安よね? 私でよければ何でも聞いてちょうだい」
 ファーストコンタクトは上手くいった。ここから人美の素性を聞きださねばならない。
 殺害を実行するのかを決めるのはそれからだ――。
 これが回天座の仲間たちと取り決めた約束だった。

 あのファミレスを出た後、回天座一行は龍登のアジト――学校の校舎を思わせる建物に寄った。
 そこで依頼の手続きをしようとしたとき、回天座の仲間たちは義月の決意を覆そうと様々な言葉を繰り出してきた。
「人美さんという人も、冤罪かもしれません」
 姫麟のいう通り、人美も自分たちと同じく理不尽な経緯で死刑判決を下された可能性は否定できないのだ。
「法律的には合法でも罪のない人を殺めては義月くんの心に傷跡が残るわ」
 祈里の目はいつも他人の内面を見通すかしてくるのである。
「ま、まあ……そんなんで自分らが助かっても、おれは嬉しくないしな!」
 言葉とは裏腹に、玄太はどうやったって助かりたい本心が透けて見えた。その真意を隠そうとするセコささえ人間らしさに思えた。

 そんな仲間たちの気持ちを踏まえた上で義月が生み出した妥協案が、人美と対話をした上で、極悪人だと確認した場合のみ殺害するという案である。
 投獄された理由が冤罪ではなく、今後も犠牲者を生み出しかねないと確信した場合のみ殺害を決行する。
 回天座の仲間はそれを渋々ながら受け入れた。
「ありえねえと思うが……もし、あんたたちの言う通りならオレの目が曇っていたってこった。そのときは何もせずに帰って来い。別の殺害対象を指定してやる」
 仲間内での話し合いの結果を聞いた龍登は、そう答えを返した。
 殺人が絡まないことで自分たちが役に立てないかを、姫麟たちは懸命に尋ねていたが、好漢団は数千人の団員を抱えており、仕事は奪い合いになっている状況のため、この特殊な案件しか回せないのだと龍登は言う。
 誰かを殺さねば自分たちの死は免れない。ならば、手をかけるのは死に値する悪人にしたい。その点は義月も仲間も共感できていた。

 バーのカウンターで義月は軽く自己紹介をした。
 母性本能を刺激するようはにかみながら……。
 人美は思惑通り、そんな青年に興味を持ってくれたようだ。
「この島はどう? 驚いたんじゃないかしら?」
「はい! イメージ違いました、刑務所がこんな街になっているなんて……囚人だっていうけど、みんな普通の人に見えます」
 人美の美貌をチラチラと横目で見ながら答える。実際、彼女は生徒に人気のある保健室の先生といった雰囲気なのだ。見た目からしてバイオレンスモンスターな龍登よりは、遥かに一般人サイドだった。
「もしかして本当は怖い? 私が何をしてここに入れられたか気になる?」
 人美の視線が、弄ぶような色を帯びた。
「私の顔、ニュースとかで見たことがないかしら? 高崎人美って言うんだけれど」
 掘り起こせば義月の中には人美に関する記憶があった。
 三年ほど前、新型感染症の流行に伴い、予防薬と偽って毒薬を患者たちに投与した開業女医がニュースになったことがあった。
 被害者は主に若い男性であり、毒薬で動けなくした体を弄び、弱っていく過程を楽しみながら快楽とともに息絶えてゆく姿を楽しんだのだという。
 エロティックな連続殺人事件は、加害者の美貌と相まって多くのメディアでその顔が報じられていた。
 思い出した上で、とぼけるふるまいを義月は選ぶ。
「すみません……僕、ニュースとかワイドショーは見ないので」
「そうなの?」
「ネットに書いてありましたけど、ああいうのって嘘が多いらしいじゃないですか」
「そうね、実は私もそうだったりするの。悪いことなんかしていないのよ」
 人美は寂しそうに目を伏せた。
「人権党が政権を取ってから世の中はおかしくなってしまったわ」
「そうなんですか? 人権党って良いイメージしかありませんけど」
「プロパガンダよ、メディアをコントロールして都合の良いことだけ報じているの」
「へ~、知らなかったな~!」
 “政治に無知で無関心な若者”の演技が義月は得意である。玄太の思考をトレースすれば良いのだ。
「でも人美さんが言うなら信じられます! 絶対に悪いことができない人だって分かりますよ!」
「ありがと、信じてくれる人がいてくれて嬉しいわ……ところで義月くん、好きな飲み物は?」
「オレンジジュースですかね」
 義月が答えると、人美はカウンターの向こうにいるバーテンに呼びつけた。
「彼にファジーネーブルを」
 ほどなくして、山吹色の液体が出てくる。
「お近づきの印にどうぞ」
「いいんですか?」
「ピーチリキュールをベースにしたカクテルよ、アルコール度数は低いし、味はオレンジジュースそのままだから気に入ると思うわ」
 酒の説明自体はどうでもよかった。
 問題は、これを飲んでいいものかどうかである。
 報道を信じるならば人美は毒殺魔だ。
 注文の際に掌で何かサインを送っていたようにも見えた。
 もし、あれが酒に細工をしろという合図だったとしたら――目の前のグラスに口を付けることは危険すぎる。
 もし義月が死亡などで依頼を果たせなければ、別の仲間が依頼を代行することで好漢団入りを認めると龍登は言っていた。
 仲間に手を汚させる――義月にとって、絶対に避けるべき事態だ。
 果たして、この酒に毒は盛られているのか?
「どうしたの? 私の顔、何か付いている?」
 心臓が嫌な鼓動を立てる。人美の顔を観察しすぎていたことを後悔した。
 焦って正体を見極めんとしたばかりに、不自然さが生じてしまったのだ。
 奢られた飲み物を放置する無礼に重ねて、疑いを呼びかねない要素である。
 ここはヨミ教団のナワバリ。酒場のバーテンも客もヨミ教団の信徒ばかりだ。
 人美を狙う暗殺者だと知られれば、ただでは済まないだろう。
 ミスを取り繕うため、義月は一か八かの嘘を吐きだした。
「ごめんなさい……母のことを思い出しいて」
「あなたのお母さん?」
「人美さんに少し似ているかもって……」
 義月はパスケースに入れた写真を取り出した。
 九年前、義月が十一歳の頃、回天座の前身である黒船座で撮影した写真だ。
 当時は子役として活躍していた義月、姫麟、祈里、玄太のほか主演格の女優だった義月の母と、座長だった父が映っている。
「この女の人? すっごい美人ね! あなたも整った顔立ちをしているけど、お母様も」
「劇団の女優だったんです」
「すっごーい! でも、私に似ているかしら?」
 問いかけには疑いではなく照れがあった。当時すでに三十を越えていた義月の母美華だが、結婚して子持ちになっても人気を維持しているばかりか、新たな若いファン層を獲得するほどの魅力の持ち主だった。
 美人女優に似ているとおだてられ、義月に対する警戒心など吹き飛んでいる様子だ。
「雰囲気とか仕草とか、人の目を惹きつけるところが似ていると思います」
「それで私の顔見てたんだ、ふ~ん」
 一回り近く年下の男の子に褒められた人美は、口元をニマニマさせている。
 苦しい言い訳だったが、成功したようだ。
 この機に乗じて、本当に聞きたいことを尋ねる。
「ところで母をこの島で見たことはありませんか? 伏見谷美華という名前なんですが」
「心当たりがないわね? こんな美人なら、印象に残ると思うけど?」
 ここに来る前、龍登にも写真を見せたときと同じ答えが返ってきた。
 この島は勢力別にナワバリが決まっており、他のナワバリにはあまり立ち入れない。囚人全員を知っているわけではないが、綺麗な顔の奴なら忘れないと龍登は断言していた。
「お母様もこの島にいるの?」
「七年前に冤罪で投獄されたんです……」
「もしかして、彼女に会うためにここへ来たのかしら?」
「元々はそれが目的でした、一目会えればと思って慰問公演に……。それが、ちょっとした誤解から僕まで投獄されてしまって」
「そう、冤罪なら私と同じね」
 人美の柔らかな掌が義月の掌を包む。母性を刺激されたらしい。
「そうだわ、この島に今日きたばかりなら、これをあげたほうがいいわね」
 人美はバッグからピルケースを取り出した。
 義月に掌を広げさせ、一粒のカプセルを置く。
「この島の風土病の予防薬よ、急いで飲んだほうがいいわ」
 義月は自分の顔が引きつるのを感じた。
 報道が正しいなら、人美は毒の入ったカプセルを患者に投与して殺人を行ったのだ。
「聞いたことがない病名でしょうけど、罪紋病というの」
 人美は、罪紋病に関して説明を始めた。

 それからの数分間で確認できたのは、彼女が医学者であることだった。
 専門的すぎて内容はさっぱり分からない。
「難しかったかしら? ごめんなさい、もう少し嚙み砕くわね」
 説明はさらに十分ほど続き、最後に義月にこんな質問をしてきた。
「分かりやすい特徴は体のどこかに刺青みたいな斑点が浮き出ることよ。この島で見たことはないかしら? ギルティタトゥーとも呼ぶのだけれど」
 ギルティタトゥー……義月の耳にも覚えのある響きだった。
「あります……狼の横顔に見える形のを」
 素直に答える。すると、人美の顔つきが変わった。
「狼? 確かに狼模様に見える罪紋病もあるわ。荒丸龍登しか私は知らないけど……」
 一度は消えかけた疑いの色が、人美の眼により深く浮き出ている。
「……キミ、あの男と会ったの?」
 またも嘘を重ねて凌がねばならならない。
「レストランで見たんです、たまたま隣の席だったので」
「そう……ならいいわ。あの男が率いている好漢団と、私が所属しているヨミ教団は長年抗争を続ける仇敵同士なの。この一帯はヨミ教団のナワバリだから、好漢団と関わりがあると勘違いされたら大変よ、気を付けてね」
 作り笑顔を浮かべながらも、人美は小さなハンドサインを作っている。
 酒場の客たちはそれに気づくと、義月に疑惑と敵意の視線を集中させた。
 ナイフを取り出し、すでに殺意を見せているものもいる。
 義月は己が剣ヶ峰に立っていることを感じた。
 今、ふるまいを一つ間違えれば殺される!
「龍登の傍にいたなら、もう感染しているかもしれない……症状が出る前に早くカプセルを飲んだほうがいいわ」
 顔から脂汗が滴る。毒薬かもしれない……だが、この薬を拒んだら……!
「そういえばファジーネーブルも飲んでくれていないわね……お近づきの印だったのに」
 カウンターに置かれたグラスはぬるくなり始めている。
「どうして飲まないの? キミ、私のこと疑ってる? 私を知らないって言ったのは嘘だったのかしら?」
 優しかった人美の口調がヒステリックな棘を帯び始めた。
 飲めば毒かもしれない。だが飲まねば、人美の仲間と思しきバーの客たちの手で……!。
 四面楚歌。義月は昼間演じた項羽と同じく、死地のただの中にいた。

しおり