第二話 呂布奉先、ローマを治める <序>
ラクレスの緑色の瞳が深さを増した。
じとり、と場が特別な空気に変わっていく。
二人が履く羊革をなめして作った靴はまるで動いていない。
しかし少しずつ2人の剣気は大きく、鋭くなり相手に向かっていく。
この微妙な 空間の歪み。武に暗い者には分かるまい。
伯は思う。大きな剣気の波は周りの物の質、量をも変える。
ラクレスの剣気は一定ではない。寄せては返す波のようである。こちらが行こうと思えば退き、逆に退こうと思えば来る。
決して相手の剣気と交わろうとはしない。その境目ぎりぎりの所で伯もまた機を伺っている。
剣気の進退に合わせ、ラクレスの存在は大きくも小さくもなる。
これを感じられない者であれば、ラクレスに一呼吸の間に打ち倒されているだろう。
今うちこめば十中十かわされる。
故に撃たない。
今うちこめば良くて相打ち。
故に動かない。
今うちこめばどうなるか。
故に動けない。
逡巡する伯をからかうように、ラクレスから発せられる剣気が突然消えた。
頭で考える前に体が勝手に反応する。
重心を前に落とし滑るようにラクレスに踏み込む。
瞬間。
ラクレスの姿は陽炎のようにゆらぎ、消えた。
足首の動きだけで伯の左方へ飛んでいる。50を過ぎたと聞く男の動きではない。
完全に間合いを外された伯は、しかしその動きに付き合うことはしなかった。
ラクレスの側面からの打ち込みを前を向いたまま弾き返す。
乾いた音が鳴るのと同時にラクレスは二度目の跳躍を行い完全に伯の後方に出た。
剣を弾き返された反動を利用した恐るべき体捌きである。
無防備な後頭部に向けラクレスは竹を割るように剣を振り下ろす。
その剣が頭部を捉えたと見えた瞬間、伯は右足を軸に反転していた。
ラクレスの剣は軸をずらした伯の頭髪をかすめ、交差するように振られた伯の剣先がラクレスの額の上でぴたりと止められた。
「お見事です。伯様」
やはり怒ったようにラクレスは言った。