第百十五話 見えない
静寂が支配する空間で、焔とハクは互いを見据えながら対峙する。その二人の勝負の行く末をコーネリアは真剣な目つきで、そして緊張しながら見守る。
(陽炎白……今のところ実力は未知数。でも、さっきの物言いからして明らかに格上なのは確かなはず。ただ……)
コーネリアは焔に目線を移し、
(この男もまた……ある意味、未知数。私たちが倒すのにありえないほど時間がかかったこいつを、あの人は一体どうやって)
コーネリアは自分たちが三人がかりで、しかもかなりの時間をかけて倒した焔をハクがどのように攻略するのか、そのことに重きを置いて観察を始めた。
だが、一向に焔とハクは動こうとはしなかった。この場合、先に仕掛けるのは焔だろう。わざわざハクが距離を開けたのは焔の加速を見越してのことだと、誰もがわかっていた。それは焔もすでにわかっていた。準備は万端だった。いつでも飛び出せる……のだが、
「あ、あの……もう始めてもいいんすか?」
この空気感を壊すのが少し後ろめたかったのか、控えめに手を上げ焔はハクに問いかける。
「いいよいいよ。始めちゃって」
まるで緊張していないようにハクがすぐに焔の問いに答える。
「あ、そうすか」
苦笑いを浮かべながら応じた焔であったが、すぐに真剣な目つきに変わる。この質問をした理由は、ハクの佇まいにあった。一応、刀を抜く準備はしていた。鞘に手をかけ反対の手で刀の柄を持つ。抜刀の構えだ。しかし、棒立ちであった。本来なら足は広げ、前傾の構えになるはず。昨日、焔はそうやって教えられた。
だが、今のハクは刀を抜く仕草は見せていても、全く戦う準備はできていない。棒立ちで脱力したような構え。それが焔には不審に見えて堪らなかった。
手加減してるなら好都合。何か裏があるなら要注意。昨日教えられた構えとはかなり違う。それは俺のことを下に見ているからなのか……それとも、何かあの構えには秘密があるからなのか。
焔は目をつむり唸り声をあげ悩んだ挙句、首を横に強く振った。
考えたってわかんねえんだ。それに、シンさんからは油断するなといつも言われているだろ。だったら、やることは変わんねえ。どうせ俺にできることはこれしかねえんだからな。
焔はグダグダ考えること止めた。深く息を吐くと、大きく息を吸い勢いそのまま果敢に飛び込む。ハクの間合いまで届くのにそう時間はかからない。疾兎暗脚と同じ効果を持つ焔の加速は相手に一瞬で距離を詰められたように錯覚させる技だ。にもかかわらず、ハクは全く構えを変えようとはしなかった。
あと一歩程度でハクの間合いに入る。焔はハクの手元に意識を置きながらも、剣を振る準備に入った。そしてついに間合いに入った。だが、ハクに動きは見れない。一瞬迷ったが、焔は前へ進みながら、剣を振り上げる。
(取った!)
コーネリアは確信した。焔の剣がハクの動きよりも先に肉体に届くことを。それは焔も同様だった。
行ける!
そう思った矢先だった。それは焔にしか感じ取ることが出来なかった。
いや、待ッ……!!
その瞬間、コーネリアは目を疑った。目を離したわけではなかった。瞬きもしていなかった。なのになぜかハクは刀を抜き、もうすでに攻撃をし終えたかのように、刀を振り上げていた。
(えっ……えっ!! 待って!? なんでハク教官はもう刀を振り上げてるの!? さっきまで棒立ちだったはずなのに!? いつ……まさか、速すぎて……見えなかった……嘘でしょ。というか焔は!?)
ある一つの信じられない結論にたどり着くや否や、コーネリアは焔に目線を移した。焔は先ほどとは少し様子が異なり、頭部を少し傾け身体も少し横に傾けていた。先ほどの焔の頭部の位置はハクが刀を振り抜いたところのちょうど軌道上に存在していた。そのため、コーネリアはハクの攻撃をもろに食らい、頭の位置がずらされたのだと認識した。
もしそれが事実だとするならば、一緒に見ていたソラも心配そうな表情になるだろう。だが、ソラの顔には一切そんな感情はなかった。そして、焔がやられたであろう姿を見て一言呟くようにこう言った。
「……流石、焔」
ハクは自身の目を疑った。そして、同時に嬉しそうにニヤリと笑った。この攻撃を受けた相手の顔はすでに目に焼き付いていた。一瞬で意識を失い白目をむいている姿だ。だが、今ハクの目の前にいる少年はそんな顔など一切していなかった。苦しい表情をしていたが、しっかりとハクを捉えていた。
取ったッ!!
首を傾け、若干体勢を崩しながらも、焔は斜めに振り上げるようにハクの脇腹めがけて得物をぶち込もうとする……のであったが、
「ウッ!?」
急に首筋にものすごい鈍痛が走る。
なん……だッ!? 一体……何……が……起こ……った。
そのまま焔は意識を失い、床に倒れ込んだ。
「焔ッ!?」
倒れた焔の元にすぐにソラは駆け寄る。だが、対照的にコーネリアはその場に立ち尽くしたまま、ただただ茫然としていた。それは焔が目にすることが出来なかったあるハクの動きを見てしまったからだった。正確な動きを全て捉えられたわけではない。だが、その全容はコーネリアでもわかった。それは最初に焔を襲ったであろう居合切り。全く見えなかったあの攻撃とほぼ同等、もしくはそれ以上の速さで刀を振り下ろし、焔の首筋に一太刀浴びせたという驚愕の光景だった。
「うっ……そ」
頭でハクの一連の動きを理解した時、思わず声が出てしまった。だが、コーネリアと同様にハクも内心かなりビックリしていた。
(……こりゃ驚いたな。思わず力入っちゃった)
「焔!」
倒れた焔を心配そうに揺さぶるソラに対し、ハクは刀を収めながら、
「大丈夫。ちょっと気絶してるだけさ。すぐ起きる」
その言葉通り焔の指がピクリと動く。
「痛ててて……」
「焔ッ!? 大丈夫?」
「なんとか……よっと」
焔はダサい姿を見せまいと、もう平気とばかりにぴょんと飛び上がる。
「おはよう、焔。よく眠れたかい?」
「ええお陰様で(この流れるような嫌味……シンさんと同じ匂いがするな)」
「まったく……あんな風に馬鹿みたいに突っ込んだらそりゃそうなるわよ」
目を覚ました焔の元にお説教じみたことを言いながらコーネリアが近づいてきた。
「馬鹿とはなんだ。俺にはあれしかねえんだよ」
「いやあるでしょ。もうちょっと様子を見てねえ」
「ならお前だったらどうするんだ? ああ!?」
突然の振りだったものだから、コーネリアは答えに詰まる。
「いや、それは……もっと様子を見て……」
「ハッ! やっぱわかんねーんじゃねえか」
「うっさい!」
「グフッ!?」
馬鹿にしたような態度にイラっと来たのか、コーネリアは焔のみぞおちに思いっきり拳を埋め込む。
「てっめえ!」
そこから行き場のない言い争いが始まる。睨みあう二人とは対照的に何とか止めようとするソラ。だが、全然止めることができずその場でおどおどし出す始末であった。
その光景を微笑みながら傍観するハク。だが、すぐにその関心は焔に向けられた。
(確かに、コーネリアが言ったことも一理ある。だが、どんな時でも、どんな相手でも自分のスタイルを一貫して押し通すやり方も決して悪いことじゃない。それにコーネリアには見えなかったかもしれないが、焔は一瞬ブレーキをかけた。本来だったら首元直撃のあのコースを一瞬加速を止め、首を傾けることでかわされた。まさに紙一重。完璧なタイミングだった。俺の腕が衰えたか? いや、それだとあまりにも焔に対して失礼だ。しかし……これで三人目か。初見でかわされたのは……)
「……クさん……ハクさん!」
ハッとすると、ハクは声がした方へ顔を向ける。
「大丈夫ですか?」
何度も名前を呼び、ようやく反応したハクを心配したのか、声をかける焔。
「ああ、ちょっと考え事してて……それより、もう話は終わったのかな?」
「はい! それよりも何なんすかあの技? 全然見えなかったんですけど」
「へえ。見えなかったのね。他のお二人さんはどうかな? 見えた?」
「いえ、全く」
「ソラも」
その言葉にハクは自分の腕が衰えたわけではないことを確信し、胸をなでおろす。そして、興味津々に自身の説明を心待ちにしている焔とコーネリアに対し、ハクは少し重圧を感じならがも、先ほどの技について話し始めた。