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【ガリーナの動揺】

【ガリーナの動揺】


 彼女は、頭からすっぽりと身体全体を隠せるようなボロ布を被っていた。


「ねぇっ!!」


 レイフはガリーナの両肩を背後から掴んだ。名前を呼ぶわけにはいかなかったのだ。がしりと両肩を掴むと、彼女は身を強張らせたが、抜け出す力がないのか自分の胸にぽすりと脱力してきた。


「大丈夫?!オレだよ、レイフ!」


 レイフ、とガリーナは言葉を口にした。小さすぎる声音は、彼女が肉体的にも精神的にも弱っていることがわかる。


「心配したんだ!すぐに帰ろう!」

「帰る···?」



 レイフはガリーナを後ろから抱きながら、アシスの軍人の目を気にし、たたんでいる途中の露店の影に隠れた。今日この後飲みに行くかー!と騒いでいる半獣達が、露店を畳むために作業をしている。


「どこに帰るの···?」


 半獣達の笑い声の中でも、ガリーナの弱々しい声は、レイフの耳に確かに届いた。

 彼女の瞳が、レイフを見上げる。


 不謹慎なことに、レイフの心臓が跳ね上がる。潤んだ瞳は弱々しく、普段冷たい棘のような美しさが崩壊している。


「か、母さんのとこだよ···!ユキも待ってるし···」

「お母さんは···」


 ガリーナは、ぽつりと涙をこぼす。涙を流す姿さえ、ガリーナは扇情的だった。彼女のおさえきれない色香を前にして、レイフはたじろぐ。


 身体が密着しており、彼女のギュッと引き締まっている臀部がレイフの腰に当たる。桜色の唇が、絶望に濡れていた。



「壊れちゃった···」

「ガリーナちゃん···」


 レイフは自身の不謹慎な期待を罰しようとした。つい胸がときめいてしまうのに、それを抑えなきゃいけないのは至難の業である。今の彼女はあまりにも扇情的で、若すぎるレイフにとっては悪い刺激でしかなかった。



「···ガリーナちゃんのせいじゃない。ねぇ、とにかく帰ろう。ここにいたら危険だ」


 露店のおかげで見えないが、アシスの軍人が近くにいるのだ。


(ときめいている場合じゃない――)


 押し付けられた臀部の感触を忘れようとしながら、レイフは何度も言い聞かせる。


「···レイフは、いつも優しいけど···」


 ガリーナが、ぽつりと言う。


「私は···、本当のお姉ちゃんじゃない···」


 ――レイフは少しの衝撃をうけた。



 ガリーナが、そんなことを自ら言ったことはなかった。自分達が血の繋がりがないことは暗黙の了解としてあったが、わざわざ口に出すことはなかった。


「ガリーナちゃん、そんなの関係ないじゃないか。オレ達は、家族だよ」


 ショックをうけているガリーナに、レイフはできるだけ優しく言った。


(オレはガリーナちゃんが好きで、家族以上に見ているけど···今そんなこと言ってもなぁ)


 その時がくるまで告白は待てと言っていた父を思い出す。

 そうだ。今は、絶対にその時ではない。


「だって···私は、アクマの子供なのよ···」 


 ガリーナが、涙を流す。レイフは言葉を失った。


「え···ま、まだ確証がないじゃないか···」

「事実だから言ってるんでしょう!?」


 突然ガリーナが叫び、レイフと向き合った。大きすぎる声音は、露店の半獣達の声を止める力を持っていた。レイフは慌ててガリーナの口を手で押さえたが、彼女の声をおさえきれなかった。


「ガリーナちゃん···!」


 声を潜めて叫ぶと、ガリーナの目はひどく虚ろであることがわかった。

 彼女は動揺し、同時に深く絶望をしていた。


「すぐ近くにアシスの軍人がいるんだよ···!大きい声出しちゃだめだ!早く帰ろう···!」

「検査でわかったのよ!私がリーシャの子供だって···!」


 ガリーナの声音はおさえていても、レイフの手から漏れ出てきた。

 検査――コナツでの検査のことだろう。レイフはこんな状態のガリーナを初めて見たため、どう抑えて良いものかわからなかった。


 普段冷静な彼女とは思えない。攻撃的で、支離滅裂だった。


 ガリーナが自分からレイフに攻撃をしたことは、今まで一度もなかった。ガリーナと喧嘩をしたこともないレイフは、どう対処して良いのかわからない。


「リーシャって···アクマの?母さんのマスターって、父さんなんじゃ···」

「違う、アクマよ。アクマのリーシャが、お母さんのマスターなのよ」


 コナツは、マスターの名前を言えないようにされていた。だからこそわからなかったが――。


「母さんが、元はアクマのゴーモだって言うのか?そんな話、聞いたこと···」

「ないわよねぇ?昨日から聞いたことない話ばかりじゃない。お母さんの話も、アクマ信仰の話も、私がアクマの子供だって話も、全部全部全部!」


 動揺しているガリーナを、レイフは心底憐れんだ。

 アクマの子供であることが、彼女にとってはそれほどのショックだったのだ。

 突然言われてもレイフだって納得がいかない。とにかくガリーナに落ち着いて欲しくて、レイフは言葉に迷っていた。


「でも証明されたわ。遺伝子は、嘘をつかないもの。私はアクマの子供で、毒婦の娘」


 遺伝子は嘘をつかない。彼女の持論だ。生物学の賞を受賞した彼女が言うのなら、間違いはないのだろうか。


 できるなら、間違っていて欲しい。


「ガリーナちゃん」

「アクマはね、大量殺人犯なのよ。テゾーロに反旗をひるがえして、身体をつかって男を誘惑して、多くの惑星も支配して···たくさんのテゾーロも殺したの。私は淫売の娘」

「···ガリーナちゃんは、娘ってだけだろ」


 レイフは怒りを含んで言ってしまった。


 ガリーナ自身がアクマな訳ではない。


 彼女が殺人を犯したわけではないし、テゾーロに反旗を翻した訳でもない。何故自らがそうであるかのように言うのか、レイフには到底理解できなかった。


 自らを貶めるように、言わないでほしかった。


「アクマの娘なだけ?どれだけレイフは優しいの?」


 馬鹿にされているような口調だった。優しいという言葉に当てはめているが、どれだけ頭が馬鹿なのか?と揶揄されているようだった。


「ガリーナちゃんは、アクマじゃない。親が殺人犯だろうと、ガリーナちゃんはガリーナちゃんだよ」


 レイフは馬鹿にされた苛立ちをおさえ、なるべく優しく言った。両肩を掴む手を、強める。

 細い身体は、軍人とは違う。彼女は人を殺すことなどできないだろう。


「私は私?···笑わせないで、レイフは何もわかってない···っ!」

「ガリーナちゃん、何を···」

「みんながみんなね、レイフみたいにおめでたくないのよ···っ!アクマの子供だとわかったら、皆に忌み嫌われる···っ!私は名前まで公表されたから、身を潜めて生きていかなきゃいけない、大学にも戻れない···っ」


 ガリーナは、息を詰まらせたように言った。


「もう···科学者として、生きていけないっ···」



 今の言葉がガリーナの、本当の絶望なのだろう。彼女は絶望の淵に追い込まれ、人の言葉をすべて拒絶している。



 もし自分がガリーナと本当の姉弟であれば、共通の悩みを分かち合えたのかもしれない。

 もう陰を生きる生活しか、今後生きることができないことを共に嘆くことができたのかもしれない。


 でも、彼女は1人きりなのだ。


 アクマの子供として1人きりで、夢を打ち砕かれたことを嘆くしかない。


(ガリーナちゃんは、子供の時からずっと科学者になりたいと言ってたのに···)


 彼女はずっと科学の道一筋だった。


(やっとムットゥル賞を受賞したのに、なかったことにされて、指名手配されて···)



 科学者の道は閉ざされた、と絶望するのは無理もない。

 アクマの子だという情報が間違いかもしれない――そんな状態は、まだガリーナに精神の余裕を与えていたのだろう。それが今や遺伝子検査によって確定してしまい、この先の未来を想像して、ガリーナは苦しんでいる。



「アクマの子供であろうと···ガリーナちゃんはガリーナちゃんだよ」



 科学者を目指せる――レイフはそう言おうと思った。彼女を抱きしめようと思った。

 だが、ガリーナの身体は強引にレイフの腕から引き離れた。


「きゃっ···!」


 ガリーナが自ら離れた訳ではない。ガリーナも、自分の体の自由を突如奪われたことに目を見開いた。


「ガリーナちゃん!」


 レイフは離れていく彼女に手を伸ばした。ガリーナも同じく手を伸ばしてくれたが、自分達の距離は遠のく。

 彼女の体には、スライムのような長い髪が絡みついていた。彼女の布きれを全て剥ぎ、長い金髪と顔を露わにさせる。


「いたいター!」


 きゃははと笑う声音に、レイフの背が凍る。

 彼女は伸縮可能な髪でガリーナの身体を引き寄せ、その手で身体ごと抱きしめた。ガリーナのふくよかな胸に顔を押し付け、んー!と嬉しそうに声をあげる。


「ガリーナ・ノルシュトレーム!手に入れター!」


 シャワナは、嬉しそうに声をあげた。


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