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 仮の改稿版を今日中に提出する必要があった俺は、表紙は一旦保留して修正を開始しようとした。

「…ん、これ改稿版じゃなくて添削版か」

 鞄から添削版を出そうとしたら改稿版が出てきた。机に放置していたほうが赤マルがついている添削版だ。

 ああ、だからあいつ嬉しそうだったのか。

 電話が鳴る。神奈月…じゃない、和田編集だ。

「はい芥川です」
「今日はサービスして添削山盛りだぞ」
「その表現でなんとも言えない気持ちになったの初めてですよ」

 和田編集は「なんだ元気ねーな」と添えてから「そういや」と続けた。

「読み切り後について訊きたいことがあったんだが今いいか?」
「なんすか?」
「神奈月遙との協力はまだ続けるか?一応、読み切りまでの話だった訳だが…【ガンッ!】…おいなんだ今の音?大丈夫か、聞いてるか!?」
「……大丈夫です、あとまだ神奈月の協力が欲しいんですけどいいですかね」
「そりゃ問題ないが、本人にも聞かねぇと…」
「分かりました、俺から訊きます。一度電話切りますね」

 電話を切った俺はもう一度机に頭を打ち付けた。

 ガンッ!

「アホか俺は…」

 完全に忘れてた。点と点が繋がる。
 神奈月のLINEに電話を入れる。すぐには出ない。

「あいつにとってこの読み切りが最初で最後だった。なのに、何が『次がある』だよ」

 不在着信。
 もう一度かける。五コール目で繋がる。

「はいどちら様ですかぁ?」

 神奈月遙の声じゃない。

「あっ俺、芥川傑人っていいます。神奈月とは…」

 俺にとって神奈月遙ってなんだ?

「……ん〜もしかして先輩さんですか?」
「えっ…まあはい多分」
「やっぱりそうでしたかぁ。申し遅れました、ハルちゃんの保護者です。あれですよねぇ、先輩さんは凄い漫画家さんで、ハルちゃんとは新作を作るために協力してもらってるんですよね」
「そうです、それで――」
「それで!今進展はどうなんですかぁ?聞いたところだと…ハルちゃん、絵のモデルとかシチュ…?…漫画の場面のアドバイスとかしてるみたいですけど、あの子そんなに経験豊富じゃないし、まあスタイルはいいですけど、ちゃんと先輩さんのお役に立ってるのか、保護者としてとても不安で…」

 な、長ぇ……。

「え、えっと…」
「あら長話しちゃってごめんなさいねぇ、なにかハルちゃんに用事?」
「あの、今神奈月さんっていらっしゃいますか?」
「あっ、もしかしてハルちゃんの心配をしてくれたんですかぁ?ありがとうございます、実はハルちゃん今日ご機嫌ななめみたいなんですよ。最近は先輩さんのおかげで凄く明るくなったのに、今日は昔みたいにまた――『おかーさん!誰から―!?』…あぁ、先輩さんからよー!」

 遠くから神奈月遙の声が届いた。
 今は手が離せないのか?

「ごめんなさい、一回離れますね」

 神奈月の母親がスマホを置いたのか、そこからの声は途切れ途切れにしか聞こえなくなってしまった。
 一分後。

「じゃあ今からハルちゃんに変わりますね」
「ありがとうございます」

 ガチャ

「あぁ先輩ですか?いま手が離せないんで、手短にお願いします」

 声以外に水が流れる音とスポンジを擦る音がした。皿洗いか…?

「さっきは済まなかった」
「……何が?ですか」

 電話からでもムスッとしているのがよく分かる。しかも「何が?」と強調してるのが怖い。
 まあ元凶は俺なのだから仕方な――

「切りますよ?」

 俺は慌てて言葉を続けた。

「お前が協力してくれる期間を忘れてたんだ。だからさっき、その事を知らないまま『次がある』とか言っちまったんだ。お前にとっては最初で最後になるかもしれないのに、何言ってるんだろうな…本当に申し訳ない。えっと、それでだな……和田編集にも確認をとって――」

 あの、と神奈月が遮る。

「な・が・いです。嫌がらせですか?」
「いやそういう訳じゃ」

 勢いで電話かけたから何も考えてないんだよ。なんて言ったらまじで切られそうなので黙っておいた。

「男ならハッキリ簡潔に言ってください!」
「わ、わかった。えーっと」
「あーもー!十秒以内!二十文字以内っ!はいどうぞ!いーち、にーい、さー…」

 おいおいおい!!
 理不尽な状況の中、不平など言う間もなく俺の脳は高速で言葉をまとめ始めた。なんだよやれば出来るじゃ――『ななー』ぎゃあああ!!もう時間がねぇ!!
 早く完成させろこのポンコツ脳みそ!!

「きゅーう、じゅ――」
「こ、これからも俺の漫画を添削してくれ!」

(二十文字以内だよな…?いやそもそも……)

 悲しいくらいに、ありきたりすぎる。伝えたいことはもっとあるだろうに…。

(漫画家志望の言葉か?…これが。)

 しばしの沈黙。
 神奈月遙は言った。

「つまり…?」
「今後も部室に来て、シチュ検証とか漫画の問題点を指摘してください…」

 自分の残念さと申し訳なさで、俺は消え入るように言った。もうやだ、来世はカタツムリになりたい…。

 ……………………………。

 ん、反応がないな。

「……神奈…月?」

 えっこれ通話切れてない?嘘だろ!?
 急いで暗転している画面をタップしたとき。

「ぷっ、あははははははははははははは!」

 神奈月遙の甲高い笑い声が部室に響き渡った。くそっ、安心して涙が出てきそうだ。

「どうせそんな事だろうと思いましたよ、先輩すっごく鈍いしw」
「す、済まない」
「いやいや全然気にしてないんで…あれ?もしかして先輩、自責の念とかで泣いてます?」
「そんなことねぇよ!」
「ま、それは置いときます」

 神奈月遙は続ける。

「いいですか先輩、私はこんなところで添削係を辞めるつもりはありません」
「おう」
「先輩がデビューするまで添削(なお)させてもらいますからね!」
「ああ、望むところだ!」
「じゃあ指切りしましょ!指を出してください!」

 俺は誰もいない部室で小指を立てた。

「立てましたか?それじゃあ行きますよ」

「「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます」」

 誰もいないはずの部室で、満面の笑みの神奈月遙が見えた気がした。

「「指切った!」」

 ポチッ

 ん、なんだ今の音。何気なくスマホを見る。

「…え」

 俺は絶句した。

 画面には神奈月遙がいた。髪は濡れており、周囲は湯気で白くくもっている。すこし目が赤いかもしれない。

 でもそこは問題じゃない。
 俺が絶句した理由は、神奈月遙が裸で湯船に浸かっているというシチュエーションだ。

 その無防備な胸を視線が吸い寄せ――あ、神奈月遙も気づいた。

「へっ……あっ、きゃぁぁぁああああああああああああああああああああああああああ!!」
「………う、うわあああああああああああああああ!!!」

 我に返った俺は、咄嗟にスマホから離れる。

(水が流れる音とスポンジを擦る音……。完全に風呂場の音じゃねーか!!)

「は、早く閉じてくださいよ!」
「何言ってんだ!寄ったら、もういっかい画面見ちゃうでしょーが!」
「私だって身体隠すので手一杯ですよ!先輩が動いてくださいよ!こ、このヘタレ!変た……あ゛っ」

 ぽちゃん………と言う音がした後、神奈月遙からの通話は無事終わった。

 ♠♡♢♣♤♥♦♧

 翌週

 俺はいつもより早く部室へ来ていた。準備に時間が必要だからだ。

 鞄からちょっとした単行本くらいの厚みになったプロット書を取り出す。
 長机に一冊ずつ並べていく。

「まあこんなもんか」

 あの日から、ほぼ徹夜で書き上げた七つのプロット。この中の一つで次の読み切りは勝負したい。

「先輩やっほー…ってなんですかコレ」
「いま頭にあるプロットを全部書き起こしてみた。神奈月、なんかいいと思ったものを選んでくれ」
「そうですね……」

 神奈月遙は一つひとつ確認した。
 それから気になるものをいくつか手に取ると、ソファに座って読み始めた。

 しばらくして。

「先輩、これがいいです」

 神奈月遙が選んだのは、本当に徹夜のダメージが最高潮だった三日目ごろに書いたものだった。

「よし、じゃあこのシナリオで描いてくるわ」
「あ、でも待ってくださいよ。このプロットのここの部分ちょっと強引すぎません?他にもこことか…そことか…改めて読んでみるとめっちゃ童貞臭いですねw」
「これお前が選んだんだよな?」

 その後も神奈月遙は、自分で選んだくせにガンガンとプロットの童貞臭い点について揚げ足を取るかのごとく指摘し続けた。

 ムカつくが全部メモを取った。

 およそ十分

「…よし、こんな感じですかね」

 神奈月遙は「はぁーいい仕事した」とでもいいたげに額を拭った。そして。

「これからも頑張っていきましょう!」

 手を差し出された。
 俺も手を出し……「M」の軌道で避けた。

「なっ…!」
「ばーか、まだ試用期間じゃボケぇ!」
「ちょ、今のは針千本案件ですよ!!!」

 桜が芽吹く頃に始まり、散る頃に変わったこの関係はもう少し続きそうだ。

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