この会社はブラックだ
「雨宮、この書類も頼む」
俺がパソコンのキーボードをカタカタとリズム良くタイピングしていると後ろから誰かに喋りかけられた。…いやこの声の主は分かっている。
「分かりました。」
そう言って数枚の紙…いや、ストレスの塊か、そんなものを受け取りデスクの端に積み重なっていた仕事の上に重ねて置いた。まだ今やってるやつも終わってないのに…だがここで断ることなど到底出来るはずがない。
「は〜」
上司が去っていったのを見計らって大きなため息をついた。この調子だと今日も会社に泊まりだな、俺は
だが大学の友達に会社の話をしたらそこにいたやつ全員が口を揃えて「それって絶対ブラックだろ」と言った。最初から違和感はあったんだよ、残業は普通だし絶対に終わらないような仕事が振られたり、他の社員の目の下にはだいたいクマがあるし、他にも数え上げたらきりがない。
こんなブラックな会社とっとと辞めてやる!と、普通の人なら思うだろう。だけど俺には出来ない。それはもう就活する気が全くないからだ。
本当は最初から会社に入社するつもりもなかったし存在すら知らなかった。俺は元々大手の面接を受ける予定だった。だがその面接に向かう途中に迷子の子供が居た。今思えばあの時が運命の分かれ道だったのか…
俺はその子のことを無視することが出来なかった。
それで面接時間を大幅に過ぎ電話をかけたらその場で不採用と告げられた。時間も守れないやつなんて会社にはいらないから当たり前だけど。まぁこれが初めてではない。俺はびっくりするほど運がない。特に大事な日に限っては特にだ。
その後やる気が全くなくなり簡単に入社できそうな会社を探して行き着いた場所がここという訳だ。
それでも一応自分の娯楽のために使うお金分の全て親に送っている。まぁどこかに出かける事なんてそうそうないし趣味に費やす時間、というか趣味もないし別になんということは無い。
一息付き仕事を再会しようとすると横から
「センパイ大変そうですね、私がキスでもして癒してあげましょうか?」
と言われた。こいつは俺の中では部長よりも厄介な相手だ。
そして俺は桜井にすごく懐かれている。理由は不明。聞いても頑なに教えようとしないし、まぁ嫌ではない。きっと学生の頃だったら絶対に惚れていたし付き合っていただろう。…だがもう社会人、特にブラック会社で働いているとそういう感情もなくなっていく。どんなに誘惑してくるような事を言われても、そんな事してる暇あるなら仕事しろ。としか思わなくなってしまっている。
呆れながら桜井の方に振り向くと唇に人差し指を当てていた。
「そんな事してる余裕あるのか?」
「私は予定通りに進んでるので今日もちゃんと家に帰れるほどに余裕がありますよ!」
「相変わらずだな、俺はこの調子じゃ今日も泊まりコースだよ」
「それじゃあ私も会社に泊まりますかね、急ぎじゃないですけどやりたいこともありますし」
「帰れるなら絶対帰った方がいいともおうけどな」
俺は別に桜井の事が嫌いという訳では無いむしろ桜井のことを買っているまである。いつもは、というか俺に対してはふざけているけど仕事は早いし何よりメンタル面がえげつない。桜井の同期は1週間で5人も辞めたからな。よく耐えていると思う。
「だって夜もずっとセンパイといられるんですよ?迫り放題じゃないですか!?」
「それ泊まる時毎回言ってるな、そもそも他の人も泊まるんだぞ?」
「他の人にバレないようにやるのがいいんじゃないですか!あ、今日はセンパイから迫ってきてもいいんですよ?」
「いや、しないし。だいたい仕事するために泊まるんだよ」
こういう所を自重してくれたら完璧だ後輩なんだけどな、ちなみに今までそんないい雰囲気になったことは無い。そもそもそんな雰囲気には絶対にしない。そんなことしてる暇がないからだ。
「ん?何だ急に」
桜井が急に俺の耳元に顔を寄て小声で
「・・・前から思ってたんですけどもしかしてセンパイって男性にしか興奮しない人ですか?」
と言ってきた。もちろん俺にそんな趣味はない
「なんでだよ」
「だって全然私、と言うか女性に対して興味無ないじゃないですか」
「いや、忙しすぎてそれどころじゃないだけだ。ちゃんと女性の方が好きだぞ?」
今、俺がもし仮に彼女ができたとしよう。だが仕事で一緒にいる時間がない。どこにも行けない。構ってあげれるほど余裕が無いの三拍子揃っている。まるで付き合ってる意味が無い。それらの理由で俺は今仕事第1で過ごしている。
「良かったです!センパイが男性しか興味なかったら私ゲームオーバーですからね!」
「いい加減仕事に戻らないと俺がゲームオーバーするから仕事に戻るぞ」
無理やり話を切り上げ再びパソコンのキーボードをカタカタと鳴らし仕事を再開する。
これが俺の日常だ。