城内、それは苦しい
ー1時間前ー
「ぶッッッッッ……はーっ!」
水の中にずっと潜り続けていたかのような、それほどの息苦しさ。
着慣れていなかった礼服が身体のサイズに合わなくなっていた……それもある。
ずっとひざまずいた状態が苦しかった……恐らくそれも。
けれど一番の原因は、生まれて初めて王と王子に謁見したから。
いざ敵の大軍を目前にした時の緊張とはわけが違う。なんといっても目の前にいるのは一国の王なのだし。自分にとっては遠目でちらりと目にする程度だった存在。死ぬまで会うことなんて無かったであろう存在。
それが今、自分が今。こんな所にいるなんて。
おまけに地平線が見えないくらいの広い部屋に、自分と王様と王子と……あとはよく分からないけどお付きの偉そうな態度してる男と、近衛兵とかその他ちらほら。
「イーグ殿」と向こうから言葉が聞こえるたび汗がとめどなく流れる。けどハンカチ忘れた。
でっかい金細工の花で彩られた勲章が胸に付けられる。けど身体がカチカチに固まって動かない。
イーグはずっと思っていた。
「早く帰りてえ」と。
ちなみに王はまだ病み上がりの身だということで、代わってエセリア王子が、彼の真の褒美である【名字】を賜ってくれることとなった。
その名前は「ハーゼンガーシュ」。
「これからは家族皆、ハーゼンガーシュ姓を名乗ってくれ。これは我が国にいにしえから伝わる言葉で、強き腕という意味だそうだ……イーグ。お前のその太く逞しき腕が我が国を救ってくれたのだ。私も誇りに思うぞ」
直後、割れんばかりの拍手がイーグを飲み込んだ。
この間イーグはずっと地面の赤い絨毯を見つめっぱなし。大量に流れ落ちた汗と、染み込んだ跡だけを。
「感謝いたします」それしか言うことができなかった。いや、それしか許されなかったのかもしれない。
そしてイーグは、部屋に入ってから出るまでの間、全く息をしていなかった。
ーこのままブッ倒れちまったらシャレになんねえだろうな。
ーここで吐いちまったら処刑されるかな。
酸欠状態の意識がぐるぐると頭の中を回り続けていた。
式が終わると、イーグは半ば逃げるかのように部屋から出て行った。
「ぶッッッッッ……はーっ!」
長距離を駆け抜けたかのような大きく早い呼吸。着ていたシャツはそれに耐えられず、止めていたボタンが一気に弾け飛んだ。
「も、もうヤダ……2度と来たくねえこんなトコ……は、早くウチに帰りてえ……」
どうせ緊縮財政のお城だ、食事するっていっても大したものでもないだろうな、なんてありもしないこの先を想像して、ガチガチに凝り固まった腰と背中を伸ばした時だった。
はらり、と頭の上から一枚の紙が。
「え……?」
アホみたいに広くて長い廊下には自分しかいない。
天井にだって……誰もいるワケがない。
「なんだ……これ?」
紙を手に取ると、心地よい花の香りがイーグの鼻をくすぐった。あまり嗅いだことがない……高貴な人が使う香水かな、と彼は直感した。
ーハーゼンガーシュ公へ。誰にも見つかることがないよう、今すぐ中庭にまでお越しくださいー
流麗な書き文字でそう書かれていた。
そして最後には、送り主の名前が。
ーエセリア=フラザント=レーヌ=ド・リオネングー
「……マジかよ……」