細胞
冷たい鉄板通路を走る五人の必死の姿が、点滅する非常灯が点くと赤く見えたり、滅すると消えたりしていた。合間合間の暗闇の中でも、もう一人のホログラム青年は、立体光線で常に鮮明な姿で、未来的な道しるべとなっていた。そして人間と違って、全力疾走しても疲れない。
その後、封鎖された隔壁にばったりすると、そこで息切れた佐野が補助AIに訊く。
「はぁはぁ、KY8000君、後何メートルですかぁ?」
「もう着いたッスヨ」
「え?」
「脱出ポッドなら直ぐこの扉の向こうッスヨ。ちょっと待って、今開けるッスカラ」
ここが船体の外郭に最も近い場所で、もう既に中心区域のシールドの有効範囲を越えていた。すると先ほど圏外であったヒロとセイジの腕輪端末が、無線ネットワークに繋がり同時に青く光って、プルプルと鳴り出す。
「あ、お母さんからです」
「父ちゃんからだ」
と二人とも家族を深く心配させていた訳である。だがミズナは患者衣のまま脳移植手術以来、端末を着け忘れていたのであった。現在では、彼女の両親は封鎖区域にいるとしか情報がない。
「ヒロ! 今すぐ居住区域へ来い! 船を出るぞ!」
と、ビデオ通話での金森さん、つまりヒロの父が、焦った声と姿であった。
「父ちゃん!」
するとKY8000がこの場と、父の居る場にも出現し、まるでAI双子が同時に割り込む。そして可笑しいことに、少しのハウリング音すら起こしてしまう。
「ダメッス」
「わっ! アンタ誰⁈ 駄目って、アンタ何様のつもりか⁈」
と、金森がびっくりしていたのだが、KY8000の次の答えで更に驚いてしまう。
「補助AI様のつもりッス。貴方は息子を殺す気か?」
「何⁈」
「居住区域に行く余裕なんてないし、到底間に合わないッスヨ。折角脱出しようとするところ、息子を無駄足させて間違いなく死ぬことになるッス」
「え⁈」
「金森さん・・・脱出し終えた後で、ポッド同士で集合すればいいじゃないッスカ~」
そこでヒロの父が最敬礼してAI青年に懇願する。
「分かった。息子のことを頼む!」
「お安い御用ッス!」
「父ちゃん、俺は大丈夫だぜ! 皆と脱出するから心配しないで!」
「・・・気を付けるんだぞ、ヒロ!」
一方、セイジも同じような会話を交わしていて、母親を安心させようとしていた。
「平気よ、お母さん。AIお兄さんがついてるし、大人もいるし、ヒロもミズナもいるよ」
「ちょっと待ちなさい。ミズナちゃんと一緒にいるの?」
「うん、そうだよ」
「・・・」
「どうしたの、お母さん?」
「彼女と替わって。大事な話があるの」
「え? うん、いいけど」
「ちょっとお待ち、セイジ」
「ん?」
「ちゃんと大人の言う事を聞くのよ、セイジ。後で脱出したら直ぐに無線で連絡しなさいよ。分かった、セイジ?」
「うん、分かった、お母さん。心配しないで」
「後で合流するのよ、セイジ!」
「うん!」
「・・・じゃ、ミズナと替わって」
「うん」
手術して以来、ミズナは端末を着けていないことにより、このままセイジの腕輪を代用してその立体画面をこちらに向かせる。それで津田さんと目が合うと・・・
「私に話しですか?」
「ええ、ミズナちゃん。大事な話があるの。落ち着いて聞いて」
「はい、話して下さい」
大体、『落ち着いて聞いて』って言われたら絶対ヤバイ話されるに決まってんじゃん。でも平気。四苦八苦した私は、よっぽどなことでなければ動じない。
「流星衝突の時ね、君の両親がね、居住区域の第四ブロックに居たの」
「はい、それは草木さんから聞きました」
ミズナの両親の話か。余り関係ないね。私はマリだもんね。
画面の向こう側の彼女がとても言い難いことを言おうとしていたのは、はっきりと伝わった。
「実はね、そこがね・・・真空状態だったのよ」
「・・・」
「ブロックごと直ぐにAIに封鎖されたの。どうしようもなかったの」
「・・・」
「ごめんね、ミズナちゃん、君の両親は・・・間に合わなかったのよ」
そこで少女がショックを受け膝を突いて、四つん這いになる。
一方セイジが確かめる。
「え⁈ お母さん、それ本当⁈」
「うん、本当よ・・・だから、ごめんねミズナちゃん、私の口からで・・・」
すると少女の息が荒くなり、見張った目から涙がポロポロ零れ落ち始める。
どうして、どうして? どうして⁇ どうしてこんな感情が襲ってくるの⁈ 私の両親ではないのに、他人なのにどうして⁈
「はぁ、ぁはっ、はぁ」
息ができない! 胸が刺さったかのようで、息がまるでできない! なんで? なんで⁈ なんでだ! 両親の死をあの日、とっくに悼んだはずなのに!
あの日とは、墨染夫婦が亡くなった、あの南海トラフ巨大地震のことを指している。
私は外で遊んでいて脚が電柱に押し潰された。父がテレワークで母は家事で、二人とも家が倒壊した時に巻き込まれた。あの日は絶対忘れない。だがあの日を充分悼んだはずだ。今泣き出す理由が見当たらない。私が悲しんでいるのは、何だ? あの日か? それとも・・・
そこで、想わぬ奇想天外の発想が浮かぶ。
おっ、もしかして! この体・・・この体が・・・体が反応しているの⁇
その時・・・
「ぅぅぅぅううううううわあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーん‼」
娘の深く、深く、はらわたから込み上げたうめき声が通路で響いた。
もしかして! み、ミズナ? ミズナなの⁇ ミズナなのか⁈
「お父さーん! お母さーん! ぅうわあああぁぁぁーん!」
おいミズナ、やめろ! こんなことをする場合じゃない! しっかりしろミズナ!
と、不思議なことに、マリは初めて自分自身の体と、ミズナと脳内対話しようとしていた。そうだ、脳移植者である墨染毬が、身体提供者である谷川ミズナを説得しようとしていた。
ミズナ、落ち着け! お願い! 私の言うことを聞いて! 後でちゃんと泣く時間をあげるから、今は脱出するだけを考えよう、ね?
すると体が反応し、ほんの少し落ち着きが戻った。もしかすると少女が経験していたのは、細胞記憶による現象なのか、それとも同じ境遇に遭った孤児同士で、ミズナと自分を重ねていたのかもしれない。だがマリには、どれもが検証する時間を与えられない仮説であった。
もう既に扉が開いた状態で、先程から補助AIが居残った子供らに呼び掛けていた。
「おい、お前ら、こっちッス! 嬢ちゃんを運んで来い!」
「はい、今行きます」
と答えるヒロが、彼女を助け起こすために仲間の手伝いを依頼する。
「おいセイジ、ミズナを支えるんだ!」
「うん!」
「おいミズナ! ここでいられないんだぜ!」
「・・・」
「ミズナ!」
「・・・」
「ミィィズナ!」