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覚醒

 脚が暖かい砂に飲み込まれ、上半身は胸元まで涼しい海水に包まれている。
 あぁ、また同じ夢だぁ。
 世界全体が海となり、唯一の陸地ならず砂州(さす)の上に座っている、あの夢。
 あぁ、なんて気持ちのいい夢。
 風が吹かない。波が立たない。雲も見当たらない。ただ静かで、静かな世界。
 砂に隠されて(みにく)い脚を見なくてもいい、忘れてもいい。
 両手を見ると、海水を貫く陽射しに明るい模様がキラキラと(てのひら)の上に描かれる。
 あぁ、このまま全部、そう、全部を忘れて何も考えたくない。
「マ・・ん」
「マリ・・」
「・・くん」
 と微かに響く女性の声が、次第に冷淡で断固とした命令口調に聞こえてくる。
「マ・・、お・・・い・」
「・・ん、お・・さ・・」
「マリ君、起きなさい!」
 そこでパッと目が開く。
 急に目覚めて目の前に現れたのは、背筋を真っ直ぐ伸ばして立っている、制服着用の四十代女性であった。ナノファイバーという超極細繊維で作られたピッタリ感のある『カササギ服』と称される白黒の制服が、長年の兵役で鍛えられた彼女の(たくま)しい体を包んでいた。
 そして周囲を見回すと、薄暗い部屋の輪郭(りんかく)が形作られていく。
「マリ君、自分が分かるか」
 あれ? 車椅子は? あれ? 脚が見えない。手は? 手はどこにある? その感覚があるのにどうして見えない⁈ 腕も胴体も私の体は、一体どこへ消えた⁇
 と少女は、いくら自分の体を確かめようとしても見えなかった。
「これから状況を説明する。君の体は預かった」
 え? この人、何を言ってる?
「手術で残っているのは君の脳だけだ」
 え‼ えええぇぇぇーっ‼
「これから、人類存続と勢力圏拡大の為、働いて貰おう。責務が伴う重大な任務だ」
 待って待って、待て待て待て待てええぇぇーっ‼
「君の人生はもう、君のものだけではない」
 一体どういう話、どういう話ぃーっ‼
 先程から女性は端的に、話の冒頭を結論と綺麗事で粗末に始めていた。そんな露骨に核心を突くような喋り方で話し掛けられたら、マリが解るはずがない。
 勢力拡大? 地球はもう窮屈過ぎて拡大の余地って無いんですけど⁈ これ以上広げようと言ったら、選択肢は一つだけなんですけど⁈
「単刀直入にいうと、この第四宇宙遠征の有人宇宙船『パピリオ』のAI、人工知能システムを努めて貰う」
 ほらやっぱり、宇宙の話だった。って‼ 何‼ AIだとおぉ⁈
「本船AIとして植民と乗組員を無事、惑星『スペス01(ゼロイチ)』に送り届けるのは、今回の任務だ。君はもう生身の人間ではない。それ位できるはずだ」
 な、何よそれ‼
「半世紀を掛けても、完全なる人工知能の開発は不可能であることを、充分判明した。何せよ脳の神経回路網は宇宙の構造と同レベルの複雑性を共有しているからだ。技術には限界というものがある。その事実を科学者たちは今でも認めたくないのが、ま、彼らの意地だ」
ちょっと待って・・・ついて行けない・・・
 と彼女は理解に苦しんでいた。
「そこでだ。多少型破りの解決策だが、人工脳を創るのではなく、『人』誰しも生まれ持った『自然脳』を使ってはどうだ。という提案が研究の過程で出された」
 まっ、待ってよ・・・
「勿論、最初の実験は失敗の連鎖だったのだが、いずれにせよ人工脳よりも自然脳で実験するほうが、コストパフォーマンスが遙かに上だという結論に、軍も民間企業も、双方が至った。何せよ地球は人口過多問題で人間の一人や二人を実験台に無理矢理乗せても誰も気にしない。圧力と口封じ、あるいは存在した事実自体を国のデータベースから削除するという、あらゆる手段を使えば問題ない」
 何てこと! 有り得ない!
「どうせこの社会には『歯車』が多過ぎる。一々潤滑するには資源が勿体ない」
 やめて・・・やめて・・・
 と、これ以上聞きたくないマリであった。もしこの場で自分の手が見えていたのなら、頭を抱えたいところであった。だが彼女はまるで暗闇の中に閉じ込められたままのようであった。
 やめて・・・本当に・・・やめてっ・・・
 少女にとっては、先程の実験といい、皮肉な発言といい、耐えられない話ばかりであった。それでも馬耳東風(ばじとうふう)に等しく、いや、それ以上に、マリの苦しむ様子自体がまるであの女性には見えていない。そのような状況で女性は話し続けた。
「それで人間の脳と上手く調和、結合する技術を改善さえすれば、世界初の『完全なるAI』を完成させることができると、我々が確信した」
 やめて! この話はやめて‼
「そして君を見つけた。健康な脳の持ち主で若い少女。しかも現在社会では未来のない障害者。その上家族のいない、君は極めて適切だった。()えて問題というのは、君の自傷行為だがな。幸い自殺願望だけはないと診断済みだ」
 やめて! お願い! やめて‼ 私はそんな精神を探るようなことの為にカウンセリングを受けたんじゃない。
「つまり君の脳を特殊な端末に移植した事によって遂に最高のAIを誕生させることができた」
 な、に、バカな・・・
「君は最先端技術で生まれたAI。もう人間ではない。それを肝に銘じること。乗組員や植民と接する時、必ずAIを演じなければならない。無論この話全てが他言無用だ」
 極めて独善的な彼女の一方通行のような話に対してマリは、もう気が狂うのではないかと、もはや頭が可笑しくなりそうであった。それでも女性は、まるで一方的なモノローグのように先程から話し続けていた。
「もし、自分の正体を明かしたら、こちらで端末の電源を切る。意味が分かるな」
 少女は答えたくなかった。話すら、したくなかった。ただ出せる限りの声で絶叫したかった。それだけであった、が・・・
 声が出ない。全く声が出ない! いくら叫ぼうと、叫び出そうとしても実際に声が出ない。
「・・・そうだった。AIが無口では困るな。今ホログラム機能を解除する」
 冷淡女性は、無造作なボタンの一押しで、少女の3D姿を部屋に立体化させる。
 すると・・・
「おっ!」
 と身体が現れて思わず声を上げてしまうマリであった。
 その同時に視点も変わり、視界も更に広がった驚きで、彼女は目を見張る。出現した途端、少女は真っ白な姿で、宙に浮かんだ状態から、羽のように軽くゆっくりと、おもむろに鉄板に着地する。その身なりは、肘よりも長く七分袖と、膝よりも長く七分丈の、体を優しく包んだ一枚布で織成(おりな)された神秘的な服装であった。
 空想立体でも、重力の影響でそのナチュラルボブ、髪の乱れ舞う様子までシミュレーションされていた。それだけホログラムが現実味やリアル感を発揮していた。
「あっ、声が出る!」
 要するにマリは今まで、心の声を脳内で喋らせて、女性には一言すら聞こえていなかった。だがその代わりに、端末で少女の反応や感情が、心電図と様々なグラフの起伏を確認しながら女性に伝わっていた。それで、声を取り戻した彼女は叫び出す。
「ぅぅううオイっ‼ お前は何バカな話してんの‼ 私の許可なしで手術を・・・」
 純白な身なりでも少女は、見掛けよらず純真ではなく、我を忘れるくらい怒りに溺れていた。だがそこで女性は端末の電源ボタンの上に手を伸ばし、彼女を黙らせる。
「・・・」
「意味が、分かるな?」
「・・・・・・・・・・・はい」
「ほーら、自殺する勇気は、やはり無いな」
 女性は少し単調で厳しい口調を使いつつ、きつい言葉を投げ掛けた。一方、少女は唇を強く噛んでバーチャルな血一滴をこぼした。それを見て女性は口元に微笑を浮かべる。
「自己紹介はまだだったな。私は近衛京子(このえキヨウコ)、この船の船長だ」
「わ、私は・・・」
墨染毬(すみぞめマリ)。知っている」
 と刺々しく遮った。
「・・・」
「君の名はそのまま残して置いたから『AI(マリ)』として他人を振る舞う必要はない。むしろ、人間の表情や感情を上手く模写できる洗練されたAIだと乗組員に伝えている。分かったか」
「あ・・・はい・・・」
「よし。そして、もし船長である私に何か起きれば、君の電源が自動的かつ即座に切断されるようにプログラムしてあるので、変な気を起こさないように心掛けること。返事は?」
「は、はい・・・わ、分かりましたぁ・・・船長」
「では、君を本船のメインフレームに接続する」
 そこで近衛船長はある端末にコマンドを入力する。
 すると・・・
「ぅぅぅぅぅうううううおおおおおおおおおーっ‼ 何これ、何か来る! 感じる、感じる、船が、船が感じるううううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーっ‼」
 少女の派手に興奮した様子を、まるで無関心かと思える位の涼しい顔で、船長が見ていた。恐らく前の数々の実験で、そのようなものを既に目撃したかもしれない。
 そして船長が指示を出す。
「試してみよう。この部屋の照明を明るくしてみなさい」
「あ、はい・・・やってみます」
 すると、今まで薄暗い輪郭としか見えなかった部屋が、突然に目の前で明るく広がった。
「よし、ちゃんと接続してるな。ここは本船パピリオの中心区域『AI毬』サーバー管理室だ。元々『自然AI』である君にはサーバーが不要なのだが、ま、君の計算力が高まるでしょう」
 視界が広がったと同時に更に部屋の奥には、何と空中に浮遊している真っ黒な球体が見えた。そしてまるで卵形の揺り籠という形状の、特殊な粘膜のようなものが、漆黒球体を包んでいた。
「これは何ですか」
 とバーチャルな手で指差すと・・・
「・・・気付いてないのか。この球体は毬、君自身だ。正確には君の脳と融合した端末だ」
「な、なんてこと!」
「ではマリ君、この船を君の管理下に置く。くれぐれも失敗のないように。いつでも君の電源を遮断できることを忘れないでいて欲しい」
 脅し文句を並べて船長が部屋を出た。その途端、立体化したマリのホログラムが、情報量とショックの余り、尻餅をつく。そして視線を脚に向けると・・・
「っは、っは、ははっ、3Dの私はちゃんとした脚が付いてるのか、ははぁ・・・」
 彼女は硬い表情で苦笑いする。
 その後、体を丸め膝を抱えて、少女は胎児のような寝姿で目を開けたまま深い沈黙を続けた。まさか目の前の球体が移植された自分の脳、唯一残された本体、自身そのものだなんて・・・

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