プリンなんて願いはやめたほうがいい
「クレープの美味しいところ知ってるから案内するよ。正月でも空いている」
「え。ありがとう」
冷えたコーヒーをそれ以上飲む気になれなくて、私たちはお店をでた。
そうして次にむかったのが、山下くんのおすすめの店だ。
元旦なのに空いているらしい。
オックスはニヤニヤしながら、私の隣を歩いていて不気味だ。
「え?閉まってる?」
「開いてる。いや、開けるから」
お店の裏は普通の家になっていて、彼はそこでインターフォンを押す。
「橋本タイチ。あけましておめでとう!起きてるんだろう。特性クレープを二つ頼むな!」
「え?ちょっと待って、起したらだめでしょう!いらないか」
「おお、カノタか。ちょっと待ってろよ。店開けるから」
ええ?そんなのり??怒らないの?
っていうか電話しようよ。その前に。
私の心のツッコミは表に出ることはなく、店の窓が開いて、マスクをつけた男が顔を覗かせた。
「あ!井田野じゃん。あけましておめでとう!なんだ、カノタ。デートかよ。お前もやるな」
「違うから!」
私と山下くんの声が揃ってしまって、それがますます誤解を生んだようだ。
いや、違う。
っていうかこの人……。
ああ、橋本くんか。髪色が黒色になってるし、なんか印象が違う。
「はい。特性クレープ二つ。お代はお年玉だよー」
「ありがとうな。さすが、妻子持ちは違うな」
「妻子持ち?!」
「ああ、知らなかったっけ。こいつ去年授かり婚したんだ。コロナ禍で凄いよな。いや、コロナ禍だからな」
「うっさいな。じゃあ、俺はまた寝るから。またなー」
橋本くんは窓を閉めてしまい、それっきり。
山下くんがクレープを一つくれた。
「特性って言っても普通のチョコバナナなんだけど。美味しいんだ。オックスも食べれたらよかったんだけどな」
「ああ、構わんぞ。これがクレープという食べ物か。なるほどな」
背景と化していたオックスが私と彼の手元をじっと見つめている。
「井田野、あっちに椅子がある。座ろうぜ」
「うん」
流されっぱなしの私は、これまた彼の案内で街路樹の傍の椅子に座ってクレープを食べることになった。
「美味しい」
「そうだろう。あいつがクレープかって思ったけど、人間やればやるもんだな」
山下くんは子どもみたいにクリームを口いっぱいにつけて食べているので、思わず鞄からテッシュを出して渡す。マスクは外して腕に巻きつけている。マスクをずらして食べると、マスクまで生クリームがつきそうくらいだったので、外すことにしたのだ。
クレープにはチョコレートと生クリームがたっぷり入っている。
バナナは完熟まで少し早い感じで硬めで、ちょっとだけ酸っぱ味がある。でもそれが、甘々のクリームたちに対抗していて、クレープ自体がくどく感じなかった。
「ありがとう」
「別に」
テッシュで口元を拭いて、山下くんは再びクレープにかじりついた。また汚れたの思わず、反射的に別のテッシュで口元を拭ってしまった。
「ごめん」
「あ、こっちこと勝手にごめん」
山下くんの顔が赤くなって、私まで恥ずかしくなってしまった。
だって、子供みたいだったし、ほら、牛乳飲んで口の周りが白くなっていたら拭いたくなるでしょうか?あれ?ならない?
私だけなんだろうか。
そんなこと思いながらも、誤魔化すように私もクレープにかじりつく。
「二人とも口の周りがまっしろだ」
なんか、うっかり忘れていたけど、オックスが私たちの前に立って笑い出した。
慌てて拭こうとすると今度は山下くんがポケットからハンカチを取り出して拭いてくれる。
「ハンカチが。洗って返すから」
「大丈夫だって」
そう言われたけど、生クリームとチョコでハンカチはすっかり汚れてしまっていた。
「じゃあ、なんか悪いな」
「ううん。私がうっかりしてたから」
山下くんのことは言えないな。私も子供みたいに食べてた。
「なんだか、そうしていると、恋人同士みたいだぞ」
オックスが茶化すようにそう言って、とたん意識をしてしまった。
でも高校時代のクラスの女子の視線を思い出して、気持ちが冷えた。
あの時、本当は私。期待してたんだろうな。
話しかけられて、ボッチの私が可哀そうで話しかけてきただけなのに。
「ちょっとクレープ、甘すぎた?」
「いや、そんなことないよ」
あの時のことを思い出して、食べるのを忘れていたら、物凄い近くに彼の顔があってびっくりした。
「美味しいよ」
「ならいいけど」
山下くんはほっとしたように笑う。
本当、軽いノリだよねぇ。
その後も、山下くんの案内で、色んな所に行った。どれもオックスとの思い出のようで、二人は楽しそうに話していた。もちろん、彼がおかしな人に見られないように私が中に入ってフォローはしたけど。
元旦だけど、やはり街には人がいて、マスクをつけて公園で遊ぶ子供や、ショッピングセンターに出かける人たちを見た。
1年前までは、マスクといえば使い捨ての白や青色が主流だったけど、今は色とりどりの布マスクの姿も見る。可愛い柄もあるけど、やっぱり異様な感じがした。
それはオックスも感じたみたいで、なんどもコロナの事を山下くんや私に聞いていた。
オックスは所謂人外、神ではないけど、属するもの。だからどうにかならないのかと山下くんが聞いていたけど、彼には何もできないということだった。
「なんとも、悲しいものだな」
どこに行ってもマスクを着けている人ばかり。
しかもソーシャルディスタンスと言われていて、並ばなくていい場所でも並ぶ必要がある。
結局、今日1日付き合いってことになっていたけど、私は早々に山下くんと分かれ、家に戻った。その代わり明日お昼を一緒に食べる約束をした。プリンはその後に買うことにした。
「じゃあ、また明日」
山下くんに手を振って、オックスが家に瞬間移動で連れて帰ってきてくれた。
「あ、あんた。どこ行っていたの?っていうかいつ戻ってきたの?」
玄関から家に上がり、自室に行こうとしたらびっくりした顔の母に呼び止めらた。
そうだよね。玄関の中に飛んだので、玄関の扉が開く音すらしてない。
「さっきだよ。さっき」
「あ、お客さんがきてね。プリンの箱詰めをもらったわ。ちょっと高そうなプリンよ。お母さん一つ食べちゃった。物凄く、」
「プリン?」
「どうしたの?あんたの大好物で、そのために今日は買い物に行ったんでしょう?」
プリンが、ある。
プリン。これで私の願いは叶った。
隣を見ると、オックスの姿が消えていて、床に小さなキーホルダーが落ちていた。
「そんな、突然。なんで」
「どうしたの?」
私はキーホルダーを拾うと母の言葉を無視して、自室に籠った。
「オックス、オックス!」
キーホルダーに呼びかけてみたけど、反応ななくて、冷たい木彫りの牛の人形のままだった。
明日会う予定の山下くんにどういっていいか、待ち合わせ場所に行かないというわけにもいかず、お 互いの連絡先も交換していなかったので、翌日私はその場所にキーホルダーを持って向かった。
待ち合わせは昨日のファミレス。
オックスに瞬間移動してもらえればいいと思っていたから、住所を調べるのを忘れていたけど、スマホで調べたらすぐに出てきてよかった。
気が向かないけど、約束は約束だ。
だから、バスに乗って花谷街で降りて、ファミレスに向かった。
山下くんはすでに来ていたけど、私の隣にオックスの姿に見えないのに愕然としていた。
「ごめん。まさか、母がプリンをもらうなんて思わなくて」
「いいよ。謝らなくても。昨日会えたのが奇跡だったんだから。俺の時もそうだったんだん。お駄賃として千円もらったら、急に消えてしまった。オックスから前にキーホルダーになったら、神社に奉納するように言われていたから、泣く泣く神社に持って行ったんだ」
「……もし神社に返さないとどうなるの?」
「多分、12年後に人の姿に戻れないんじゃないかな」
「だったら戻した方がいいよね」
「俺も一緒にいっていい?」
「いいけど」
私たちは、二人で神社に行って、神主さんにキーホルダーを返す。
巫女さんに話をしたら、神主さんを連れてきてくれた。
もちろん、オックスの事は話していない。
「お久しぶりです」
「ああ、君は。12年ぶりだね。そうか、また」
神主さんは60歳くらいの白髪の男性で、山下くんに笑いかける。
「願いは叶ったのだろう。浮かない顔をしているね」
彼は私の顔を見て聞いてきた。
浮かないっていうか、腑に落ちないというか、ごめんなさいというか、複雑な気持ちだった。
「変なことを願ってしまって、後悔してます。もっと重要な願いにしておけばよかったです」
プリンなんて、いつでも手に入るのに。
もっと大きなことを願うべきだった。
面倒だって思ったから、研究者なんてものじゃなくても、もっとちゃんとした願いにすればよかった。
私の隣の山下くんは黙ったままだ。
「まあ、いいんじゃないかな。俺は今回オックスに感謝してるよ」
神主さんに見送られ、境内を後にしながら、彼が笑いかける。
「井田野」
立ち止まると、彼は私の手を掴んだ。
「今日だけじゃなくて、暇だったら、また俺と会ってくれる?しばらく家にいるんだろう?」
「う、うん」
「じゃ。連絡先教えて」
山下くんと私は連絡先を交換して、たまに会うことになった。
今年も、コロナは猛威を振りそうで、街にはマスクをつけた人が溢れている。
だけど、今年は少し何かいいことがあるかもしれない。
就職先は、病院の受付にした。
外国語も必要みたいですぐに採用してくれた。研究者にはなれないけど、自分が少しでもできることをしようかなと思っている。
病院で働くことにしたと言ったら、山下くんはとてもうれしそうに喜んだ。
それだけでもなんだかいい事した気になる。
現金だけど。
多分、今年はいい年になる。
そう思わないとやっていけない。
12年後、オックスに会う事があったら、お礼を言いたい。そして、プリンなんて願いはやめたほうがいいと、オックスを呼び出した人に言いたい。
プリンはとってもおいしかったけどね。
(おしまい)