その3
「兄王、エイセルが結婚相手に選んだのは、私たち、獣人の女性だったのです……」
ルースの声がわずかに重くなった。
しかし俺はそれが疑問に思えた。いわゆる父ちゃんと母ちゃんだろ? 相手が俺らと同じ獣人ってだけであって。
「当然ながら弟のリューセル王子は大反対しました。父親である現王スラルドも最初は難色を示していましたが……」
ルースの熱弁をさえぎって、俺は聞いてみた。どうして反対なのかを。
え、あ……その。と、今度はルースの白い頬がみるみるうちに真っ赤になる、なに考えてんだコイツ。
「あの、ですね……ラッシュさん。あなたは、その……まだ、そういうのを知らなかった、の、で、す、か……」今度はうーんうーんと悩み始めた。
「ル……ルースさぁ、祖とする神様が僕らと違うから、人との間には子供ができないって言えばいいんだよ」
聞き覚えのあるいつもの口調が裏口から入ってきた。トガリだ。あいつもう仕事終わったのか。
ナイス! とルースはすかさず親指を立てた。でも相変わらず、祖と言われても俺はなんかピンとこないが。
「そそそうです! 我々を作った神様が人間と違うのですよ! なのでどんなに頑張っても王子と獣人の姫との間には子供ができないんです。それに……」
ルースは胸の前で拳をぎゅっと握りしめた。「我々と人間との間にある差別という溝……わかりますよね、ラッシュさん。あなたなら」
ああ分かる。毛むくじゃらだの怪物だの戦場じゃいい言われようだったな。
「エイセル王子は、獣人である彼女との……ディナレとの結婚を通じ、リオネング国の更なる発展と平和を望もうとしていたのです」
あ、ディナレっていうのは王子の結婚相手の名前ですねと補足して、またルースの熱のこもった語りが再開した。
「溝は獣人とだけでなく、兄弟の王子との間にも出来てしまいました。あんなに仲が良かった二人でさえも、です……。獣人の女と結婚するなんて、エイセルは頭がどうかしてるとまでささやかれる始末。それを危惧した父であるゴド王は、ディナレ姫を交えた夕食会でこの愚かないさかいに終止符を打とうとしたのです……誰だって争いなんてしたくない。ましてや兄弟の喧嘩なんてもってのほか。最善の策は、リューセルを次の王とし、エイセルには他国から養子をもらって、ディナレと二人で弟王を陰から支えてくれれば……と」
白い拳が小刻みに震える。
「王は夕食会での演説のさなか、突然倒れ、そのまま息を引き取りました……何者かが酒に盛った毒で。犯人はエイセル派かリューセル派かは未だに分かりません。でもこの暗殺事件により。兄弟の対立……いや、リオネング国を二分する永い戦いが始まったといえるでしょう」
なるほど、俺のしていた戦争っていうのはそういう発端だったのか……他愛もない兄弟喧嘩がここまで拡大していったのか、と。
「憎しみはもはや留まることを知りません。リューセル王を筆頭に獣人排斥派を含む西リオネングと、分裂したエイセル王の東リオネングとの戦争は、旧リオネング王国の軍部をほぼ掌握していた西側が、当初圧倒的優位にみえました……が、この事態を憂いたディナレ姫は……姫は」
ルースの長い溜息が、静かな食堂に響いた。
「自らの美しい顔に短剣で傷を刻み、そのまま崖に身を投げたのです」
「え、ルースの方ではそう習ったんだ。僕のとこでは、顔を焼いて教会に入ったって習ったよ」
「そっか、トガリのいるアラハスではそういう伝承なんだね……確かに彼女のやった行為についてはいろいろ諸説がある。実は命を取り留めていたとか、燃え盛る炎に自ら入っていったとか。けどただ一つだけ言えることは……そう、顔に傷をつけたってこと」
2人の会話を聞いてて俺の鼻面の傷跡が急にむず痒くなってきた。
しかしなんでわざわざ傷をつけたりするかね? そこをルースに聞いてみた。
「お忍びで街へ繰り出したエイセル王子が、街で花を売っていたをしていた彼女に一目ぼれをしてしまったと聞いています。彼女は遠く離れた寒村に住む少数部族である狼族だったとかで……」
「狼族?」「ええ、ラッシュさんと祖先を同じとする、ピンと通った鼻筋と耳が特徴的な種です」
なるほど、ディナレってやつは俺と同じ顔だったってワケか。
「ディナレは、自身にすべての罪があると信じ、そして誰にも二目と見られないように、顔に傷をつけたのでしょう……」
「それが狼聖母ディナレいう伝説になったんだ。ラッシュがいつか字がきちんと読めるようになったら、図書館とか各地の教会とかで調べてみるといいよ、面白いから」
いや、めんどくさそうだしそういうのは性に合わねえ。身体がなまっちまう。
でも、俺にそっくりの姫さんか……まあこの世にはもういないとはいえ、どんなもんだかっていうのは見てみたい気がしないでもない。
「ディナレ姫の……彼女のその身を挺した行為は、もはや生きる希望をあきらめかけていた東リオネングの民たち、そして虐げられていた獣人たちをみるみる奮い立たせました。その頃、東リオネング国内でも人間と獣人の内紛があちこちで起きていたそうです。お前たち獣人のせいでこんな戦いが起きたんだ……って。その内紛で獣人たちはかなりの命を落としたという話です」
今も昔も差別の根っこは変わらねえってことか
「東リオネングの民は今までの行為を恥じ、手を取り西の軍勢に立ち向かいました。もとより肉体的に秀でた我々獣人です、戦局はだんだんと……劣勢から拮抗へと変わっていきました」
ルースはさっき書いていたリオネングの地図にどんどんと矢印を書き足していった。
「追われていった西リオネングはついに独立宣言をし、オコニド国と名を変え、更なる抵抗をし続けていったのです。国名が変わったのは……親方が現役バリバリのころくらいでしょうかね。隣接するリンザット、マシューネといった小国から、金を稼ぎに傭兵稼業が続々集結していったのがこの頃だとか。何せ軍部がそのまま独立国となったオコニドですし、小さいながらも戦力に関しては獣人を含む新生リオネング国を軽く凌駕していましたし。気を抜けばすぐオコニドに敗北を喫する……そんな危惧ゆえに、各国に傭兵を募ったのです」
親方の名がルースの口から出て、俺はちょっとうれしくなった。そっか、親方も傭兵から名を挙げていったんだったっけな。
岩砕きのガンデ……そう、尊敬する親方の二つ名だ。
「そこからまた終わりの見えない戦争は続いていき、オコニド国はついに、隣国のマシャンバル神国に助けを求め、同盟を結んだそうです」
また初めて聞く名だ。舌を噛みそうな変な名前だし。
「神国……国王を神様と讃えている国のことを言います。けど、マシャンバルについては今でも謎が多い国なんですよ……その、神と言われている王ですら全く姿を現すことなく、何百年も同じ姿のまま君臨しているという話ですし」
リオネング国の左下の大きな空欄……それがマシャンバルだと、ルースは付け加えた。
「僕ら獣人を含むリオネング国の誰すら、この国へ行ったこともないのです。ある意味同盟を結べたオコニドは奇跡といってもおかしくないくらい、徹底した鎖国政策で通してきた……そう、マシャンバルはいわゆる暗黒の国なのです」
ルースの口調に、また一段と熱がこもりはじめてきた。
「そんなマシャンバル神国に、オコニドの連中がどうやって接触できたかは、神国の国内情勢同様今でも謎です。そもそも我が新生リオネングとオコニドもにらみ合い状態が続いてましたからね……」
トガリが深煎りコーヒーを持って俺の隣に座ってきた。こいつの淹れるコーヒーも結構好きだ。周りからは泥水味だと言われてはいるが。
「そうだ、僕がアラハスにいたとき、一度だけマシャンバルのお客さんが香料たくさん買いに来たことがあったよ」
「え、本当かいトガリ⁉」ルースがどんな感じだったと詰め寄ってきた。こいつがここまで驚くくらいだ。相当希少な連中っぽいな。
「3人だったかな。全員おそろいの濃紺のローブ着ててさ、顔にも手にも刺青がびっしり描いてあって、必要最低限のことしかしゃべらなかったよ。あ、そうそう」
モグラ族の長い爪に合わせて作られた、持ち手が不釣り合いに大きな専用のコーヒーカップで一口。トガリは続けた。
「買いに来た一人以外は一切話すことなかったね。っていうか暑い中何時間も立ってて、ぴくりとも動かなくってほんと不気味だった」
「で? で? なに買ってたのさあいつら! 教えてくれ!」白い顔がぐいぐいとトガリの顔に接近する。
なんなんだルース。マシャンバルにでも興味あんのか? ……が、幸いにもルースのヤバさに気付いたのか「後で話すね」と、うまいこと切り替えしてくれた……俺の授業のこと忘れるくらいだ。よっぽどその暗黒の国になにかあるんだな。
「コホン。失礼しました……私、いろいろと他国の研究もしているもので」
と言ってトガリの深煎り泥水コーヒーを一口すする。案の定ルースの顔がみるみるうちに曇ってきた。
「え、っと……ごふっ、そこからが不可解だったんです。ちょうど昨年でしたか。突如としてオコニドの使節団がここに現れまして、これまた突然、リオネングに和平を申し入れてきたんです」
「ちょうど親方が亡くなる前……か。周りのギルド連中も話してたしな」俺の言葉に、ルースはうんうんとうなづいた。
「我々リオネングも何十年と続く先の見えない戦争に疲弊してましたからね……ある意味願ってもない僥倖だったのでしょう。すぐに調印式が始まりました。とはいえまだまだそれに納得しないオコニドの残党も数多く存在してるって話も、ちらほら聞いてます」
けれども、平和が戻ってきたことには違いない……と結び、これで終わりますね、とルースは黒革の本をばたりと閉じた。
ルース曰く、俺向けに結構細かいとこを端折ったとは言ってるが、今まで親方に全く教えてもらわなかったものだし、それなりに勉強にはなった……と思う。俺としては。まあ明日には忘れてしまうかもしれないが。
ふと外を見ると、陽が傾きかけてきた。そろそろチビを戻してこなきゃな、と思い、俺は家を出た。
つーか、ルースの授業、結構長かったんだな……
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窓の向こう、まるで親子のようにラッシュとチビが話している。
ルースはそんな仲むつまじい姿を見つめつつ、テーブルの片づけをしているトガリへと、ポツリとつぶやいた。
「トガリ、マシャンバルの連中の事、あとでゆっくり教えてもらえないか?」
「え、うん……そうだね。けど一体なんでそんなマシャンバルのことにこだわるのさ?」
ルースはだれにも口外しないでと一言、そしてささやくように言葉を紡いだ。
「国境付近でいろいろ聞きまわったんだ。オコニドはマシャンバルと同盟を結んだんじゃない……」
「ど、同盟じゃない……? それってどういう意味?」
見上げた空に、ふと黒い雲が差し掛かった。
「オコニドは『消された』んだ……マシャンバルに」
突風が吹き付け、窓がビリビリと大きく鳴った。
「まだ終わらないよ……ううん、これからもっとひどくなるかもしれない。天気も……」
見上げた空はあっという間に黒く染まっていた。これからさらに荒れるだろう。
「そして、この世界もね……」