バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

潤子(うるこ)の住んでる街に向かう

朝の五時に目が覚めて窓のブラインドをあげると新聞配達の男性がちょうど私が住んでいる二階の階段を上がってきた。配達員と目があって思わずお辞儀をしてしまった。なんたること。まだ高校生くらいの年頃だ。まだ若くこんな朝早くから働いているなんてほんと関心だ。私が高校生だった頃、いつもできるだけ遅くまで布団にもぐり込んでいて、母からの呼び掛けがない限り決して起きなかった。そのことを思い出して、久しぶりに高校時代を思い返したのだった。ああ、懐かしい。青春の思い出、今ではお互いに疎遠になってしまったけど、今頃クラスメイトはどうしているのだろうか。タブレットを手に取り、インターネットにアクセスして天気予報を調べてみた。今日は快晴だ。気温も二十五度と、とても過ごしやすい。早めの朝食を用意する。主食はバニラアイスクリーム、それからヨーグルト。卵を二つ使いスクランブルエッグを作る。ソースはケチャップとマヨネーズのオーロラソース。最近いつも同じような献立だ。ほとんど炭水化物はバニラアイスクリームと決まっている。そのせいかどうかはわからないけど、体重は四十四キロ付近をキープしている。体も軽いし運動もたまの散歩をするくらいだ。自転車で池袋まで走ることもある。正直、東京都内なら自転車で何処へでも行けると思っている。唯一通勤に電車を利用するくらいだ。それ以外電車には乗らない。いつも休日は自転車で何処へでも移動する。でも今日は特別な日だ。潤子(うるこ)に呼ばれて横須賀まで行く。
食事を終えて、音楽を聴く。最近目覚めたのがクラシック音楽だ。以前全くと言っていいほどクラシックには疎かった。その良さというものがわからなかった。でも最近になってなぜだか、冷たい水を求めるように、喉の渇きを癒すかのようにその音楽を浴びるほど聴いている。今度ぜひとも生の演奏を聴いてみたいものだ。コーヒーを飲みながら心に安らぎを、そして貴重な休日を過ごす。たとえばモーツァルトの生きていた時代、どのくらいの人たちが彼の音楽を聴くことができたのだろう。たぶん、貴族だとか地位や資産をたくさん持っていた人たちにしか聴く機会がなかったのかもしれない。一般庶民にはその音楽を耳にすることなんてできなかったのかも。そう思うと、今の時代の私たちは恵まれている。様々な電子機器に囲まれてそれらを駆使して世界中の人たちと交流をもつことができている。それは本当に素晴らしいことだと思うけど、そこに落とし穴が無いとは言いきれない。それに伴ってその部分に社会の歪みが現れている。お互いの距離が縮むといった現象はあるのかもしれないけど、容易に、そして手軽に犯罪に利用されるということもあり得る。私も気をつけなければ。七時まで、作家からメールで送られてきた作品を添削して、それから潤子(うるこ)の自費出版した小説を再読する。読むたびに新しい部分が見えてくる。彼女の感性の鋭さが現れている文章だ。このまま成長して、文体にも磨きがかかれば、多くの読者を惹き付けることができるだろう。さすがに自分の小説を本として作り上げただけはある。中学生作家としてデビューすれば話題にあがるだろう。しかもこれだけのモデルなみの美しさがあればマスコミはわんさかと集まってくるだろう。潤子の家にも人々が群れをなして押し寄せる。彼女の実家のアップルパイは飛ぶように売れるだろう。でも不安要素も無いわけではない。きっと彼女目当てのストーカーがたくさん現れるということも予想できる。ファンの行きすぎた行動がきっと彼女の生活にも影響することだろう。潤子はそれに耐えることができるだろうか。たぶん、一生にわたり人々の注目を浴びながら生きていくことに難しさを感じるかもしれない。芸能人のように、いつも世間から見られることに戸惑いを抱くことはないだろうか。有名になる以前には自由にどこでも人目を気にせずに歩いていたのに、もうそれはできないことに絶望というか、自分の心が引き裂かれるような痛みを経験することがこれから先、あるのではないか。そう思うと彼女の未来を私が簡単に、作家として容易に選択することがあってもいいのだろうか。そう考えると慎重に考えなければいけない。彼女を守ること、それが私の使命でもある。そんな気がした。これはとても重大なことだ。でもまあ、今の段階では彼女のデビューが決まったわけではない。これから先、出版社で策を練って仲間と話し合うことが必要になってはくるだろうが、あまり悲壮な気持ちをもつことはない。作家のなかには覆面作家として世に出ている人も少なくはない。しかし最後の決定権は潤子にある。そのことは追々話し合うことにしよう。
さあ、潤子の住む横須賀に行こう。私はアパートを出て、駅へと向かう。微かな暖かい風が顔を撫でる。そして回りはコンクリートやアスファルトで固められているのに、草の葉の匂いが感じられて、とても心を落ち着かせてくれる。こんな都会でも、人々の情感を歓喜させる記憶に残る美しい雰囲気を尚、持続させるものがあるのだ。私は誰からも笑わされていないのに、微笑を浮かべた。ここ数週間でもとびっきりの笑顔だと思う。国道沿いの歩道を歩いていて、たくさんの車が走っていたけど、運転している人の心の動きを感じることはできない。一台の赤いフェラーリが私の横を走っていった。たぶん数千万円はするスポーツカーだ。運転席にはサングラスをかけた五十代くらいの女性が乗っていた。でもその人はとても幸せそうには思えなかった。なにか不満があるように唇を固く結んでいるようだった。そしてそのフェラーリの後ろを走っていた軽自動車、おそらく中古でだいぶガタがきているように見られる車には運転席の男性と助手席の女性が楽しそうに会話をしていた。とても幸せそうだった。その光景を見て、私も嬉しかった。きっとお金をたくさんもっていても幸福ではない人がいて、貧乏でも幸せでいる人だっているのだろう。そう実感をした。でもやっぱりお金はたくさん欲しいな。きっとその願いは叶わないだろうけど。今私はなに不自由なく生きているし、不安要素も全くない。それで十分ではないか。大好きな小説を作るという仕事に携わっている。様々な作家たちと出会いお互いの理想や夢を話ながら成長を遂げている。なんて幸福なんだろう。こんなにも自慢できるほどの仕事をしているなんて、私は恵まれている。
駅に着いてホームで待っていると、まだ小さい男の子が母の手を握りながら一生懸命に話していた。母親は、うん、うん、とうなずきながらにこやかに笑っている。たぶん私とそう年齢に違いはなさそうだった。私にも別の生き方があったのだろうか。愛する人を見つけて、結婚して子供をもうける。そんな生活を送る可能性もなきにしもあらずだ。でもなあ、私の職場には心をときめかせる男性がいない。正直、このまま三十路に突入する可能性大だ。男の子は私の視線を感じたのか、右手を振って、バイバイ、と言った。私も手をあげてバイバイと言い返した。母親もにっこり笑って軽くお辞儀をした。
電車が来て乗り込むと、座席は空いていて座ることができた。軽やかな線路を駆ける音がして景色は流れてゆく。座席に座っている人の大半はスマホを見つめながら時間を潰していた。私は失礼にならないくらいに周りの人たちを眺めていた。若い人からお年寄りまで、他人ではあったけど、元を辿れば同じ親類に巡り着く。それを知っている人はどのくらいいるだろうか。人類みな兄弟。そんな言葉が浮かんできた。それにしてもみんな顔の形、目や鼻や口がこんなにも違う。動物ではありないことだ。人間だけが特別に造られている。思ってみれば凄いことだ。昔、海のなかで単細胞という微小な形態から、進化してここまで到達したのだという。私たちは生きていることに対して、ごく当たり前に、生きていることを当然のこととしている。しかし、それは奇跡としか言い様のない出来事であるのだ。私たちが生まれる前、父親の精子と母親の卵子が出会う。数億の精子の中から私たちは生き残って受精したのだ。これはとても壮大なことで、今生きていることを大切にしたいと思う。それを人は考えないでなにも疑問を抱かないままに生活している。こんなにも貴重であるのにだ。私は目の前に座っている初老の女性を見つめた。彼女にも誕生があり、青春があり、恋愛をしたり、子供を生んだことがあるだろう。そう、彼女にも人生というものがあるのだ。でも私はそれを実感することができない。それは当然かもしれない。でも、私は彼女の生きた、生き抜いた、形跡を見つめたい。この手で触りたい。私は自分では知らずに右手を伸ばして、その初老の女性に向けて捧げていたことに気づいた。私は咄嗟に手を縮めて胸の上で両手を組んだ。心臓の鼓動が首筋で音をたてていた。それは悪い気分ではなかった。むしろ心地よい感じがしていた。まるで手を捧げて初老の女性の魂のいくつかを抜き取って、それを胸のうちに取り組んだようでもあった。私は鞄からミネラルウォーターを取り出して、少しずつ飲んだ。思わずため息が出て、周りの人たちの体が微かに動いた。目の前に座っている初老の女性が私のことを見つめてにっこりと笑った。私もその笑みに影響されて、笑顔になった。これほどため息が人の心を打つということもあるんだな、きっと、私がなにか悩みを抱えていて、辛い思いをしている。そう感じて、同情心というか、深い憐れみを自然と抱いたのだろう。ミネラルウォーターを鞄にしまって、潤子が書いたハードカバーの本を手にとる。ただその本を手に持つ、その行為だけで安心感を抱くことができる。まるで御守りのようだ。そして無造作にページを開いて、その部分を読む。こう書いてあった。
『こんなにも遠くに行ったのは久しぶりのことだ。海が見える。サーファーたちが波を捉えようとしていた。私もいつの日か波乗りをしてみたいと思う。でも体が濡れるのは嫌だ。まるで猫みたい。だから私は創造力をはたらかせて、イメージをする。そうすると、素直になって、海の中を泳ぐことができた。それは本当に気持ちよい。まるでマグロやシャチになったみたい。でもやっぱり人間がいいや。だって、泣くことができるんだもの。それって、本当に大切なもの。悲しい時に泣くことは嫌だけれど、素敵な感動する本を読んだとき、嬉しい、清々しい涙を流すのって、とても良いものだもの。人間にしかできない行為、そんなものをいつまでも大事にしていきたい』

しおり