10th:a place to come back A
二重に映る居酒屋の景色がようやくひとつに定まると、くらくらする頭を押さえながら俺は机から顔を上げた。飲み散らかした瓶がテーブルいっぱいに置かれていて、この狭いスペースでよくもまあ寝落ちなんてできたもんだ。
なんて感心している場合じゃない。ルカもいないし宝玉もない。時計に目をやると時刻は夕方五時の十分前で、窓を覆うカーテンの裾からは夕陽が部屋に差し込んでいる。
「おはようございます。って、もう開店前ですけどね」
テーブルのグラスを手際よく処理しながらサナは快活に笑いかけてきた。俺の間近にあったグラスを指で挟むと、他の店員の動きを見ながら声をひそめる。
「ルカさん、待ってますよ。街の中央時計台のところです」
その一言に、俺の心臓がどんどん速くなっていく。
「あいつ……もう、帰ったんじゃ」
「そういう子だから。素直じゃないけど、ルカは絶対待ってますよ」
にこりと手を振るサナを背に俺は居酒屋を飛び出した。中央時計台まではそう遠くはない。市街地をじぐざぐに走っていけばショートカットできる。考えるよりも先に体が勝手に進む方角を定めて目的地に向かった。
時計台の前まで走りついた俺は息切れして膝に手をつけたのも束の間、すぐに顔を上げて時計の針を見た。分針が進んだ時計は時刻十七時五分を指している。街の中央付近だというのに、辺りには誰もおらずしんと静まり返っている。
そう、誰もいない。ルカの姿も時計台の前にはない。
「なに慌ててんのよ」
背後へ振り向くと、意地の悪い笑みを浮かべる見知った顔があった。仁王立ちってわけじゃないけど妙に勝ち誇っている感じがするのは何故だろう。
「ご挨拶だな。酔い潰してさっさと帰ることもできただろうに」
「そうよ。でもアンフェアは主義じゃない。ほら、宝玉ならちゃーんとここにあるわよ」
ルカの手のひらでぽんぽんっと宝玉が宙に浮いては手に収まる。
「まだ、願う権利は残ってるんだよな」
宙を舞う宝玉が「むむ」と反応を示す。
-無論、有効である。望む者の名を述べよ。
ボット並みに同じことしか言わない奴め。だが、これで権利は行使されていないことには確信を持てた。
あとは、ルカと俺、どちらがそれを使うかだ。
「カノ―、君にひとつだけ、言ってなかったことがあるの」
にやけていた顔を真顔に戻して、ルカは俺を直視する。
「君の本当の名前ね、知ってるんだ。私」