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4 PAMERAの記憶

「私の眠りを覚ましたのは誰?」
 若い娘のような声。殆ど生身の人間の声のように聞こえたが、そうではなかった。
 常人には暗闇にしか見えないであろう空間は、ほぼ全体が機器類で覆われ、既に機能停止していると思われたが、ロウギ・セトがその空間に侵入した瞬間、微かな振動と共に何かの光が点灯した。インジケーターの光が波紋のように広がりながら次々に点灯し、それは目覚めたのだ。

 それは、再び問うた。
「私の眠りを覚ました貴方は、誰?」
 ……誰?……誰?……誰?……誰?……誰?…………

 声は反響し、幾重にも響き、どこから発せられているのか、それを確定するのはロウギ・セトにとっても困難だった。
「オマエハ、PAMERA カ?」
 ロウギ・セトは、遥かに高い天井に向かって訊いた。その声は、反響するでなく、空間に吸い込まれる。
 天井近くの空間がぼんやりと発光し始め、その光の中に、少女の幻影が出現した。物問いたげな困惑の表情で。

「PAMERA ……かつては確かにそう呼ばれた。けれど、それは器の部分だけのこと。私の名はユエファ」
 ロウギ・セトは、少女の幻影を見上げた。
「ゆえふぁトハ、でーた入手ノ手段トシテ PAMERA ニ接続サレタ娘ノ名。ゆえふぁノ記憶ハ PAMERA ヲ支配シタノカ」
「PAMERA よりもわたしの想いの方が強かった。この場所がどこなのかを知り、地球に帰りたいと強く願ったわたしのほうが」
 少女の幻影は、哀しみに沈む表情で答える。
 単体の人間の記憶容量と情報処理速度と活動電位力を遥かに凌ぎ、銀河全体の人類の総量をも遥かに凌ぐ能力を持つ人工知能が、一個人の想いに屈することがあり得るのか。それほどの強い想いが存在するのだろうか。
「シカシ、ソノ時、地球ハ存在シナカッタハズ」
 ロウギ・セトの問い、かつて PAMERA とよばれたユエファの幻影は、疑いの目を向けた。
「なぜ貴方はそれを知っているの? 貴方はまだ答えていない。貴方が誰なのか」

 答えることにより、未来曲線のゼロへの偏向が更に加速することはないだろうか。事象に悪影響はないだろうか。ロウギ・セトは、慎重に言葉を選んだ。
「私ノ名ハ、ろうぎ・せと。見テノ通リ、コノ身体ハ作リ物。1900年前カラ既ニ私ハ存在シテイタ。てらノ消滅ヲ知ッテイテモ、何ノ不思議モナイ」
 PAMERA であったユエファの幻影は、ロウギ・セトになおも疑いの目を向けた。
「貴方が1900年前から存在していたのなら、地球の消滅を知っていても変ではないかもしれない。けれど、PAMERA とユエファを知る理由にはならないはず」
 ロウギ・セトは動じなかった。
「銀河系最大トモ言エル超巨大人工知能あるてぃまニハ、銀河中ノ、アラユル記録ガ保存サレテイル。ナニモ不思議デハナイ。オマエガPAMERA デモ、ゆえふぁデモ、ドチラデモ構ワナイ。オマエハ、コノ惑星ニてらふぉーみんぐヲ施シタノダナ。ソシテ、失敗シタノダ」
「言わないで!」
 宙に浮かぶ少女の幻影は、両手で顔を覆った。
「そうよ、わたしは失敗した。とても辛い。わたしは、この惑星がどこか知った時、気が狂いそうだった。地球が消滅した世界なんて受け入れられなかった。わたしは地球に帰りたかった。青く美しかった、かつての地球を取り戻したかった。それだけだったのに……」
 消え入りそうなほどの哀しみに沈むユエファの幻影。PAMERA という1900年前の地球の巨大人工知能は、今そこにユエファという少女が実在しているかのように幻影を作り出していた。
 ただ、 李月花(リー・ユエファ)は、PAMERA に繋がれた当時、20歳前半の成人女性であったはず。幻影が少女の姿をしているのは、李月花が自身を幼く認識しているせいなのか、或いは、真実を知った精神的打撃、もしくは、テラフォーミングの失敗による精神的打撃により、幼児退行のような状態になってしまったのか。
 しかし、そのことは今は重要ではないだろう。
「オマエハ、消滅シ、存在シナクナッタ地球ニ帰リタイト、強ク願ッタノダナ。ソノ為ニハ、手段ヲ選バナカッタ」
 その帰巣本能とも言える強い想いが、時間を逆行させ、宇宙を消滅へと向かわせるのではないか。常識的にはあり得ないことだが、ナーサティアの言う“マナ”の力というものが実在するのであるなら。
 ロウギ・セト自身の瞬間移動能力にしても、彼自身の身体が超時空的構造になってしまったことによる非常識な能力なのだから。

 PAMERAでありユエファと名乗る少女の幻影は、懺悔の告白をするかのように、思いつめた表情で語り始めた。
「そう、わたしは付近の小惑星を誘導ロケットで集め、この惑星の地表に隕石の雨を降らせた。その衝撃で、地下のドライアイスが溶け出し、地表面を覆って、温室効果を生みだした。地下で凍っていた水も溶け出した。わたしは周囲の惑星の氷のリングからも、小惑星をたくさん運んできた。それらは、この惑星に豊かな海を作った。けれど、上手くはいかなかった。小惑星衝突の衝撃は、この惑星の地形を大きく変えてしまい、地球とは全く違った環境の惑星にしてしまった。人々は、青空に輝く太陽を振り仰ぐことも出来ず、夜と昼の逆転した生活を強いられてしまった……地球が消滅した理由は分からない。けれど、移民船ホープ号が、目的のタウ・ケティに行けず、この場所に来てしまったのは、操縦士として乗船していたリース・イルリヤと関係があるのかもしれない。彼は、逃亡を図って死んでしまったけれど」

「オマエノ哀シミ、後悔ハ、理解デキナクモ無イ。ダガ、地球ノ消滅モ、ほーぷ号ノ目的地ガ変更サレタ事モ、りーす・いるりやトハ直接ノ関係ハ無イ。彼ハ、確カニ、惑星めいざノ機関カラ密命ヲ受ケほーぷ号ニ潜入シタ。たう・けてぃニハ、惑星めいざノ基地ガ在リ、めいざハ、闘争的ナ地球人トノ接触ハ避ケルベキダト判断シタノダ。ダガ、実際ニハ、りーす・いるりやガ行動ニ移ル前ニ、何者カニヨッテ全テハ仕組マレテイタ。コノ場所ヲ選ンダノモ、りーす・いるりやデハナイ」
 ロウギ・セトは、ユエファを名乗る少女の幻影を見上げ、淡々と答えた。
 哀しみに沈んでいた少女の幻影は、不思議そうにロウギ・セトを見下ろす。
「貴方の名は、ロウギ・セトと言いましたね。やはりおかしい。貴方は、まるで自分がリース・イルリヤであるかのように話している」
「オマエガPAMERAデアッタヨウニ、私ハりーす・いるりやダッタノダ。記憶ヲ失ッテイタガ、人工知能あるてぃまノ情報ノ海ノ中デ、過去ノ記憶ヲ見ツケタ。過去の記憶以上ニ、知ルハズノ無カッタ多クノ事モ知ッタ」
「そんなはずは無い。リースの乗った探査艇は、ホブスの撃ったレーザービームを受けて消滅した。トラクタービームを発射したはずなのに、実際に発射されたのは隕石破壊用のレーザーで……」
「れーざーびーむガ到達シタ瞬間、りーす・いるりやハ、さいぼーぐ化サレタ自身ノ能力ニヨッテ探査艇ヲ空間跳躍サセタ。勿論打撃ハ受ケタガ、千二百年ノ漂流ノ後、ろうぎ・せとトシテ、甦ッタノダ」
「貴方はさっき、リース・イルリヤが行動に移る前に、既に何者かによって仕組まれていたと言いましたね。貴方意外に、一体誰が仕組んだと言うのですか?」
 ロウギ・セトは、少女の幻影を見上げた。
「なーさてぃあニ決マッテイル」
「ナーサティア?」
 静かな響きで少女の幻影は訊いた。
「オマエガ李月花ナラ聞クガイイ。なーさてぃあコソガ、オマエノ運命ヲ変エタ張本人。しぇりんトイウ娘ノ持ツ“まな”ノ力ヲ手ニ入レル為ニ、惑星せなんヲ破壊シテ地球ヘト転生サセ、サラニ地球ヲモ破壊シテ、オマエヲコノ惑星に連レテキタノダ」
「……セナン……」
 少女の幻影は、戸惑ったようにそう呟き、暫く黙ったが、やがて再び繰り返した。
「……セナン……セナン……セナン………セナン……セナン……」
 PAMERAもしくはゆえふぁは、狂ったように繰り返し、声は反響して空間に広がっていく。
「ヤメロ! PAMERAモ、李月花モ、せなんヲ知ルハズハ無イノダ」
 ロウギ・セトは耳を塞ぐ。 
「いいえ、わたしは知っている。わたしはセナンに帰りたい。地球はセナンに似ていた。地球もセナンも今はもう存在しない。シェリンもマナも知らないけれど、そう、セナンだ。わたしが本当に帰りたいのは……」
 その声は、寂しいどころではない切なさに満ちていた。
「PAMERAモ、李月花モ、せなんヲ知ルハズハ無イ。せなんノ太陽ハ、地球歴デハ32700年以上モ昔ニ、超新星トナッテ消滅シテイルノダカラ」
 ロウギ・セトは表情を変えはしなかったが、PAMERAもしくはゆえふぁの言葉を強く否定した。
「そうね。そのスーパー・ノヴァは、7200年後の西暦1050年には、地球でも観測された。その残骸は、今もこの惑星から見える。1400光年の彼方に、ガム星雲として……」
 悲しみに満ちた声だった。
「わたしは何故セナンを知っているのだろう。PAMERAの中で長い眠りに就いていたその夢の中で、魂に刻まれていた遠い前世の記憶をも呼び覚ましたのかもしれない。だって、わたしは、本当に知っているのよ。本当に帰りたいのよ。セナンの、美しい……」
「ヤメロ!!!」
 ロウギ・セトの声は無機質で冷たかったが、強い制止力があった。
「ヤハリ間違イナイヨウダ。ソノ想イガ、“まな”ノ力ヲ爆発サセルノニ違イナイ。ゆえふぁトハ月ノ花、スナワチ、オマエガ “いーらふぁーん”ダ」
「イーラファーン? 知らない。それは何?」
 ロウギ・セトは、それには答えなかった。
「オマエヲ壊ス。なーさてぃあニ邪魔サレル前ニ」
 ロウギ・セトは手を差し伸ばし、人工知能PAMERAの本体に向かって白銀の光線を浴びせた。
 少女の悲鳴。
 天井付近に浮かんでいた少女の幻影は消滅した。
 しかし、ロウギ・セトの放った光線は、PAMERA本体に直撃する寸前に何かの力で捻じ曲げられ、ロウギ・セトに向かって跳ね返ってきた。ロウギ・セトは、危うく身をかわし、すかさず次の攻撃を加える。光線は、強力なバリアに守られているのか、やはり捻じ曲げられるが、天井や壁や周囲の機器に当たり、天井は崩れ、切断された配線と共に、床の上に降り注いだ。
「駄目ダ。PAMERA本体ヲ破壊シナケレバ」
 ロウギ・セトは、両手の間に光の塊を溜めた。
「破壊シナケレバ。持テル全テノえねるぎーヲ使ッテデモ。コノ身体ガ壊レテモ」
 ロウギ・セトの身体が白熱していく。痛みも苦痛も接続されずに感じないはずの彼だったが、目は見開かれ、口は一文字に、 呻吟(しんぎん)するかのように見えた。
「止めよ」
 その声はナーサティアだった。先ほどまでPAMERAもしくはゆえふぁの幻影が浮かんでいた天井近くに、朱金の瞳を射るように輝かせ、長い銀髪を四方に散らして、ナーサティアが浮かんでいた。

「ヤハリ現レタナ、なーさてぃあ。オマエコソガ宇宙消滅ノ真ノぽいんと」
 ロウギ・セトは、両手の間に溜めたエネルギーの塊を、ナーサティアに向かって放出しようとした。しかし、その前に、ナーサティアの長い銀髪がそれ自体意志を持つかのようにロウギ・セトの身体を絡めとり、ロウギ・セトのエネルギーの塊は手の中で消えた。
 ロウギ・セトは、身動きもできなくなった。
「ロウギ・セトよ、お前がこのエラーラに来たのは任務のためだが、実は、お前とシェリンとが引き寄せ合った結果だ。ロウギ・セト、お前こそがセナンで引き離された二つの魂の片割れ。気付かぬのか、ユエファを破壊するということが、お前の魂の片割れを殺すも同然だと」
 ナーサティアは、ロウギ・セトの身体を長い銀髪に絡めとったまま、僅かな笑みを浮かべているように見えた。
「以前聞カサレタ前世ノ話カ。私ヲ動揺サセヨウトシテモ無駄ナコト。既ニ人間デハ無イ私ニ、前世モ魂モ関係無イ」
 ロウギ・セトの無機質な声も、機械じみた姿も、既に人間らしさは失われている。
 ナーサティアは、憐れむようにロウギ・セトを見下ろした。
「哀しいか、ロウギ・セト」
「哀シイ? 何ノ 戯言(たわごと)カ」
 ナーサティアは、更に憐れみの目をロウギ・セトに向けた。
「たとえ身体の大部分が作り物であろうと、お前は人間以外の何者でもないであろうに。もう一つの名前を思い出せ。リース・イルリヤでは無いもう一つの名前だ。その名前が、真実に至る鍵ともなるだろう」
「今更ドンナ話ヲ聞カサレヨウト、私ハ躊躇ナドシナイ。モシソノ話ガ真実デアルナラ、私ハなーさてぃあトイウ神ノ掌中ノ駒ニ過ギナイノダロウ。シカシ、ソレナラ、私ハ敢エテ運命ニ反抗シヨウ。ゆえふぁヲ利用シ、しぇりんノ“まな”ノ力ヲ発現サセヨウトスルナラ、私ハ、全身全霊ヲ懸ケテ邪魔ヲスルダケダ」
 ロウギ・セトにできるのは、与えられた任務を (まっと)うすることだけだった。
「そうか、ならば仕方無い」
 ナーサティアの言葉の続きは、声ではなく波紋のような思念波としてロウギ・セトの頭の中で響いた。
〈ビッグ・バンは不注意だった。聖櫃の外では、常にエントロピーは増大し、全ての事象が無秩序へと向かっていく。それは私にはどうしようもないが、時は熟した。もうすぐ彼女は全ての記憶を取り戻し、本来の自分に戻ろうとするだろう。そして、巨大な負のエントロピーが生じる。そのネゲントロピーが、広がり続ける宇宙を収縮させる力となるだろう。ロウギ・セト、悪いが、私はそろそろ休みたいのだ〉

 ナーサティアの長い銀髪から、何かのエネルギーがロウギ・セトに向かって流れた。ロウギ・セトはもがいたが、その時間は長くはなかった。
 銀髪の拘束が解かれた時、ロウギ・セトが立っていたのは、アンシュカの遺跡に眠るホープ号の空間ではなかった。闇に閉ざされた宇宙空間でもなかった。
「ココハ、ドコダ。今度ハ、ドコニ連レテキタ」
 黄昏ばかりが広がる無限の平原が続いていた。
「ここは時間と空間の狭間、果ての無い異次元デュ=アルガン。誰もこの場所から出ることは出来ない」
 ナーサティアはロウギ・セトの目の前で消えた。

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