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3 ソルディナの夕陽

 灼熱の太陽が、真上から照らしていた。足下の砂丘からも、容赦なく輻射熱が襲う。周囲の山脈から吹き下ろす風は、身を焼くほどの熱風だった。
 ロウギ・セトにとって、輻射熱も熱風も苦痛ではなかったが、やはり機能的にはダメージとなる。彼は、体内の冷却装置のスイッチを入れた。低い、殆ど聞き取れないほどのモーターの唸り。これで、このソルディナの地でも、問題なく移動が出来るはずだ。
 ロウギ・セトは砂塵に煙る周囲を見渡した。タルギン・シゼルの記憶にあった場所のはずだ。彼は、タルギン・シゼルの記憶をコピーし、彼の記憶を自分のものとすることによって、ソルディナのこの場所に瞬間移動したのだ。この荒漠たる砂丘と岩地のどこかに、ナーサティアの唄にあったマディーラの 奥津城(おくつき)があるに違いない。そこには一体何が葬られているのか。
 ロウギ・セトの予測では、十三番目の月=マディーラ=は、テラからの宇宙船である。それがどんなに地下深く埋もれていようとも、ロウギの体内に仕込まれた金属探知器には反応するだろう。

 しばらく歩くと、岩影に一張りの天幕が (しつら)えてあった。それは移動住居として使われているらしく、中を覗くと、岩羊の革で覆った小振りの天幕の中には、家財道具らしいものはほとんど無く、身の回り品が置かれた中に一人の男が眠っていた。
 ストーレのないソルディナでも、人々は月の照らす夜に活動する。灼熱の太陽が照りつける昼の間は、岩影や岩屋の中で眠って過ごすのである。天幕の側には、杭に貼られた (つな)に、数枚の広布が干してあり、その杭につながれた 砂駝鳥(ソリカ)が、長い首を羽毛の中に押し込むようにして眠っていた。
 その砂駝鳥が、ロウギの気配を感じてか目を覚まし、騒がしく鳴きたてた。眠っていた男が目を覚まし、天幕から這い出す。
「よーし、よーし。静かにしろや。まだ日暮れには早いけに」
 男は、砂駝鳥の側に寄り、腕を伸ばして首筋を撫でてやりながら声を掛けた。それから漸く背後に立つロウギに気付き、振り返った。男は、ロウギの異様な姿に目を剥いた。
「までぃーらノ奥津城ヲ知ラナイカ?」
 ロウギ・セトは、男の驚きなど気にもせず訊いた。
 腰を抜かした男は、ただ激しく首を振る。
「コノ辺リニ、古イ神殿跡ハ無イカ?」
 ロウギが、さらに男に近寄って訊くと、男は、漸く右手を上げ、震える指で西を差した。
 砂塵に煙るその方角には、やはり何も見えない。遙か遠くに、岩石が散在する岩地が見えるのみである。男は、本当に知らないのかもしれない。
 ロウギが再び男に視線を戻したとき、男は、砂駝鳥にしがみつき、慌てふためいて東の方角へと逃げていくところだった。
 取り残されたロウギは、一羽残った砂駝鳥と干されていた広布に目をやった。布は清潔で乾いていた。頭から被れば、強烈な日差しを防ぐのに少しは役立つだろうし、ロウギ・セトの姿をソルディナ人らしく見せる効果もありそうだ。砂駝鳥は……この地では、自分で歩くより目立たずに良いのかもしれない。
 ロウギは、一枚の広布を手に取り、それを頭から被って身体に巻き付けると、砂駝鳥の背に乗り、男の示した西の方角に向かった。夕映えの方角へと。

 やがて、ロウギ・セトの眼前に、岩石の散乱した平らな岩棚が見えてきた。
 岩棚は、人工的に平らな岩石を敷き詰めたようにも見えた。そこは、ソルディナ平原のほぼ中央に位置する場所で、周囲には、砂丘の中に岩地が点在し、円柱状の太い石が転がっていた。それは、風化が激しかったが、よく見ると、人工的に削り出されたもののようだった。
 この場所がアンシュカの神殿跡で、マディーラの 奥津城(おくつき)であるなら、この下に宇宙船が埋もれているのではないかと、ロウギ・セトは思った。

 ロウギ・セトは 砂駝鳥(ソリカ)から飛び降り、宙を飛ぶようにして身軽に岩棚を駆け上った。平らな岩棚の上には、かつては円柱が立ち並んでいたのかもしれない。風化した岩棚は、赤い夕映えの中で薔薇色に染まり、ロウギ・セトの影を黒々と落とす。それは美しいとも言える景色かもしれなかったが、どこか寂寞とした郷愁を誘うようにも見えた。 
 ロウギ・セトは岩棚から飛び降りた。
  砂駝鳥(ソリカ)は、いつの間にか居なくなっていた。飼い主の元へでも帰ったのかもしれない。
 ロウギ・セトは砂丘を滑り降り、幾分平らな砂地の上から、四方に向かって電磁場を発生させ、二次磁場の発生を確認した。地下の金属反応である。彼は砂丘に向けて両手をかざす。その両手から、青味を帯びた白銀の光が放出され、 ()ぎ払うように砂丘の一部を吹き飛ばし、砂に隠されたモノの一部を露出させた。それは、人工的に石組みされたものに違いなかった。
 ロウギ・セトは、その石組みに近寄り、何かを探るように目を凝らし、耳を澄ませた。そして、その場から少し離れると、石組みに向かって再び白銀の光を放出した。石組みの一か所が破壊され、奥へと通じる暗い穴が口を開けた。
 ロウギ・セトは、邪魔な広布をその場に脱ぎ捨てると、迷いもなくその穴へと入っていった。
 ソルディナの夕陽が赤く燃え、ロウギ・セトの脱ぎ捨てた広布が、砂の荒野に黒い影を落としながら、熱砂の風に吹き飛ばされていった。


     **********


 脱獄したタルギン・シゼルは、ウルクストリアではなく、ソルディナに向かっていた。シェリンが、もうウルクストリアには居ないという情報を得たからだった。

 タルギン・シゼルが収集した情報は、単なる噂ではない。彼の情報屋としてのあらゆる手段と人脈を使って得た情報である。
 世話人であるギイレス・カダムの死により、図らずも、アスタリアでは知らぬ者の居ない歌姫となっていたシェリンである。ラダムナで捕らえられ、トルキル大公やサウサル城主の仲間として投獄されたことは、既にアスタリアにも伝わっていた。そして、シェリンが看守を殺害して脱獄し、逃亡したらしいという噂が広まっている一方で、実は極秘に飛行船でソルディナに送られたのだという噂も広まっているようだった。タルギン・シゼルが仕入れた情報によると、後者の噂が真相に近いと思われた。民衆の熱を冷ます為にシェリンを (おとし)めることが近道だったのだろう。
 そして、タルギン・シゼルは、幼い日のナーサティアの言葉を思い出したのだった。母を失った、あの哀しみと後悔の日、自分に掛けられた、ナーサティアと名乗ったモノの言葉を。

 ―お前はこのソルディナを離れる。エルディナで、お前は別の人生を過ごすだろう。だが言っておこう。お前は、再び此処ソルディナに戻り来るであろうと―

 ソルディナは、マラナス山脈、バズ山脈、ゴルム山脈、キンメリ山脈、エルシス山脈、そして、ソラリア高原という、折り重なる六つの山脈地帯に囲まれている。それぞれの山脈や高原は標高が非常に高く、気象条件も厳しい為に、山越えはほぼ不可能である。
 山脈の麓には樹海が広がる場所も多く、迷えば方向感覚を失って抜けられなくなる。樹海を越えると、今度は雪と氷に行く手を阻まれ、山頂付近では、異常な乾燥の為に雪も氷もない極寒の荒野となる。特に頭部の防寒には十分な注意が必要だ。マイナス八十ガルにもなる超低温の中では、十分な防寒具が無ければ、たちどころに脳の血液は凍って一瞬にして昏倒してしまう。それは死を意味するのだ。
 そして、運よく極寒の 高嶺(こうれい)を越えられたとしても、下れば今度は灼熱となる。
 山脈と山脈の間の谷には、比較的安全な経路が無いわけではなかったが、辺境警備隊によって厳重に警備されている。彼らは、無断で境界を越えようとする者の命など少しも惜しまない。警備を突破するのは命がけである。
 もう一つの経路は、ソラリア高原の中腹と、ソルディナの中でも最も過酷な場所“灼熱の死の谷”とを結ぶ、“ツインギの裂け目”を抜ける経路である。エルディナから向かう場合、アスタリアとエラスタリアの国境近くに、その入り口がある。
 
 シェリンが飛行船に乗せられてソルディナに向かったとすると、どのような経路だったろうか。ラダムナはウルクストリアの中でも南に位置し、ヌール・ヴェーグ城はラダムナの南の外れにある。飛行船では、標高の高いマラナス山脈を越えることには危険が大きいが、最短経路はそれだ。急ぐ理由がないなら、飛行船での山越えなどという危険は冒さないであろうから。
 イオラス港にあるはずのタルギン・シゼルの高速艇は、 水原(カレル)を航行するには向かない。目立つし、折角の船足が水原では生かせない。衆人に混じって連絡船でエラスタリアに入り、そこからエルシス山脈を越える経路を取ることが、距離的にも比較的近く、また、シェリンの足取りを辿る上でも都合が良いように思えた。ただ、脱獄したタルギン・シゼルにとって、途中で捕まる危険も大きくはあった。

 タルギン・シゼルの現在位置からは“ツインギの裂け目”を抜ける経路が距離的に最も近く、且つ、安全だと思われた。彼は、必要な最小限の装備を手に入れ、ソラリア高原中腹の“ツインギの裂け目”入口に向かった。幼い頃、母を捜す為にソルディナから脱出するために通った、あの過酷な狭い岩の割れ目である。
 久しぶりに目にしたその割れ目は、灌木の影に隠れ、大人になったタルギンには、思っていた以上に小さな入口となっていた。その細い裂け目が延々とソラリア高原の下を潜り、ソルディナの砂漠まで続いているとは、一度その裂け目を通った彼にさえ信じられないくらいだった。
 タルギンは、躊躇無くその割れ目に身を滑り込ませた。一刻も早く、この割れ目を通り抜けたかった。大小の岩に覆われた割れ目の道を身体を斜めにしながら暫く進むと、少し割れ目が広くなった。
 安堵の息を吐いたのも束の間、タルギン・シゼルは己の目を疑った。岩と岩の間に、突如として鋼鉄のような壁が現れたのである。壁と周囲の岩肌との間には一分の隙間も無く、壁は押しても叩いてもビクともしなかった。
 一体誰がこの割れ目を塞いだのだろうか。しかし、時間を無駄にする訳にはいかなかった。タルギン・シゼルは、身を翻すと来た道を急ぎ引き返した。こうなれば、ソラリア高原の中腹沿いにエルシス山脈に向かい、山越えするしかなかった。
 タルギン・シゼルは決して大柄ではなかったが、苦難に耐えた肉体は強靱でもあり、過酷な条件下で身を守り生き抜く術も心得ていた。それより何より、妹であるかも知れないシェリンを助けたいという必死の思いが、彼に不安や恐怖を捨てさせ、ただ前を向かせた。
 彼は荒れた岩山を渡り、困難な山越えに果敢に挑んだ。標高が高くなると僅かな灌木さえも無くなり、万年雪が積もり、吹雪が吹き荒れていた。半ば雪に埋まり、凍えながら尾根を目指した。更に標高が上がると、雪のない乾いた岩地が続いていた。極端に乾燥している為に、雪も氷も無く、雪洞を掘って身を休めることも出来ず、火を焚いて暖を取りたくても、燃やせる灌木も生えていない。
 咽がからからに乾いた。尾根さえ超えれば、後は転げ落ちてでもソルディナに辿り着けるだろう。但し、それまで身体が持てばの話である。もしや何処かの岩陰にでも、口に含める雪か氷が残っていないだろうかと、彼はやっとの思いで背を伸ばし、辺りを見回した。その彼の目に入ったものは、灌木でも雪でも氷でも無かった。
 その辺り一帯に、貨物用らしい飛行船の残骸が散らばっていた。墜落してまだそれほど日は経っていない、新しい残骸と思われた。
 普通、貨物用飛行船が山越えすることはない。山岳波と呼ばれる気流の乱れにより墜落する危険が高いからである。とすれば、その残骸は、シェリンを運んだ飛行船に違いなかった。
 残骸は、広い範囲に散乱していた。タルギン・シゼルの目の前の残骸は、比較的小さな破片ばかりだった。軽い破片が爆風で広範囲に飛び散ったのだろう。乗っていた人間は、大きな破片と一緒に落下したか、或いは、もっと遠くへと飛ばされたか。
 タルギン・シゼルは死に物狂いで周囲を探し、それから、転げ落ちるようにして山肌を駆け下った。
 彼の目の前に、つぶれた飛行船の巨大な残骸が姿を現した。 (まろ)ぶように駆け寄り、残骸の間を丹念に調べた。シェリンが倒れているのではないかと。
 残骸の下に、乾いた血に汚れた亡骸があった。3人の亡骸はいずれも男で、近くに他の亡骸は無かった。
 半狂乱になり、彼は破片の散らばる周囲を探したが、ついにシェリンを見つけることは出来なかった。
「シェリーン!」
 彼は、残る力を振り絞って絶叫し、その場に倒れた。
 血のように赤い夕陽が、辺りの荒野を染めていた。タルギン・シゼルには、もう、指先を動かす力さえ残ってはいなかった。

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