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『それからの僕らの話』

 車窓から外の景色を窺えば、そこには青々とした草原が広がっていた。思わずゼロが歓喜の声を上げる。僕もつられて外に目をやる。辺り一面が綺麗な草花で包まれているのが分かる。
「綺麗だね。これからどこに行くのかな?」
 ゼロの呟きに、僕は肩を竦めて見せた。「どこに行くかも確認せずに乗っちゃったからね」と続けて、苦笑して見せる。ゼロもつられて苦笑した。
 僕らは今、行く宛のない旅の途中だ。
 今目の前にいるゼロと、僕の二人旅。子ども二人の旅だから危険だろうと言う人もいるけれど、その辺りは問題ない。それよりも今問題なことがあるとすれば、それは、
「それより、電車賃どうするの?」
 外を眺めたまま振り向かないゼロに尋ねる。目を反らしているらしい。耳を引っ張ってこちらを向かせると、ゼロは不満げな呻り声をあげた。
「そうだね、どうにかしないといけないね……」
 運賃。そう言ってゼロがため息を漏らす。僕もそれにつれて肩を落とす。
 行き当たりばったりの旅の途中だ。そうして僕らは、駅員の目を盗んで、この列車に飛び乗ってきた。
 発車が近い車両に乗って、出発するまで身を隠す。そうして見つからなければこっちのもの。偶々乗った列車が直行便だったようで、途中停車もしない。
 その間、僕らは自由の身だ。
「降りるときに払えば許してもらえるかな」
 逃げることも考えたが、なるべくなら穏便に事を済ませたいと思った。以前までの僕らとは違う。だから僕らは考える。
 二人で話し合った結果、終点に着くまでの間に、車内の乗客を回って運賃を稼ぐことにした。各地を転々としている間に、いくらか芸を身に着けた僕らだ。幸い道具は手元にある。上手くいけば、降りるまでに必要分の運賃を貯めることができるかもしれない。
「上手くいくかな」
 ゼロが少し不安げに呟く。僕は首を傾げながら「門前払いもありうるだろうね」と答えた。ゼロが辟易したように眉を垂らす。
「まぁ、でも」
 やるしかないよね。そう言って意気込んで見せる。僕も口元を緩めながら頷いて、手元の道具を確かめた。
 ゼロはジャグリング、それと黒い帽子。僕はトランプなんかの手品。二人で芸をして見せ、気に入ったらお駄賃を頂戴するといった寸法。
「それじゃ、行きますか」
 僕がそう呟き、ゼロがそれに答える。そうして一部屋ずつ回り始める。
 短い時間、小さな車内。
そこで僕らは、様々なことを考えることになる。



『未亡人の話』

 扉をノックすると、一人の老婦人が出てきた。彼女は扉を開きながら「おやまぁ」と呟いて、僕らのことをしげしげと見回した。
「どうしたの、坊や達。お母様とはぐれたの?」
 僕らはその問いには答えず、目を合わせて頷き合う。ゼロがかぶっていた帽子を差し出した。
「今からここで芸をして見せます。もし気に入ったら、ここに硬貨を一つ、入れてください」
 ゼロがそう話すと、老婦人は少し驚いて見せる。それから優しく微笑むと、小さく頷いて僕らを招き入れてくれた。
「ちょうど良かったわ、退屈してたところだったの」
 早く見せて。婦人はそう続けながら、楽しみそうに僕らを見つめる。僕らは小さく会釈してから、芸を始めた。
 昔からやってきたものだ。ゼロが四つのお手玉を持ってジャグリングする。僕はその隣で、トランプ片手に手品の一つでもやって見せる。交互にやっては、その都度婦人の反応を窺う。
 婦人は嬉しそうに手を打ち鳴らして見せた。
「貴方達器用なのね。どうやっているのか、全く分からなかったわ」
「ありがとうございます」
 恭しくお辞儀して見せる。不意に婦人が右手を伸ばしてきて。僕の頬に触れた。
「懐かしいわ。私の好きな人も、手品が得意だったから」
 そうして僕の頭を優しく撫でた。続けて、ゼロの頭も。
「もう、いなくなってしまったけれどもね」
 婦人は悲しげな調子でそう呟くと、目元を拭ってから再び笑って見せた。僕とゼロは顔を見合せながら、今にも泣きだしてしまいそうな婦人の背を摩った。
 婦人が「ありがとう」と囁いた。
「楽しかったわ。これ、少ないけれど、お礼よ」
 受け取って。そう言って、伸ばされた手を開くと、中には硬貨が五枚含まれていた。僕らが揃って顔を上げると、婦人は気にしないでと言ってゼロの掌に硬貨を握らせた。
「またいつか会いましょうね」
 婦人がそう言うので、僕とゼロはもう一度頭を下げてから部屋を後にした。
 扉の前で、僕とゼロは再び顔を見合わせる。
「やっぱり貰い過ぎだよ」
「少しお返ししよう」
 そう言い合って再びノックしようとして上げた手を、僕は止めざるを得なかった。
 中から、泣き声のような音が、聞こえてきたから。
 ゼロを見やる。ゼロも僕と同じ気持ちのようで。小さく頷くと、僕の手を取り歩き出した。
「きっと、ボクらが聞いちゃダメなことなんだと思う」
 振り向かずにそう漏らすゼロの背中に、僕もそうだねと呟いた。
 聞こえていたのは、微かな泣き声と。誰かの名を呼ぶ、あの老婦人の声だ。その声は、どこか儚げで、それでいてどこか切なくもあり。
 
 別れに苦しむ人。過去に囚われてしまった人。
 それを救いあげる術を、今の僕らは持ち合わせていない。



『ギャンブラーの話』

「バカ野郎どもが、一昨日来やがれ!」
 怒鳴り声とともに部屋から弾き出され、僕らは強かに背中を打ち付けた。手荒だなぁと嘆息しつつ、横で涙目になっているゼロの手を取る。
「大丈夫? 怪我しなかった?」
「うん、平気」
 ゼロは僕の手を取って立ち上がると、気を取り直したようで「次行こうか」と切り出した。
 僕が頷いた、その時のことだ。
「坊主たち、暇してるのか?」
 背後から湿った声が聞こえて振り向く。見ると、扉から顔を半分だけ出してこちらを窺う男の姿が映った。黒い帽子をかぶっている。
 男は辺りを確認すると、手招きしながらこう告げた。
「ちょっと付き合え。俺と遊ぼうぜ」
 僕とゼロは一度顔を見合わせると、同時に頷いてその誘いに乗った。言われるまま男の部屋に入ると、男はすぐに扉を閉める。
「聞き分けの良いガキどもで助かったぜ」
「それで、僕らと何をしたいの?」
 おじさん、と加えると、男は咳払いを一つしてから人差し指を立てた。チッチと振りながら、「トランプさ」と気障ったらしく答える。
「暫くここから出られねぇからな、暇つぶしに付き合ってもらうぜ」
 そう言って薄っぺらいコートの内からトランプを取り出す。何をするのか尋ねると、ポーカーで勝負しようとのことだった。
 僕とゼロは再び顔を見合わせた。
「やるのは良いけど、僕らポーカーは良く知らないんだ。初めにルールを教えてもらってもいい?」
「あぁ、あぁ、それくらい構わねぇさ」
 男は相当暇していたようで、僕ら二人がルールを覚えるまで懇切丁寧に説明をしてくれた。そこまで難しくもないゲームだ。十分もすれば、僕もゼロも男と対等に渡り合えるくらいになっていた。
「へへ、そろそろ本番と洒落込もうじゃねぇの」
 男はそう言うと、先ほどまでとは打って変わって真剣な表情を作って見せる。僕らが思わず尻ごみしていると、男はニヤリと口角をあげて、懐から別な何かを取り出す。
 それは銀色の硬貨だった。
「これから俺と賭け事をしよう。ルールは簡単、三回勝負で最後に勝った方が全ての硬貨を手に入れる」
 どうだ? そう言って男は挑発的に笑って見せる。その瞬間、僕らは何となく理解した。この男は、僕らから金を巻き上げるために僕らを呼んだのだ。僕らと同じように、鉄道代でも稼ぐつもりなのだろうか。
 僕はゼロを見やった。こういう運の絡むゲームはゼロの方が強い。ゼロも僕の視線に気づくと、口元を緩めて頷いた。
「いいよ、やろう。その代わり、おじさんの相手はボク一人だ」
「あぁ、何人でも変わらねぇさ」
 男はそう言って下卑た笑みを浮かべる。ゼロは先ほど老婦人から受け取った硬貨の内の一枚を場に出した。これで準備完了。
「それじゃ、始めようか」
 チェンジは一回まで。いとも容易く勝負が決まる。
 一戦目。カードが配られ、男が二枚、ゼロは三枚のカードをチェンジ。
 結果は男がツーペア。ゼロがワンペアで男の勝ち。
「さ、もう一枚出してもらおうか」
 ゼロが渋々もう一枚銀貨を差し出した。カードが配られる。ゼロが浮かない表情をする。
 男は一枚、ゼロは二枚チェンジ。
 結果はまたしても男の勝ち。
「次がラストだぜ」
 男はさも愉快とでも言わんばかりに高笑いを浮かべている。ゼロは面白くなさそうに頬を膨らませている。次負けてしまったら、僕らは全部で三枚の銀貨を失うことになる。
「ゼロ、頑張って」
 僕が声をかけると、ゼロは苦笑気味に頷く。とはいっても、運が全てのゲームだ。頑張るも何もないのだけど。
(……それでも)
 次の勝負には、もう負けはない。
「それじゃ、これが最後だ」
 カードが配られる。男が少しだけ口元を緩めて見せた。手首を掻いては嬉しそうな表情を漏らしている。対するゼロは、眉一つ動かさない。
 男が一枚、ゼロも一枚チェンジ。
「それじゃあオープンだ。ジャン」
 クワッズ。そう声高に叫ぶ男を見て、僕とゼロは笑みを零した。
「ボクはストレートフラッシュ」
「なんだと!?」
 そう言ってゼロが差し出したのは、スペードの8、9、10、11、12の五枚。紛うことなきストレートフラッシュだった。
 男が狼狽する。馬鹿な、と叫ぶ。信じられないとでも言うように、僕らのことを睨みつける。
 僕らは、同時にニヤッと笑って見せた。
「運がなかったね、おじさん」
 そう言って場に出された四枚の硬貨を全て手にして、僕らは足早に部屋を後にした。背後から男の怒鳴り声が聞こえたが、無視した。
 すぐさま部屋の前から退散する。
「すごい顔してたね」
 廊下を走りながら、ゼロがくすくすと笑って見せた。僕も頷きながら、「当然の報いだ」と返した。
「ここまで来れば大丈夫かな」
 ゼロはそう言って、手にした四枚の硬貨を眺めた。内三枚は元々僕らのだから、これで老婦人から貰ったものも含めて六枚になった。
「上手くいってよかった」
 僕がそう呟くと、ゼロも頷き返してくれる。男から勝ち取った硬貨を一撫でして、ニヘラと笑った。
「あの人は、きっと運に見放されてたんだ」
 そう言って、僕の方を向いて首を傾げて見せる。まるで同意を求めているような調子だ。僕も「だね」と返して頷いた。
 僕らをカモにして電車賃を稼ごうとしたのか、あるいは別の目的があったのかは分からない。だけれど、あの男のミスは僕らの前で悪いことをしたこと。下卑た笑いを浮かべて時折腕を掻く仕草。それが何を意味しているのか、僕らが分からないと踏んでいたこと。
「どんな事情があるにせよ」
 僕らは自分達のことで手一杯だ。悪さをする大人にまで、優しくなれない。



『夢追い人の話』

「だいぶ集まってきたね」
 手元の硬貨を見やりながら、ゼロが呟く。
「それでも、半分くらいでしょ」
 僕はそう続けながら、ゼロの掌に乗った六枚の硬貨を眺めた。銀貨五枚で、おそらくは乗車賃として一人分くらい。まだまだ必要分には足りていない。
「まだまだ頑張らないとね」
 そう呟きながら、僕は見えてきた次の扉をノックした。少し低い声が返ってきて、若い男の人が姿を現す。僕らより少しばかり年上と言ったところか。
 その男の人は扉の前に立ち尽くす僕らを交互に見やると、「何か用か?」と気さくな調子で聞いてきた。年下の扱いに慣れた人。
「少しお時間頂いてもよろしいですか?」
 ゼロがそう尋ねると、男の人は怪訝そうに眉を顰めた。視線を交わすと、僕らは先ほどからずっと続けて回っていることを説明した。
「そういうことなら」
 そう言って、男の人は僕らを部屋の中に入れてくれた。
 感謝の言葉を述べながら、早速僕らはいつもの芸に取り掛かる。毎度同じ演目だと面白みがないので、毎回少しずつ内容を変えている。今回は、ゼロがシガーボックス。僕はコインを使った簡単なもの。それと、トランプも今まで通りに使用した。
 全ての行程を終えると、男の人は拍手してくれた。
「なかなか上手いじゃないか。自分達で練習したのか?」
 彼のその問いに、僕らは揃って頷く。僕らの今は無き我が家、その本棚で見つけた本を参考に習得した物。要するに独学だ。
 そう説明すると、男の人は感心したように呻った。
「まだ若いのに、大したもんだよ。俺は、昔齧った程度だからなぁ」
「何か得意な物でもありました?」
「見てみる?」
 頷く。すると男の人は、苦笑気味に頭を掻く。トランプを貸して欲しいと言われたので、ケースごと手渡した。
「最近やってないから上手くいくか分からないけど」
 そう言って丁寧に切っていく。そうしてその中から二十枚を選び、内一枚を僕に選ばせる。
 ハートの五。
 手の甲に乗せ再びシャッフル。何番目に出して欲しいかを聞かれたので、五番目と答えた。
「さて、上手くいくかな」
 苦笑気味に男の人が下からカードを抜いていく。順番に並べられたカードはまだ僕のそれと合致しない。
 四番目、ハズレ。そして、五番目。
 予言通りの、ハートの五が出た。
「正解です」
 僕がそう答えると、男の人は安堵したように口元を緩めた。久しぶりとはいっていたが、なかなか堂に入っていたように思う。
「お兄さんも独学ですか?」
 ゼロがそう聞くと、彼は少しだけ目線を反らして曖昧な表情をして見せた。
「あー……まぁそう、かな。一応簡単には教えてくれた人がいるんだけど、大体は俺が自分で覚えたものかな」
「そうなんだ」
 すごいですねと返すと、彼は「お前ら程じゃないよ」と苦笑した。
「俺は見せたい相手がいたから覚えたんだ。お前らもそんな感じなんだろ?」
 僕らはその問いに顔を見合わせる。どうだっただろうかと、記憶の隅を辿っていく。
 先ほども行ったように、家で手品の本を見つけたのがきっかけだ。初めは単なる好奇心。だけれど、よくよく思い返せば、あるいはそうだったのかも知れない。
「博士に見せたかったから、覚えたのかな」
「博士?」
 ゼロが頷く。ボクらのお父さんだと、続けて説明する。
「お偉いさんなのか」
 彼が訝しげにそう呟くので、再び僕らは顔を見合わせた。
「そんなんじゃないよ。ところで、お兄さんは誰に見せようとして始めたの?」
「俺か? 俺は、そうだな」
 特定の誰か、と言う訳ではないんだけど。彼はそう断りを入れてから、説明してくれた。
「この先には俺の故郷の街がある。俺はそこで、親のいない子どもたちの面倒を見てるんだ。だから、そいつらに見せたくて始めたんだよ」
 多少の娯楽にでもと思ってな。彼はそう言って、窓の外に目をやった。
 外はいつしか白銀に染まっていた。温かな車内とは裏腹に、いかにも寒そうである。
 この雪景色の先に、彼の街があるらしい。
「どんな所なんですか、その街は」
 ゼロが尋ねる。彼はこちらに視線を戻しながら、ぼんやりと答えた。
「そうだな。冬の似合う街だよ。それと、時計台の綺麗な街」
「時計台があるんですか?」
「今は動いてないんだけどね」
 動かない時計台。そして冬の似合う街。僕らはまだ見ぬその街に思いを馳せる。どんな所なのだろう。どんな街なのだろう。
 どんな人が、暮らしているのだろう。
「……昔はあの街も、もっと活気があったんだ」
 ふと、窓の外に視線を移した彼が呟いた。
「俺の小さい頃は、まだ時計台が動いてたんだ」
 そう言って、彼は在りし日の記憶を語り始める。金色に光る時計台は街のシンボルで、毎日十二時ごろになると、けたたましい音とともに正午を知らせてくれる。パイプオルガンの音が響けば、それが一日の真ん中だ。人々はそれに合わせて行動し、鐘の音を合図に昼休みを取る。昼の休みには楽しく談笑しあい、午後の仕事へのやる気を養う。だから、午後の仕事にもメリハリがついていたのだそう。
「以前の街はそんな風にして、今よりもずっと活気づいてたよ」
 過去を懐かしむ様な調子で語られるその話を、僕達は静かに聞いていた。彼の口から紡がれる街の姿は、とても色彩に満ちていて、聞いているこちらとしても、不思議と温かな気分に包まれる。
「だけど、ある時から時計台が動かなくなった」
 彼は落胆するようにそう告げた。
「それは、どうしてなんですか?」
 ゼロが残念そうに眉を垂らしながら尋ねる。彼は苦笑しながら、その問いに答えた。
「死んじまったんだ。時計塔を管理してたじいさんがさ」
 俺の知ってる人だったんだけど。彼はそこまで話すと、徐に口を閉ざした。
 暫しの沈黙。僕とゼロはお互い目配せしながら、どうした物かと思案に暮れる。
 動かなくなった時計台。それは街を包んでいた光の音色でもあって。時計台の音が消えるとともに街からも光が消えた。いや、そう言ってしまうと少し語弊があるか。次第に暗くなっていった。そうして活気を失っていった。
 彼は、そんな街の姿を嘆いている。
「……時計台が、元に戻れば」
 不意に、白銀の世界から視線を外さずに彼が囁いた。
「時計台がまた動けば、きっと街は元に戻る。また明るさを取り戻す。そうすれば、俺の大好きな街の姿を、きっと取り戻してくれる」
 信じているとでも言わんばかりの、強い瞳。光を宿した真っ直ぐな視線は、電車の行きつく先、彼の生まれ故郷を一心に捉えて離さない。
 僕とゼロはもう一度視線を交わすと、小さく頷きあって立ち上がった。
 そろそろ、お暇する時間だろう。
「面白い話を聞かせてもらって、ありがとうございました」
 ゼロがそう言うと、彼が苦笑気味に手を振る。
「長話に付き合わせて悪かったな。ほら、これ」
 そう言って二枚の硬貨を差し出してくれる。僕らは丁寧にお辞儀した。ゼロが今までのそれと合わせて懐に入れる。
 これで八枚になった。
「……時計台」
 扉を開きながら、僕とゼロは振り向く。窓辺で佇む彼を見据えながら、ゆっくりと言葉を放つ。
「また、動くと良いですね。そんな街だったら、ボクも見てみたいです」
「お兄さんの夢、きっと叶えてください」
 僕らがそう言うと、彼は一瞬虚をつかれたように目を丸くして、それからすぐに照れくさそうにはにかんで見せた。「夢か」と呟きながら、小さく頷いて見せる。
「そうだな。いつかあの頃の街に戻るように、俺は出来ることをやってくよ」
「頑張ってください」
 それじゃあと言い残して、僕らは部屋を後にした。
 部屋の前で、僕らは再び目配せしあう。
「……時計台、だって」
 早く見てみたいね。ゼロがそう言って笑った。
「冬の似合う街、時計台のある街。何だかボク楽しみになってきたよ」
 僕も頷いて返す。先ほどの彼のことを思い返しながら、フッと笑みを零す。
 夢追い人の住む街。僕も早く、見てみたくなった。



『とある少女の話』

 扉をノックすると、綺麗な声が返ってきた。扉を開く。そこに一人、大人しげな少女の姿があった。
「どなたですか?」
 少女の警戒したような声。見た目から判断するにさして僕らと歳も変わらないだろうが、いきなり部屋に二人組の男が入ってきたら驚きもするだろう。僕らは不躾に部屋を訪れたことを謝罪ししつつ、先ほど老婦人の所でも用いた台詞を口にした。
「今からここで芸をして見せます。もし気に入ったら、ここに硬貨を一つ、入れてください」
 ゼロが帽子を抱えながら、いいでしょうかとつけ加える。少女は少し考え込んでから小さく頷いた。まずは、第一関門突破だ。頼んだ時点で断られる場合の方が圧倒的に多い。
「感謝します」
 チャンスを与えられた。僕らはその期待に応えるべく、出来る限り頑張るだけ。
 ゼロが先ほどと同じようにジャグリングを披露する。続けて僕は、トランプと、今度は持ってきたステッキから赤い花束を出して見せた。そのまま少女にプレゼントすると、彼女は緊張しながらも受け取ってくれた。
 芸が終わる。僕とゼロが同時に頭を下げる。いかがでしたかと聞きながら、ゼロは再び帽子を手にする。
 少女がパチパチと拍手してくれた。
「とても素敵でした。あの、お花ありがとうございます」
 未だ緊張の糸を解かぬ彼女に、僕らは苦笑を漏らす。どういたしましてと返しながら、少女の言葉の続きを待った。あるいは彼女が硬貨を出してくれないものかと、一縷の期待を抱きながら。
 対する少女は僕らの期待とは裏腹に、僕らの顔を交互に見回すと遠慮がちにこう聞いてきた。
「あの……お二人は兄弟、なんですか?」
 突然のその問いに、僕らは顔を見合わせる。兄弟と言うと何となく違和感を覚えて、「双子です」と返した。
 少女が何故だか目を輝かせた。
「そっか、それじゃあ今も二人で旅してるんですか?」
「まぁ、そんな所かな」
「行き先は?」
 その質問で、僕らは言葉に詰まった。行き当たりばったりで選んだこの列車だ。明確な宛があるわけではないが、言うならばこの列車の行きつく先になるだろうか。時計台のある街。
 僕らが答えあぐねいている間も、少女は小首を傾げながら僕らの答えを待っているようだった。ゼロに目配せする。ゼロが苦笑を漏らした。
「実は、この列車には偶然乗り合わせたんだ。だから、どこに行くとかそういう目的があるわけじゃない。ボクは、二人でだったらどこでも良かったから」
 そうだよねとでも言わんばかりに、ゼロが横目で僕を窺い見た。少女もこちらを見据えている。
 僕も、もちろんと言うように頷いて見せる。
「お嬢さんは、時計台の街に?」
 ゼロがそう聞くと、やっと緊張が解けてきたらしい少女がフッと微笑んで見せた。そうして徐に二枚の硬貨を取り出したかと思うと、ゼロの抱える帽子にそれを放りこんで見せる。
 僕らが何事かと思っていると、不意に彼女は僕らの手を取った。そうしてそのままソファまで引き連れていったかと思うと、そこに僕らを座らせた。手際の良さに、僕らも思わず従ってしまった。
「さっき、一枚硬貨を入れてって言ったよね」
 少女の問いにゼロが頷く。僕はそれと同時にゼロの持っている帽子の中を伺い見た。
 見間違いではない。そこにはやはり二枚の硬貨が入っている。
「これはどういうこと?」
 僕が尋ねると、彼女はあどけない笑みを浮かべながら答えた。
「一枚は貴方達の芸に対するお礼。もう一枚は――」
 彼女はそこで言葉を区切ると、交互に僕らを見やって小さく頷いた。
「貴方達の話を、私に聞かせて欲しいなって」
 ダメかな? そう言いながら小首を傾げる彼女に、思わずゼロを一瞥する。だけれど、すぐに彼女に向き直った。口元を緩めて見せた。
「それくらい、お安い御用だよ」
 少女が相好を崩す。良かったと、安堵の息を漏らす。
 そうして、僕らと彼女の束の間の会話が始まった。

「まずは、貴方達の名前を教えて」
 最初のその問いに早速詰まったのは言うまでもない。僕が口を閉ざしていたので、ゼロが代わりに「ボクがダンで、こっちがグレイだ」と答えてくれた。僕らがお互いを呼び合う時に使う名前は、あまり他人に紹介するのには向かない。
 少女は「リリィ」と名乗った。
「ダンくんとグレイくん、か。さっきも聞いたけれど、二人は旅をしているんだよね。どうしてこんなことしていたの?」
 こんなこと、の部分でリリィがゼロの帽子を指さした。どうやら先ほどの芸のことを言っているらしい。
 ゼロが苦笑気味に答える。
「さっきも言ったけど、この列車には偶々乗り合わせただけなんだ。それで、実を言うとね、ボクら無銭乗車中なんだよ」
「もしかして、その代金を貯めているの?」
「そういうこと」
 ゼロは答えながら、先ほどまでに受け取ってきた硬貨を取り出して、手元の帽子に落として見せた。全部で十枚の硬貨。丁度ゼロと僕とで五枚ずつ。これならおそらく足りるだろう。
「何とか降りるまでに、目標数まで達して良かったよ」
 代金がないのは、実のところ列車に乗る前から分かっていた。元々無賃乗車を繰り返してここまで来たから、万が一の時は逃げるつもりではあったけど、できることなら後腐れなく去りたい。そう考えて、僕らは先ほどからずっと大道芸をして回っている。
 そう説明すると、リリィは興味深そうに目を輝かせた。
「ずっとそんな風に暮らしてるんだ。どこか一所に留まったりはしないの?」
「まぁ、根なし草だからね」
 故郷を旅立ってから、どんな時も僕とゼロは二人で乗り切ってきた。そして、これからも二人でならどこにでも行けると信じている。だから僕らは、決まった住処を持ったことがない。
 リリィは興味津々と言った様子で聞いている。
「すごいなぁ、私はそんな暮らしとは無縁だったから、少し羨ましいかも知れない」
「リリィはどんな生活をしてるの?」
 僕がそう聞き返すと、リリィは体操座りの膝の間に顔を埋める様にしながら、次の様に話してくれた。
「私は、少しいいとこの出なんだよね。基本的に屋敷の中で生活してきたから、逆にそういった経験がないんだ」
「そうなんだ」
 それは、むしろ良いことではないのだろうか。僕らが疑問に思っていると、リリィは付け加えてこう言った。
「それ自体はとても嬉しいことなの。それに、こんな暮らしじゃない方が良かったなんて言ったら、それこそ罰あたりじゃない? ただのわがままになっちゃう」
 だけどね。そう言ってリリィは目を瞑る。口元には笑みを湛え、優しい声音で語りだす。
「憧れはするんだ。色々な物が手に入る世界に生まれた私だから、そうじゃなかった時のことを想像してみて、その時何を望むのかなって考えてみたりして。今の私よりずっと貧しかった私は、何を欲しがるんだろうって」
 彼女はそう言いながら「おかしいよね」と言って苦笑して見せる。僕らは何も答えないで、彼女の言葉が続くのを待った。
 そんな僕らに安心したのか、彼女は穏やかに微笑んで言葉を紡ぐ。
「……今までの私は、恵まれ過ぎてたから。周りの誰もが欲しがるようなものを、簡単に手にすることができた。だから私はずっと思ってた。自分の手で何か探しだそうって。自分だけの力で手に入れた物に、本当の価値があるって、そう思うから」
 だから今日、こうやって電車に乗ってきたの。彼女はそこまで話し終えると、僕らの方を向いて再び小首を傾げた。
 すごいね、と。僕とゼロは答えた。
「すごいね。ボクらはそんなこと考えたこともなかった。ただ毎日を生きられれば、それでいいと思ってるんだよ」
 生きるのに精一杯で、難しいことは極力考えないようにして。そうして今の僕らは生きている。当てのない旅を続けながら、こうやって時々お金を頂戴して、日々を乗りきっている。彼女とは、似ても似つかない暮らし。
 生まれながらに持っていたモノの差だ。彼女にはそれが、他の人よりちょっとばかし多かった。そして、僕らにはそれが少しばかり少なかった。それだけのこと。
 だけど――
「――だけど、貴方達二人は、今の自分達が嫌いではないでしょう?」
 突然の彼女の問い。一瞬虚をつかれたけれど、すぐに大きく頷いた。その通りだった。確かに僕らは、他の人よりも持っている物が少なかったかも知れない。呪われて育ったかも知れない。
 けれど、それが何だと言うのか。
 僕らはここにいて、今日も二人で生きていて。大したことをしていないのに毎日必死に生きているのは、それだけ生きることに何かを期待しているからだ。希望を持っているからだ。そこに、生まれながら持っていた物の差は関係ない。
 ゼロに目をやる。目が合う。考えることは同じだなって、嬉しくなる。
「その日暮らしでも、ボクらは楽しく生きているよ」
 ゼロの言葉。それは先ほどのリリィからの問いかけに対する、答えでもあった。
 リリィが満足げに頷く。その目はどこか羨みの念が籠っているようでもあり、はたまた慈愛に満ちているようでもあり。
 優しげな瞳が、伏し目がちに暖かな火を灯した。
「私ね、探してる物があるの」
 僕らの方を一瞥しながら、リリィがそっと囁いた。
「ずっと昔お母さんから聞いて、ずっと探しにいかなきゃと思っていた物……いいえ、人。探している人がいるの。その人はきっと、この先の街にいる」
 お母さんの生まれた街に。微かな声で、リリィがそう呟いた。
「私がさっき言った、自分の力で手に入れたい物。そして、今日この列車に乗った理由。それが、この先の街にいる、顔も知らないお兄さん。兄を探すために、私は家を出てきた」
 強い眼差しが僕らを捉える。僕らは薄らと微笑みながら、大きく頷いて見せる。
「きっと、見つかるよ」
 無責任な言葉。彼女は顔も知らないと言った兄。その街がどれだけの大きさかも分からないのに、咄嗟にそう口をついてでてきた。
 僕の言葉に、リリィも嬉しそうに笑みを零した。
「ありがとう」
 僕は何とはなしに少しだけ目線を反らした。ずらした視線が、すぐにゼロと交わった。
 やっぱり、考えることは一緒だ。
「貴方達も、住む所が見つかるといいね」
 リリィのその言葉で、僕達はそこまで続いていた話を終えた。

 部屋を出る際に改めて礼をすると、リリィは苦笑しながら手を振った。
「こちらこそ、呼びとめちゃってごめんなさい。面白い話を聞かせてくれてありがとね」
「いやいや、こちらこそありがとう」
 楽しかったよ。そうゼロが言うと、リリィは少しだけ顔を赤くして頷いた。
「それじゃ、またいつか」
 僕がそう言って小さく手を振る。ゼロもつられて右手をかざす。リリィはそんな僕らに頷いて応えると、小さく手を振り返しながら扉を閉めた。
 扉の前で立ち尽くす僕らが残された。
「……住む所、か」
 呟き、考える。今まで考えたこともなかった。ずっと各地を転々として、ゼロと二人だったらどんな場所でもいいと思っていたから、一つの場所に留まるという考えがそもそもなくて。
 けれど、いつかは僕らも――
「それじゃ、行こっか」
 隣でゼロが呟く。僕もそれに頷いて、彼の手を取り歩きだす。
 そう、初めから。そんな場所は、どこでも構わなかった。
 僕はただ、隣にゼロがいてくれればそれでいい。
 ご機嫌な様子で歩くゼロを見やっては、そんなことを思う。



『僕らの明日の話』

 僕らが出会ったたくさんの人たちを乗せて、列車は終点へと向かう。何もかもを包み込む白銀の世界へ。そうして、誰もが夢見た理想郷に向かって。
 窓を開けてみた。変わらぬ白の世界は、足跡すらも付けずに広がっている。人の跡が消え去ったその場所は、どこか寂しげにすら見えた。
「ねぇ、ゼロ」
 僕がそう呼びかけると、ゼロはこちらを向いて小首を傾げた。僕もつられて首を傾げては、あてもなく言葉を継いだ。
「僕たちはどこへいくのかな」
 そう聞いてみても答えはなく。僕の声は窓の外、誰もいない虚空へと吸い込まれていくだけ。
 白の世界に、埋もれるだけだ。
「僕たちは、この先どうなるんだろうね」
 もう一度だけ、呟いて見せた。
 列車の中で出会った人たちのことを思い出していた。別れに潰れた人、一瞬の運に見放された人、あるいは夢を追っている人。そうして、最後に出会った人はそれまでの誰とも違っていた。多くの物を手に入れる術を持っている人。だからこそ、自分だけの力で掴みとれるものを探している人。
 皆それぞれに、何かを求めて生きている。希望や、あるいは夢を持っている。
(僕らは、偶々乗り合わせただけだったから……)
 彼らの様に、何かしらの目的はない。そこに行く理由も、そうしてこの列車に乗った理由も。白銀の中に埋もれる道理も、何も持ち合わせてはいない。
 明確な、生きる理由さえも。
「どうなるとしてもさ」
 不意に、僕の隣で窓の外を眺めていたゼロが呟いた。こちらを見やっては、笑って見せる。いつも通りの笑顔。僕を安心させてくれるあの笑顔だ。
「立ち止まる理由はないよ。そこが終点だというのなら、その場所がボク達の探してた場所なんだよ」
 きっと。そう続けて、ゼロは再び外に目を向けた。代わり映えのない景色だ。それももうすぐ終わりを告げる。先に見えるトンネルを抜けたら、その先に目的地はあるのだろう。
 生きる、理由か。
 少しだけ考えて、すぐに止めた。僕にとってその問いは愚問でしかなかった。昔から、僕の思いは変わらない。ゼロと一緒にいられればそれでいい。それだけの――それさえ叶うならどこでもいい、そんな簡単な理想郷を探すため。僕はこうして生きている。
(……ゼロは、知らないんだろうけど)
 僕のこの気持ちなんて、きっと知りはしないだろう。そう毒づきながらも、こちらを向いて優しく笑っているゼロに、僕も思わず笑って見せた。

 線路はまだまだ続いていく。
 僕らの行く先を、照らし出すように。

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