とある街の喧噪
ギャーギャーと外が騒がしい。それに顔をしかめた男は、枕元に置いてある目覚まし時計をむんずと掴んで時刻を確認する。
「まだ夜中じゃねぇか。何を騒いでやがんだ?」
苛立ち混じりに不機嫌にそう口にすると、男はすぐに寝直そうとするも、やはり外が騒がしくて寝れたものではない。
「チッ」
男は苛立ちを漏らすように舌打ちをすると、寝台から降りて窓際まで移動するとカーテンを引いて、外の様子を確かめる。
「あん? 何してやがる?」
窓から見た外の光景は、人々が逃げまどっている様子だった。男の寝室が在るのは三階なので、下の様子がよく見えた。
そのまま人の流れに逆らって視線を遠くに向けてみると、遠くの方が赤くなっているのが見える。
「火事? いや、あれはなんだ?」
建物が燃えている中、男はそこに黒い影を見つける。遠めなのではっきりとは見えなかったが、その影が火の近くを通った時にその姿が確認出来た。
「……ありゃ、飛竜じゃねぇか?」
遠目に見えたその姿に、男は呆然と呟く。
火に照らされた赤黒い表皮に、獰猛そうな目と牙の生えそろった大きな口。大人五、六人ぐらいの長さのどっしりとした身体に、太く短い脚。身体の側面には手の代わりに大きな翼を持つ存在。それはドラゴンの亜種と言われている飛竜そのものであった。男が住んでいる大陸では最近見つかった魔物の一種。
「いや、こんな街中でそんなはずは……」
唖然として現実逃避をしようとした男の耳に「グギャアァァァ!!」という空気を割くような甲高い音が窓越しでもはっきりと届く。それで我に返った男は、急いで家の外に出た。
「正規の兵士十人でも倒せるかどうかという飛竜が街中で暴れているなんて冗談じゃない。見張りは何をしていやがった!!」
魔物が街中に入ってくるというのは想定されているで、その際に使用する警鐘というものがある。それも各方面に複数と中央にも設置されているので、魔物が街中に侵入したのが判明したら即座に鳴らされるはずであった。しかも今回は巨体の飛竜であり、既に被害が出ている。だというのに、未だに警鐘は鳴らされていない。
そのことに男は苛立つが、今はまず逃げることだと思考を切り替える。被害に遭っている場所は遠いとはいえ、空を飛べる飛竜相手では大した距離ではない。何かの拍子に襲い掛かってくるというのもあり得るのだ。
そうして男が走っていると、またしても「グギャアァァァ!!」という耳障りな鳴き声が聞こえてくる。しかも、今回はそれに呼応するように別方向からも「グギャアァァァ!!」と同じような鳴き声が聞こえてきた。
「二匹居るのか?!」
男は町中を掛けながら驚く。だが、次の瞬間にはそれが絶望に変わる。
「グギャアァァァ!!」
「グギャアァァァ!!」
「グギャアァァァ!!」
頭上から幾つもの飛竜の鳴き声が降ってくる。まるで会話でもしているようにも聞こえるが、男の耳にはどれも同じに聞こえた。
思わず立ち止まってしまった男が恐る恐る上に視線を向けると、そこには街中の火事に照らされて何とか見える高さに飛竜の群れ。二匹や三匹などでは足りぬほどの大群に、男の表情は絶望に彩られる。
「ま、ままままままさか、なん、なんで……?!」
それはまるでこの世の終わりの光景のようであり、街中に視線を向けてみると、既に何匹もの飛竜が街を襲っているのが見えた。それに遠くに聳えているはずの防壁も崩れているように見える。
「な、何故? 何故気づかなかった?」
明らかに大きな音がしたであろうその跡や、未だに襲われている街の様子。人々は逃げまどい、懸命に飛竜に立ち向かう者の姿もある。幾ら閉め切った部屋でぐっすりと眠っていたとはいえ、そんな状況で起きないはずがない。実際、男は人々の逃げまどう騒音で目を覚ましたのだから。
「………………」
色々な情報が一気に男の頭の中に流れ込み、頭がこんがらがってしまう。頭の何処かでそんなことよりも逃げろと冷静な部分が叫ぶのだが、その言葉に思考が追いついてくれない。
そうしてようやっと意識が戻った時になって、男はやっと気がついた。
「遠くの音が小さい?」
飛竜の鳴き声だけは妙にはっきり聞こえるというのに、何故だかそれ以外の音が小さくなっていた。建物が崩壊する音も、人々の狂乱の音も。
よく見れば誰かが必死に警鐘を鳴らしているのも見えたが、やはり音が聞こえない。その代わり、近くの音だけははっきりと耳に届く。
「何かの魔法か?」
男は魔法使いではないので、魔法には疎い。しかしそれでも、こんな奇妙な光景を作り出せるのは魔法以外には考えられなかった。