第3章ー1 マーブル先端軍事研究所 「もう少し所長の仕事をしてもらいたいです」
「お父さま。そろそろトレーニングの時間です」
早乙女恵梨佳の透明感のある声が、早乙女琢磨を深い思索の海から浮上させた。
琢磨は豪奢だが実用性の高い回転座面の椅子を90度回転させ、体ごと恵梨佳の正面に向いた。部屋の入り口には腰まで届く綺麗で艶やかな黒髪に、人を引き込むような黒曜石の瞳を持った女性が立っていた。
立ち居振る舞いから20代にみられることが多々ある。だが、彼女は18歳である。
恵梨佳は琢磨の鋭利な雰囲気を柔らかく、そして女性らしくした顔立ちをしている。しかし、髪と瞳の色が異なることから、親子だと紹介されなければ想像すらできない。
恵梨佳が文句なしに佳麗な美少女である。その所為で2人揃って歩いていると、琢磨と道ならぬ関係なのではと、誤解されることがある。
それを思うだけでなく口にした者は、例外なく恵梨佳から容赦のない平手を受け取っていた。
「もうそんな時間か・・・。後でじゃダメかな?」
机の上に置いてあった眼鏡型の映像音声出力装置”クールグラス”をかけ、琢磨は仕事をしたいとのポーズをとる。彼は、蒼銀色の少し長めの髪に、グリーンの瞳をもっていて、背が高く、45歳に見えない引き締まった身体をしている。
マーブル星系に存在する名もない準惑星に、オセロット王国の特殊な研究所がある。琢磨はその研究所”マーブル軍事先端研究所”の所長である。
4年前に完成したマーブル軍事先端研究所には、2000名以上の研究者、4000名以上の研究支援要員が常駐している。その他に戦闘員が約1800名。行政機関及び研究所運営、商業施設などの生活関連で、約2000名の民間人が住んでいる。
合計7000名弱のオセロット王国の国民が、マーブル星系の準惑星で生活している。
「ダメです。お父さまの”後で”は、往々にして翌日になります。お祖父さま、お母さまと約束したはずです。毎日トレーニングすると・・・」
「正確には、お祖父さまとの約束だよ。揚羽からは、なるべく守って欲しいと言われただけかな。何故かお祖父さまは、僕の苦労が大好きだからね」
本当のところ、何故かの理由はハッキリしていて、琢磨も理解した上で話しているのだが・・・。
「つまり、どうするのですか?」
「残念だけど、トレーニングはしないとね。ただ恵梨佳・・・」
「なんですか?」
キツイ口調だった。
透明感のある、耳に心地よい声なので、余計に厳しさを際立たせている。
「少し手加減してくれないかな?」
しかし、琢磨は心地よい声質だけを耳から脳へと伝えているようだった。
吐息を漏らしてから、恵梨佳は提案する。
「軽めの30分メニューで、どうですか?」
「優しい子だね、恵梨佳は」
「お父さまの仕事が終わらないと、オセロットに帰れないですから」
「利己的な発想だね」
「嫌いじゃないですよね。こういう考え方?」
「大好きだね」
蕩けるような笑顔を琢磨は浮かべた。
家族以外では見たことないような表情である。他人が良く目にする琢磨の笑顔は、軽薄一歩手前の表情だ。
「それでお願いですが、短縮メニューで余った30分を、今から親子のコミュニケーションにまわしてもらえますか?」
「それは大歓迎さ」
「それでは・・・。ダークマター”ミスリル”の合金へのミスリル含有率増加と粘性強化、ダークエナジー”リパル”の吸引効率化の進捗はどうなっていますか? たしか素材加工の段階で上手くいかないという課題があったかと思いますが?」
「加工可能にはなったね。検査の結果、ミスリル、リパル共に目標数値に到達できてね。雷(イカヅチ)に搭載可能となったんだよね。ただ、合金精製の品質安定には時間がかかるかな」
「つまり、雷の各部品の開発進捗率はどのくらいしょうか?」
恵梨佳にクールグラスを手渡すと、琢磨は腕輪状の“ロイヤルリング”から、携帯端末“コネクト”に命令を飛ばし、結果をコネクトからクールグラスに表示させた。クールグラスによる表示は、眼球に直接像を映すので、第三者からは視えず機密性が高い仕様になっている。
恵梨佳の瞳には、各部品の報告書の詳細が、次々と表示される。
「・・・まぁー、あとは雷に搭載してテストしてみないとね」
「それとマーブル行政委員会から苦情がきています。いくらお飾りといっても、たまには会議に出席してほしいと」
マーブル星系では、全ての行政機関を束ねる存在としてマーブル行政委員会がある。そこの委員長は、研究所の所長が就任することになっている。明文化されたルールではなく暗黙の了解ではあるが・・・。
故に約1年前に赴任してきた琢磨が、己の意志とは全く関係なしに就任している。
「議事録の確認と決裁は滞りなく実施しているんだから構わないさ。それにしても、誰が苦情をだしているのかな?」
「主に、大抵、大体、ほぼ全面的に、ハン少将です。軍人の自分が委員会の仕事もしているのに、文官代表であり、かつ委員長でもあるお父さまが、委員会の仕事を蔑ろにするは不公平との主張です。ちなみに発言していませんが、委員の皆さんは少将の主張に概ね賛同しているようです」
「僕の周りは、敵ばかりなんだなぁ」
「むしろ、研究開発がお父さまの最優先事項であると、皆さんには良く理解して頂いています。それでも、な・ぜ・か、お父さまが余裕綽々であるように皆さんの眼に映るようです。時には私でさえも、ど・う・し・て・も、そのように感じられます。お父さまにも責任がないとは、言い切れないように思いますね」
「共同研究テーマが3、共同開発案件が7もあると余裕はないさ。それに自分の研究テーマも3件あるからね。研究所の所長の仕事までとなると・・・どうすれば良いのかな?」
「難しいところです。だからといって、所長の仕事も忘れては困ります。それと委員長の仕事もです。そうですね。お父様が3人ぐらいいれば解決するでしょうけど・・・。それより、非常に不満があります。最近研究所の方々から、私がお父さまの秘書であるような扱いを受けています」
不平を言いつつも秘書のように立ち回り、立場を弁えて恵梨佳は行動してくれる。琢磨にとって有り難い存在であり、彼女は非常に出来た娘だ。
それに反して琢磨は、父親として出来が良くないらしい。
「そうであれば、個人の研究テーマを増やせるね」
嬉しそうな声に、琢磨の本心が滲み出ていた。彼は典型的なワーカーホリックである。
「余裕ができても、どのみち委員長と研究所所長の仕事をするつもりはないのですね」
「実は・・・全くないんだよねぇ」
皮肉のスパイスで味つけした恵梨佳の質問に、琢磨はやらない意志をキッパリと表明した。それどころか、琢磨は更なる仕事を彼女に押し付ける。
「だから、いつものように理事長の決裁は恵梨佳の方でやっといてくれないかな? 判断できない時はアゲハにでも相談してくれれば良いから」
決裁は恵梨佳とアゲハがやっていた。しかもアゲハはオセロット王国の独自の人工知能”CAI+U”である。
CAI+Uはクリエイティブ アーティフィシャル インテリジェンス プラス ユニークの略である。CAIの時は”創造的人工知能”と呼び、+Uと付与すると”独自発想人工知能”といわれる。
同じCAIでも付与したオプションコア”+U”によって学習成果が変わってくる。因みにアゲハの+Uは琢磨の思考をベースとしたコアを特注している。
「仕方ないですね」
恵梨佳は諦めの吐息と共に答えた。
「ありがとう、恵梨佳。ところで、親子のコミュニケーションをしているようには感じられないんだけど、気の所為かな?」
「不思議ですね。実は私もそう感じます、お父さま」
琢磨と恵梨香は微笑を交わす。
続けて幾つかの懸案を相談し終えると、親子のコミュニケーションの時間も終わりが近づいていた。
「・・・それと、次回の委員会の議題に、軍事施設と民間施設の共同利用に関するルール改訂の協議があります」
「ああ、その件はどうでもいいから、委員会に一任しておいてくれないかな?」
「1週間後に、マーブル星系行政委員会の委員長就任1周年を記念して、18時からパーティーが予定されています」
「あぁー、それは病欠の予定になっているね」
他人事のような顔で琢磨は言い放った。
「普通、病気になることは予定できませんけど?」
恵梨佳は言葉の上では疑問を口にしたが、口調も表情も全く変化がなく冷静そのものである。
「研究員と軍人ならともかく、僕と会話したがる民間人はいないと思うなぁ。まあ、委員長がいなくても成り立つパーティーさ。副委員長に、よろしく言っておいてくれないかな?」
「そうですね。副委員長には当日に伝えます」
琢磨と恵梨佳は、申し合わせたように主役がパーティーを欠席する予定で調整したのだった。
「それではお父さま、そろそろトレーニングの時間です」
「コミュニケーションの時間が短すぎないかな?」
「遥菜が待っています。早く行きましょう」
恵梨佳の最高の笑顔で告げられ、腕を引っ張られる。琢磨に抗う術は存在しない。他人のペースを無視して、自分のペースに巻き込む恵梨佳は、間違いなく琢磨の娘だ。
「パパ、覚悟してもらうわ。今日こそアタシが勝って、仕事を休んでもらうから」
恵梨佳によく似た透明感のある耳に心地よい声だった。それに、溌剌さが加わっている。
空間の真ん中に、エメラルドグリーンを基調とした花柄の統合マテリアルスーツを身に纏った少女が立っている。体にピッタリとフィットした統合マテリアルスーツから、発展途上ながらも彼女の均整の取れたスタイルがわかる。
「あぁー、遥菜。その賭けは、まだ有効なのかな?」
「有効だわ!」
遥菜は早乙女家の次女で、恵梨佳同様に美少女なのだが、活発というか勝気というか、強気な性格をしている。
その上、実行力が高すぎるので、やらかす系の少女である。ただ、15歳の少女が父親を避けないばかりか、積極的にコミュニケーションを取ろうとしてくれている優しい娘でもある。
「それで、今日の条件は何かな?」
琢磨が遥菜の前に立つと部屋の入り口が閉まり、飾りも何もない立方体の巨大空間になった。
「立体格闘戦技の重力増加バージョンです」
「環境は?」
『2Gで、この部屋の設定です』
どこからともなく聴こえてきた恵梨佳の声と同時に、部屋の重力が増加した。コントロールルームにいる恵梨佳が操作したのだろう。
「ハンデは0.5でいいかな?」
0~5Gまで自由に重力を設定可能な巨大空間”慣熟訓練場”は、格闘技場としても使用されている。本来の用途は、降りる予定の惑星の重力にして、作業リハーサルを実施するための場所だ。
「いいわ」
『それでは、お父さま、遥菜。始めてください』
琢磨は黒色の汎用統合マテリアルスーツを身に着けていた。これはオセロット王国軍で採用されている防刃防弾耐寒耐熱に優れているアンダースーツである。また、この統合マテリアルスーツに宙戦用のブーツ、グローブ、ヘルメットさえあれば宇宙遊泳すら可能である。
その優れたスーツを着用していても、動けば動いた分だけ疲労は蓄積する。それが2Gの環境下にあり、自分の動作を悉く邪魔されたのであれば、あっという間に体力を奪われてしまう。
開始から約3分。
琢磨の足元に、体を仰向けで大の字にした、荒い息を調えようとしているエメラルドグリーンの物体が転がっている。体力が切れた遥菜だった。
「パパ! 0.5以上使ったでしょ。ズルいわ」
しばらく床と親しくなった後、息が調ってからの遥菜の第一声だった。
「使ってないねぇ」
「アタシにだって、感覚で分かるわ」
「感覚は鋭くなったようだけど、まだ甘いかな」
『どういう事ですか、お父さま? 遥菜が浮いたから、2G以上使っていたようでしたが?』
コントロールルームから恵梨佳が話に加わってきた。
「0.5Gの引力2つ。0.5Gの斥力を2つね。それしか使ってないかな」
『なるほど、さすがはお父さま。両手両足のロイヤルリングを同時に使ったのですね』
「えぇー、それはルールの隙間だわ」
「そうじゃないよね、遥菜。ルールで確認していないことは、確認していない方に非がある。それにルール内で、相手が工夫した結果に対してクレームをつけるのは、自分が良く考えていない・・・思考を怠っている証拠だと、ね」
薄桜色に雪華模様の統合マテリアルスーツを身に着けた恵梨佳が、入り口から姿を現した。
「お父さま、2戦目をしてもらえますか? 条件は0G、宇宙空間の設定で、2対1です」
恵梨佳と遥菜の身長や顔立ちは、ほとんど変わらない。しかし、恵梨佳の方が線の柔らかさが少し上で、女性らしさは遥かに上である。
「僕の味方はどっちかな?」
無論、分かった上で尋ねた。2対1の1は自分であると・・・。
「いません」
「そうだろうねぇ。そうなると賭けは無効だけど良いかな?」
「いいえ、お父さま。お父さまは半日休みを。私はお父さまの代理で、委員会への出席を賭けてで・・・。それで、どうでしょうか?」
たとえ琢磨が負けたとしても、負担軽減のために、恵梨佳は理事会に出席してくれるだろう。
それならば、琢磨が勝負しない理由はないし、恵梨佳の気持ちに応えるためにも、勝負する以外の選択肢はない。
「それは、やるしかないね」
試合条件を決め、立合いの開始のための間合いを琢磨が取ろうとした瞬間。
突如として、壁際の空中に厳つい顔をした軍服姿の男の映像が映し出された。男の後ろでは、将官達が慌ただしく働いている。
その男“ハン少将”は、琢磨に帝国軍が警戒ラインを越えて侵攻してきたとの一報と、現在分かっている状況を報告し、意見具申してきた。
「早乙女委員長。敵は少数です。現有戦力で撃破可能と小官は愚考いたします。1ヶ月前にも帝国軍を撃退している実績もあります」
確かに、それは愚考だね、と口に出して言うほど、人間がダメになっていない。今は・・・。
「まあ、予定通りに行こうかな。安全に撤退できる時に撤退しておかないとね」
想定しうるケースをすべて検討し対処計画を作成していた。そして、帝国軍が侵攻してきたケースは検討済みである。
その場合、撤退することを決定していた。
撤退準備として、王国軍の参謀本部に研究成果物の運搬のための大型輸送艦10隻を用意させた。そこまでなら穏便にすんだのだが、護衛用の宇宙戦艦40隻の増援をも要求したのだ。
暗黒種族”エルオーガ国”の幻影艦隊との戦いに、多くの戦力を必要としている参謀本部は、当然断ってきた。しかし、琢磨は王国軍の頭越しに王国政府に依頼・・・というより脅して、要求を通してたのだ。
ここマーブル軍事先端研究所には、オセロット王国の頭脳が集められている。
オリハルコンやミスリルなどダークマターの素材研究や最新兵器の開発だけでなく、敵国であるエルオーガ国とその種族を研究するために、言語学者や宇宙科学の専門家までもいる。
ここには、あらゆる分野の第一人者にして、現役の研究者達が招集されているのだった。
そのため、対処計画は如何なる事態が発生しようと、研究者の犠牲をゼロにすることを目的として作成されていた。
撤退する際に、研究者とその他の者を差別や区別して対処することは、倫理的にも現実的にも不可能だ。そうなると、必然的に民間人の犠牲はゼロでの撤退が求められる。
「しかし、帝国軍は大型宇宙戦艦3隻、通常宇宙戦艦14隻、強襲高速戦鑑9隻、空母4隻の小艦隊です。倍の戦力が相手であっても、王国軍の勝利は動かないと考えますが・・・」
マーブル星系第1次防衛ラインに、無人防衛兵器1000基以上が展開を完了しつつある。それは直径数キロメートルの小惑星に、推進機関とミサイル攻撃システムを装備した兵器だった。
この無人防衛兵器は、マーブル軍事先端研究所のある準惑星と第3次防衛ラインの間に待機していた。そのすぐ傍には、超大型時空境界突破航法装置”マーブル1”がある。
そして第1次防衛ラインのあらゆる場所へと、境界顕現させられるよう予め設定されている。
つまり敵の来襲を察知すると、侵攻径路の一番近い境界脱出位置に、兵器を迅速に送り出すことができるようになっているのだ。当然、宇宙戦艦もマーブル1から境界突破可能である。
「現在、敵の予測進入経路と交錯する第1次防衛ラインには、小惑星兵器の展開が1時間で完了します。また第2次防衛ラインに防衛要塞”紅蓮”を移動させています。第3次防衛ラインには全戦艦を集結させました。ご存知のとおり、最終防衛ラインには防衛人工衛星が120基あります。故に勝利は確実であります。撤退ではなく戦闘の許可を頂けないでしょうか」
「対処計画にあるように、我々の勝利は民間人の犠牲者を出さないことだからね。それと研究開発成果はすべて持って帰らないと、エルオーガ軍の撃退が難しくなるかなぁ」
10隻の大型輸送艦で研究成果物や開発試作品、研究開発用カスタマイズした専用設備などは、全て持ち帰りたい。設計図や仕様書、論文などの文書が残っていても、実物に優るモノはない。
マーブル軍事先端研究所では研究室や生産ルームを部屋毎にブロック化してある。そして床の材質には、ミスリル合金をふんだんに使用している。そのため、部屋ごと浮遊させての移動が可能である。
ただでさえマーブル軍事先端研究所の研究開発には、多額の予算が投入されている。そこに、高級なミスリル合金を部屋の床材で使用するという非常識な発想を、琢磨は強引に実現させたのだ。結果として研究所は、当初の予算の3倍以上の金額を計上するに至った。
それにより琢磨はオセロット王国主計局の反発を盛大に購入し、今や完全に目を付けられている。
ただ琢磨がオセロット王国主計局に嫌われたお陰で、全ての研究開発成果を持ち帰れる。しかも4時間の作業で、積み込みが完了する予定だ。
「・・・了解しました。対処計画に従い、速やかに撤退行動に移ります」
「よろしく頼むね」
隙のない見事な敬礼だったが、ゴツゴツした印象のハン少将の顔はより強張っていて、台詞の言い終わりと同時に映像から消える。
彼が機嫌を損ねているのは明らかだった。
だからといって恐れ入ったり、ご機嫌を取ったりしない。
それが、早乙女琢磨だ。
「さあ2人とも、早く宇宙港に行くんだ。僕も脱出準備を終えたら合流するからね」
「わかりました。行きましょう、遥菜。今は緊急事態。お父さまに負担かけてはいけません」
恵里佳に促されて、いかにも不承不承といった態で部屋を出ていく遥菜だった。